論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
子曰、「惡紫之奪朱也、惡鄭聲之亂雅樂也、惡利口之覆邦家者*。」
校訂
武内本:唐石経章末者の字あり、者は也と同義。
書き下し
子曰く、紫之朱を奪ふを惡む也、鄭聲之雅樂を亂るを惡む也、口利くもの之邦家を覆すを惡む者。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「紫色が朱色に取って代わるのを嫌ったり、鄭の器楽が周の雅楽を乱すのを嫌ったり、口上手な者が国や一家を潰すのを嫌うのだ。」
意訳
近ごろは紫色や、転調の利いた鄭の楽曲がはやりらしい。だが私の趣味じゃないし、一時の流行はともすると、国や由緒ある家を滅ぼしてしまう。いかんいかん。
従来訳
先師がいわれた。――
「私は紫色が朱色を圧して流行しているのを憎む。鄭声が雅楽を乱しているのを憎む。そして、口上手な人が国家を危くしているのを最も憎む。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
惡(悪)
(金文)
論語の本章では”憎む・嫌う”。上掲の金文は秦で通用した大篆で、それ以外の甲骨文・金文には見られない。古文では「亜」と区別無く書かれ、「亜」は建物などのくぼんだ基礎のこと。『学研漢和大字典』によると、くぼんだ所に押し込められるような気分を意味する。
紫
(金文)
論語の本章では”むらさき色”。『学研漢和大字典』によると、此は足がちぐはぐに揃った形であり、赤と青、ちぐはぐな色で糸を染めたのが紫という。孔子が嫌った理由は、下記するように趣味としか言いようがない。
之
(金文)
論語の本章では、(主部)-之-(述部動詞)で、”主部が述部動詞をすること”という名詞句を形成している。詳細は論語語釈「之」を参照。
奪
(金文)
論語の本章では、”取って代わる”。『学研漢和大字典』によると、人が脇に挟んだ鳥を抜き取るのが原義だという。
朱
(金文)
論語の本章では”朱色”。
『学研漢和大字典』によると指事文字で、「木+ー印」。木の中央を一線でたち切ることを示す。つまり、切り株を示す。株の原字だが、切り株の木質部のあかい色をいうのに転用された。高貴な色で、夏(カ)王朝を代表する色とされた、という。
也(ヤ)
(金文)
論語の本章では、「や」と読んで全体の一部を取り出して強調する働きを示す。奇しくも日本語と同じで、「リンゴやミカンやナシを好みます」という場合の「や」と同様。あるいは漢語が日本語に入った可能性もある。
鄭聲(声)
「鄭」(金文)・「声」(古文)
論語の本章では、”鄭の民謡”。「声」の字は甲骨文では確認できるが、なぜか金文では未発掘。
亂(乱)
(金文)
論語の本章では”乱す”。原義はもつれた糸を整えるさま。
雅
(金文大篆)
初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はŋɔで、同音に牙とそれを部品とする漢字群。『大漢和辞典』によると、牙は雅と音通。詳細は論語語釈「雅」を参照。
「雅楽」で”古風でみやびな音楽”。藤堂本では「荘重で古典的な周の雅楽」という。
利口
(金文)
論語の本章では”口上手”。口が良く「利く」=力を発揮することをいう。「利」はもと、切れ味鋭い刃物のさま。
覆
(金文)
論語の本章では”滅ぼす”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、復の右側は、包みかぶさって二重になるようなぐあいに歩く、つまり復(もとにもどる、うらがえし)のこと。のち彳を加えた。覆は「襾(かぶせる)+(音符)復」で、かぶさってふせる、おおうの意。
腹(フク)(はらわたを包んだはら)・孚(フ)(おおいかぶさる)・伏(かぶさってふせる)などと同系のことば、という。
邦家
(金文)
論語の本章では、”国と名家”。論語の時代での「家」には、「国家」のように公的な概念をまだ持っていない。
者
(金文)
論語の本章では”~である”。武内本に「也と同じ」とある。またこの文字は唐石経にあり、日本の清家本では欠くという。
論語:解説・付記
論語の本章で、口車を孔子が嫌ったことは他の章にも見られ、理解しやすいが、紫色と鄭の音楽についてははっきりしない。古代ではどの文明圏でも、紫色に染めるにはコストがかかって高価だったと言われる。それゆえに高貴な色ともされた。日本の冠位十二階もその一例。
