論語137雍也篇第六(20)これを知る者は

論語雍也篇(20)要約:知らない者は知る者に及びませんが、知る者も好む者に及ばず、好む者も楽しむ者には及ばない。古今東西変わらぬ真理を、孔子先生もまた説きました。当たり前の事ではあっても、それを初めて口にしたのです。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者。」

書き下し

いはく、これものは、これこのものかず。これこのものは、これたのしものかず。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像
先生が言った。「これを知る者は、これを好む者のようでない。これを好む者は、これを楽しむ者のようでない。」

意訳

論語 孔子 水面
知る者より好む者、好む者より楽しむ者。何事もその方が人生よろしい。

従来訳

 先師がいわれた。――
「真理を知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽む者に及ばない。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 知 金文 論語 知 訟
(金文)

論語の本章では、二つの解釈があり得る。一つは”知る”で、もう一つは”礼を知る”こと。”礼を知る”のであれば、孔子の好み通りの人物になりきることであり、一般的な知識の話では全くなくなる。なお『学研漢和大字典』による原義は、真っ直ぐ事実を言い当てること。

詳細は論語における「知」を参照。

論語 之 金文 論語 軍事パレード 東独 東ドイツ
(金文)

論語の本章では”これ”。『学研漢和大字典』による原義は”足で真っ直ぐ進みゆくさま”。詳細は論語における「之」を参照。

論語:解説・付記

論語 吉川幸次郎
既存の論語本では吉川本に、知=存在を知ること、対象は全然自己の外、好=対象に特別な感情を抱くが、対象はまだ自己と同一ではない、楽=対象が自己と一体となり、完全に融合すること、と解する。一方訳者は本章を読むと、孔子と同時代の賢者、ブッダの言葉を思い出す。

論語 ブッダ
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者と思う者こそ、”愚者”だと言われる。(中村元 訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)

なお従来訳の注には、以下の通り言う。

論語 下村湖人
孔子はここで求道者の境地を知・好・楽の三段に分かって表現している。「知」は単なる知的理解の境地、「好」は感情の燃焼を伴ってはいるが、まだ道と自己とが別々であり、相対している境地、「楽」は道と自己とが完全に溶けあって一如になった境地をいうのであろう。

筆者の下村氏が生きた戦前から戦後しばらくにかけては、千年前の軍国主義者で頭の中身が片寄った朱子の教えを奉じる漢学者が、まだ世の中に勢力を残していた時代で、それゆえ論語にもこのような黒魔術を見たような解釈がまかり通っていた、いやむしろ正統解釈だった。

論語 神武天皇
二次大戦中のスローガンを想起して頂きたいが、今では漢和辞典を引かないと意味が分からないような漢語の羅列で、そもそも公式発表文である詔勅が漢文体で書かれていた。「丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳〻措カサル所」。意味分かります?

論語 孔子 黙る
訳者でもいきなり辞書無しで読めと言われても分からない。論語の解釈も同様であって、本章に話を戻せば、孔子は道や真理うんぬんなどということは一切言っていない。言っていないことは言っていないとするのが知るという事で(論語為政篇17)、本章もそれは変わらない。

また上掲したように、知=礼を知る、であれば、”コスプレを知る者はコスプレを好む者に及ばない。コスプレを好む者は、コスプレを楽しむ者に及ばない”という、孔子塾フィギュアプレイ派の堂々たるオタク宣言とあいなる。訳者はまじめに言っている。存外こちらが正解かも。
論語 おたく 論語 フィギュア 魔法少女

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