論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「年四十而見惡焉、其終也已。」
校訂
後漢熹平石経
子白年卌見惡焉其終也已
- 「年」字:〔丰丶〕
- 「卌」字:〔卌一〕
- 「惡」字:〔亞〕内に〔一〕一画あり。
- 「其」字:上部に縦一画あり。
定州竹簡論語
(なし)
復元白文(論語時代での表記)
※惡→亞・焉→安。論語の本章は、「也」の用法に疑問がある。本章は少なくとも、戦国時代以降の儒者による改変を加えられている。また儒者による評論がない。本章は後漢帝国の儒者による創作である。
書き下し
子曰く、年四十にし而惡ま見焉るは、其れ終り也る已。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「四十歳になって嫌われてしまうのは、その人物はもうおしまいだ。」
意訳
四十にもなって人に嫌われる人物は、もうおしまいだな。
従来訳
先師がいわれた。――
「人間が四十歳にもなって人にそしられるようでは、もう先が見えている。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「四十歲還讓人厭惡的人,一輩子都完了。」
孔子が言った。「四十歳になってもまだ人に嫌われる人は、一生が全て終わっている。」
論語:語釈
年
(金文)
論語の本章では”年齢”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は、作物がねっとりと実って、人に収穫される期間という。一方『字通』では、穂の付いた作物を象ったかぶり物をかぶった人の姿で、女性の場合は委、子供の場合は季と書き、低い姿勢で舞って豊作を祈ったという。詳細は論語語釈「年」を参照。
四十
論語の本章では”四十歳”。発掘研究によると、論語の時代、庶民の平均寿命は三十前後で、四十と言えば長寿に数えられる。貴族はもっと長生きする者が多いが、七十過ぎまで生きた孔子は、やはり長寿の部類に入る。論語語釈「四」・論語語釈「十」も参照。
見
(金文)
論語の本章では、受け身を表す助辞。日本古語の「る・らる」に相当する。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は人が目立つものを目に止めることで、能動的に見る行為を表すと言うより、見える、現れるなど、見られる受動的な意味合いを持つ。詳細は論語語釈「見」を参照。
惡/悪
(金文大篆)
論語の本章では”憎む”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。近音で部品の「亞」の初出は甲骨文で、「悪と通ず」と『大漢和辞典』はいい、”みにくい”の語釈をのせる。『学研漢和大字典』による原義は亜=建物のくぼんだ基礎+心で、くぼんだ穴に押し込められたような気分を意味する。詳細は論語語釈「悪」を参照。
武内本には、「兪樾(清代の儒者)云、惡は䛩の借字、譏るなり」と言う。
焉(エン)
(金文)
論語の本章では”~てしまった”。その通り、然り、という完了を意味する助辞。初出は戦国時代末期の金文。『学研漢和大字典』に「安・anと焉・ɪanとは似た発音であるので、ともに「いずれ」「いずこ」を意味する疑問副詞に当てて用い、また「ここ」を意味する指示詞にも用いる」とあり、『大漢和辞典』の安条に「助辞、然の意」とある。
同じく「たり」と読み下す文字のうち、自らにはどうしようもなく終わってしまう意味合いを持ち、あたかも裁判で判決を下されたような終わり方を意味する。詳細は論語語釈「焉」を参照。
其(キ)
(金文)
論語の本章では近称の指示詞で、”それ”を意味する。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は農具の箕。詳細は論語語釈「其」を参照。
終
(金文)
論語の本章では”終わる”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は、冬の貯蔵用の食物をぶらさげたさま。一年がその季節に終わることから、終わりを意味するようになったという。詳細は論語語釈「終」を参照。
武内義雄『論語之研究』では「終也已」を「やんぬるかな」と読んでいる。
也(ヤ)
(金文)
論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。
已
論語の本章では、断定の助辞「也」と終了・限定を意味する「已」の組み合わせで、”~であるだけ”。伝統的には二文字で「のみ」と読み下す。詳細は論語語釈「已」を参照。
論語:付記
論語の本章の史実性について、『論語之研究』は疑義を挟んでいない。しかし五十代初めで政権中枢についた孔子は、貴族からも庶民からも嫌われる政策を強行して魯国を追い出された。この事実からすると、本章は孔子の反省の辞でなければ、後世の捏造と言ってよい。
あるいは四十ほどで中堅官僚として生活していた頃の言葉だろうか。そこそこ弟子が集まり始めた時期で、そうなるとこれは孔子の豪語となる。とてもではないが亡き師の言行録に載せられない、とされていたのを、お節介な戦国の儒者が脹ましのために入れたのだろうか。