東洋ではムラサキソウの根=紫根から染めたとされ、乾燥させた根から微温湯で染料を採り、アルカリで繊維に定着させたという。ローマなど西洋世界では、貝の一種が出す分泌液から染料を採り、一説にローマ皇帝専用の色とされるほど貴重だったという。
それまで高貴な色とされた朱色が、新技術により紫色に変わったのを孔子が嫌ったとすると、単なる「昔は良かった」じいさんに成り下がってしまう。ただし好き嫌いは当人の個性と言うべきで、当人にもどうしようもない所があるから、否定的に取るべきではないかも知れない。
「觚、觚ならず」(論語雍也篇25)と嘆いた孔子は、確かに趣味は古風だったろう。後世の儒者がそうしたがったように、趣味を政治的行為にまで及ぼさなかっただけかも知れない。一般に孔子失脚の原因となったとされる三家老家の根城破壊政策も、現代では異論が出ている。
「礼の規定に合わないから」との理由で破壊を強行したのが史実としても、それはまだ孔子が血気を残していた五十代始めの話で、急激な出世に舞い上がっただけと言えなくもない。となると論語の本章は、まだ舞い上がり中の五十代の孔子の肉声としてはふさわしいと言える。
武内義雄『論語之研究』でも、本章の史実性につては疑義を挟んでいない。ただなぜ紫色がそんなにいけないかの説明はしてくれない。新古の注にある儒者の理屈は、五行で朱色は正色だが紫は間色だからいけないという。加地本ではそれを承けて、以下のような表を載せる。
五行 | 土 | > | 水 | > | 火 | > | 金 | > | 木 | > |
正色 | 黄 | 黒 | 朱 | 白 | 青 | |||||
間色 | 駵黄 (黄黒) |
紫 (黒赤) |
紅 (赤白) |
碧 (白青) |
碧 (青黄) |
五行とは中国古代の科学らしきもので、右から木は金属の刃物で斬れるから金が勝ち、金属は火で溶けるから火が勝ち、火は水で消えるから水が勝ち、水は土の堤防で防げるから土が勝ち、土には木が巣食って生い茂るから木が勝ち、木は…というたわいのない理屈。
だから間色の紫はいけないのだそうだ。ますます分からなくなっただけではないか? 孔子は確かに五十近くなってから易の勉強を楽しみ、易は五行と深いつながりがあるが、だから孔子が嫌ったというのは、分からないことをますます分からなくしたことでしかないだろう。
もっと分からないのは孔子が鄭の音楽を嫌った理由で、論語衛霊公篇11で「鄭声は淫ら」とされて以降、儒者は口を揃えて鄭声を非難した。論語の時代では声は楽器の音を意味し、音は人間の歌声を意味する。しかし楽譜が残らなかったため、どう淫らかは明らかではない。
従来訳の注では「極めて淫猥なものであつた。」とまるでその耳で聞いたかのように記している。ただし『詩経』に残された歌詞から見ると、鄭の民謡には特徴がありはする。漢文が一般に四言句を好むように、『詩経』に残された歌詞もその大勢は、四言句で成り立っている。
カンカンとなくミサゴは、川の州にあり。
たおやかな淑女は、君子の良きつれあい。
(『詩経』国風・周南「關雎」)
論語でも二ケ章に引用されたミサゴの歌も、このように四言句で歌われる。『詩経』に収められたのは民謡から宮中の雅楽まで多彩だが、たまに調子を破る非・四言句はあるものの、それは歌に付きものの技巧や転調というもので、基本はミサゴの歌と変わらない。
ところが同じく『詩経』に収められた鄭の民謡も、四言句が基本ではあるものの、収録冒頭の歌から、もうすでに調子を破っている。
黒き衣がよく似合う、ヘイ! 破れた? ではまた改めて縫いましょう、ホイ!
あなたは今日もお務めへ、ヘイ! お帰り? ではご膳を上げましょう、ホイ!
(『詩経』国風・鄭風「緇衣」)
「兮」の字は鳴子の象形で、掛け声や合いの手を意味する。鄭風には21の歌が収められているが、そのうち四言句だけで歌われたのは8つしかない。崩し方も一番の中に一カ所二カ所だけ、というわけではなく、始めから調子を崩した歌が多い。
対して孔子が息子の鯉に学べと言ったことになっている(論語陽貨篇10)、周南の歌では11中8、召南の歌では14中7、お行儀よく四言句が並んでいる。鄭風のお行儀率が38%であるのに対し、周南が73%、召南が50%ということになる上、破格の句は一首の中で一つか二つ。
それもまた儒者が孔子の片棒を担ぎ挙げて、わざとそういう歌を鄭風に入れた、あるいは書き換えた、または冒頭に調子を崩した歌を載せた、その可能性は高いものの、疑い出せばきりがない。その疑い無しに『詩経』を見ると、確かに鄭の歌は変わってはいる。
だがそれが淫らかどうか、ワイセツとまでは言えないだろう。騒がしい程度ではなかろうか。