論語324子路篇第十三(22)南人言う有り

論語子路篇(22)要約:論語時代なりの数理、易。孔子先生は四十代の終わりになってやっと学ぶことが出来ました。易は先生だけでなく、当時の有力者がみな頼った、よく当たる占いでした。しかし当たるには、占う者に条件があって…。

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原文

子曰、「南人有言曰、人而無恆、不可以作巫醫*、善夫。不恆其德、或承之羞。」子曰、「不占而已矣。」

校訂

武内本:礼記緇衣篇此語をのす作巫醫を爲卜筮に作る。巫醫は古占筮を掌る、故に作巫醫は爲卜筮と同意。

書き下し

いはく、南人なんじんふ有り、いはく、ひとにしつねなきは、もつ巫醫ふいす可からずと、かなとくつねにせず、あるひはぢこれすすむと。いはく、うらなはざる而已のみなり

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逐語訳

論語 孔子
先生が言った。「南方のことわざに言われたこととは、つまり、人であって不動心がなければ、呪術医の仕事をしてはならない、と。意味ある言葉だな。人格を安定させないと、時として恥をかく、ともいう。」先生が言った。「占わなければよろしい。」

意訳

論語 孔子 悩み
南方のことわざでは、情緒不安定な者は呪術医になるな、という。全くだ。『易』にも書いてある。情緒不安定なまま占うと、外して恥をかくと。そんな時は占わなければよろしい。

従来訳

先師がいわれた。
「南国の人の諺に、人間の移り気だけには、祈祷師のお祈りも役に立たないし、医者の薬もきかない、ということがあるが、名言だ。また、易経に、徳がぐらついていると、いつかは、だれかに恥辱というお土産をいただくだろう、という言葉があるが、これもまちがいのないことだ。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

南人

南方の人。楚や呉・越、陳・蔡の人などがあたる。

論語 楚国周辺地図

Map via http://shibakyumei.web.fc2.com/

恆(恒)

”常”。論語の本章では”恒常心・不動心”。

不可以作巫醫(医)

古注では、「巫医の手にも負えない」とし、新注では「巫医の仕事をしてはならない」という。論語の本章では新注に従った。

武内本に言う『小載礼記』の引用は以下の通り。

子曰:「南人有言曰:『人而無恒,不可以為卜筮。』古之遺言與?龜筮猶不能知也,而況於人乎?《詩》云:『我龜既厭,不我告猶。』《兌命》曰:『爵無及惡德,民立而正事,純而祭祀,是為不敬;事煩則亂,事神則難。』《易》曰:『不恒其德,或承之羞。恒其德偵,婦人吉,夫子凶。』」

子曰く、南人言う有り、人にし而恒無くば、以て卜筮を為す可から不と。古之言を遺せる。亀筮猶お知る能わ不る也、し而況んや人に於ける乎。詩に云く、我うらなえども既にき、我に告げ不るが猶しと。命に曰く、爵無くして徳を悪むに及ばば、民立ち而事を正正し、しろいとも而祭り祀るも、是れ不敬為り。事煩しからば則ち乱れ、神に事えて則ち難しと。易に曰く、其の徳恒なら不らば、或いは之を承けて羞じるあり。其の徳を恒にしてうかがわば、婦人は吉し、夫子は凶し。


詩に云く:『詩経』小雅・小旻から。

巫醫(医)

占い師と医者、とも読めるが、当時医者の多くは呪術を行ったので、論語の本章では呪術医と解した。医術が呪術と切り離されるのは、知る限りでは後漢末期の『傷寒論』からになる。

善夫

句末の「夫」は”かな”と読み下す感嘆辞。「善」とは”能力”のことで、論語の本章では”意味のある言葉だなあ”。

不恆其德(不恒其徳)

論語の本章では”その人格に恒常性がなければ”。「徳」は人格力のこと。詳細は論語における「徳」を参照。「不恆其德、或承之羞」は、現行『易経』の「恆」の卦に見える。

或承之羞

ここでの「或」は、論語の本章では”ある場合には”。「之」は直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持たない。

而已矣

論語の本章では”~するだけでおしまいだ”。

三文字で「のみ」と読み下すこともできるが、「のみなり」と読んだ方が丁寧だし、「だけである」という断定の意をくみ取れる。

論語:解説・付記

古代中国の医者が占い師の一分野であったことは、他の文明圏と変わらない。旧字体「醫」の下半分「酉」は薬酒を入れたとっくりであり、上半分は『字通』によると「(也)は呪医が矢で病気を祓うときに叫ぶ声を示」す。論語時代の医者も、多くは占い師との兼業と想像する。
論語 子路篇 呪医

というのも、いわゆる漢方の成立は後漢末の『傷寒論』まで待たねばならず、中国医学は鍼灸の方が先行した。殷墟からハリが出てきたことがその証拠で、灸の方は遺物として残るものではないから何とも言えないが、経験則的に押せば気持ちのよいツボが知られたのだろう。

しかし系統立った経絡の知識が論語時代にあったかとなると疑問で、最古の経絡書『黄帝内経』は前漢代の成立。しかも当の論語に、孔子が病気になった際、子路は祈祷で直そうとしている(論語述而篇34)。従って本章の「巫醫」を、巫女と医者に分けるのは合理的でない。

易については、中国古代では亀の甲羅や鹿の骨を使った占いの方が先行した。殷王朝が神権政治であり、そこでは甲羅や骨に焼け火箸を押し付け、出来たひび割れで神意を伺ったとされる。しかし吉凶の判断は王自身が行い、極めて恣意的で、かつあまり当たらなかったようだ。

論語時代も骨占いは残ったが、「甲羅がげてしまった」などの記述が『春秋左氏伝』に見え、あまり当てにされていなかったらしい。一方筮竹を操って天意を問う易は、しばしば『左伝』に見えるのみならず、論語時代の晋の実力者・趙簡子でさえ当てにしている。

趙簡子は政治のためならどんなことでもやってのける合理主義者だったが、勝ちに乗じて軍を転進させてはと提案されて、「占っていないからやらない」と言っている。論語時代、趙簡子以外の諸国の政治家も、また易に信頼を置いたことは、同じく『左伝』に見られる。

その中で孔子は、四十代の終わり頃になってやっと『易』を入手し、勉強を始めたことが論語述而篇16に見える。孔子ほどの学問熱心が、その時期にならないと易を手に出来なかったのは、論語時代では『易』が社会から秘匿されていた秘術だったことを物語る。

当時の『易』が現存する『易経』と同一でないことは明らかだが、『易経』から想像する限り、それは当時なりの数理であって、客観性を持っていた。従って占いに客観性を持たせるには占う者自身が客観的でなければならず、つまりは不動心・恒常心が必要だった。

論語の本章に言うのはこれ。商売ではなく、好きで易を占っている人の文を読むと、心が平静な時に出た結果は、よく当たるのだそうだ。科学に疎い訳者には、そのからくりは分かりかねるが、少なくとも自然を前にしてその行き先を知るには、情緒の安定が必要だろう。

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コメント

  1. […] 一方『字通』によると、殹は呪医が矢で病気を祓うときに叫ぶ声「や」であり、治す技術として占いが主であれば毉であるし、内服薬が主であれば醫となる道理。 […]