そうではあるまい。本章が定州竹簡論語に無いことから、恐らくは前後の漢帝国が入れ替った後になってつけ加えられた、全くの創作である可能性が強い。古注を見よう。
註鄭𤣥曰年在不惑而為人所惡終無善行也
鄭玄「歳が不惑になって、人に憎まれるなら、終わりまで善行をしないのである。」(『論語集解義疏』)
鄭玄はいつも通り個人的感想を書き記しているだけだが、鄭玄だけが注を付けており、前漢の儒者と想定された孔安国や、前後の漢帝国交代期を生きた包咸の注を記していない。これらの注が古注で全ての注に付けられているわけではないが、本章が前漢にあった証拠もまた無い。
一方『論語集釋』に「漢石経作”年卌見惡焉”」とあるから、後漢末には本章があったことになる。本章がその頃の創作だと訳者が思う理由は他にもあって、孔子没後戦国秦漢帝国を通じて、「年四十」を引用してどうこう論じた儒者が、ただの一人もいないことだ。
四十という歳がどうこうと言ったのは、おそらく戦国時代の兵書『六韜』からになる。戦車兵と騎兵を四十以下に限れと言っている(犬韜篇)。騎兵が出てくることから、もちろん孔子生前の記事ではない。儒者にとって四十という歳が重要になったのは、後漢の順帝の時だ。
辛卯,初令郡國舉孝廉,限年四十以上,諸生通章句,文吏能牋奏,乃得應選。…閏月丁亥,令諸以詔除為郎,年四十以上課試如孝廉科者,得參廉選,歲舉一人。
陽嘉元年(132)十一月かのとうの日、全国に布令を出した。孝廉(親孝行&控えめ人間認定試験)を実施せよ。ただし受験者は、四十歳以上で、よく本を読んでおり、公文書の書式に通じている者に限る。…うるう月ひのといの日、試験に受かった学者を宮内官に任じた。そして今後四十歳以上の者で、孝廉に受かった者は、帝都で再試験を経た後、毎年一人を役人に取り立てることとした。(『後漢書』順帝紀)
孝廉はそれ以前にも行われていて、「ろくでなしばかりが推薦される」と章帝が愚痴ったことがある(『後漢書』章帝紀14)。この時の改変は四十以上に資格を絞ったことで、中国社会に巨大なくさびを打ち込んだ。儒者=役人にとって、四十と記憶するに足る大事件だったのだ。
孝行や控えめが客観試験で認定できないことはもちろんで、要するに地方官に気に入られた者が役人になる、ということだ。気に入られようとして、実の子を穴埋めする馬鹿者まで出始めた(二十四孝)。後漢のこの度を外れたふざけ方は、論語解説「後漢というふざけた帝国」を参照。
順帝は廃嫡されたのを、宦官のクーデターのおかげで皇帝位に即いた。その褒美に宦官を地方官に任じ、気に入った人物に軍権を丸投げし、官位の世襲を許し、後漢が腐るきっかけを作った「バカ殿」だが、ならば確かに「四十になって人に嫌われ」てはいけないゆえんである。
史実の詮索はこれ以上出来まいが、本章の言葉そのものを吟味することは出来る。確かに四十になっても人に嫌われるようではろくでなしかも知れないが、それには嫌う世間の方がまともだという条件が要る。明清交代期を生きた儒者、李颙(季二曲)は、こう書いている。
呉康斎(明初の儒者)先生は論語を読んで、「四十になっても…。」の部分になると、はっと気付いてため息をつき、言ったという。「私ももう四十二だ。どれだけ人に嫌われているか分かったものじゃない。これからはできる限り何もしないようにし、人に嫌われないようにするしかない。」
先生はまだ二十歳そこそこで、刻苦勉励の結果天下に名の知られた徳のある学者になった。それでもこのような自責の念に駆られるのである。
私はと言えば、つまらない小細工ばかりに精を出して、何をやっても失敗ばかり、人から「あいつは悪党だ」とどんなに言われたか分からない。
だが人は嫌われるばかりの悪人にもなれない。時折素直な心に立ち戻ることもある。だから自分で自分が嫌いになったことのない者、何てことをしでかしたんだろうと思わない者は、一体どう言ったらいいんだろう。(『四書反身録』巻三88)
李顒は父親が明軍の武将として戦死し、王朝の滅亡を目にして引き籠もり、清になってから地方の総督に目を掛けられ、学校の教師に招かれた。当時「権力泥棒の野蛮人」と言われるのが嫌でしょうがなかった康煕帝が、「中華文明の保護者」と言われたい一心で呼び出した。
ところがどう下手に出ても、「病気で行けません」と断った。無理やり連れ出されると、途中で「もう飯を食いません」と言って横になったまま動かなかった。執念深い康煕帝は、ついに自分から会いに来たが、「じじいですから動けません」と断った(『清史稿』李顒伝)。
中国の伝統的観念では、あの世とこの世の違いを、まるで外国に移住する程度に思っている。そしてあの世での幸福はこの世での評判にかかっており、「滅びた王朝に殉じた義士」という噂が立てば、それだけあの世でいい思いが出来るのである。だが打算ばかりではあるまい。
「生きるに値しない世の中だ。」そう思ったように思えてならない。
『論語』陽貨篇おわり
お疲れ様でした。
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