論語詳解227子罕篇第九(23)後生畏る可し

論語子罕篇(23)要約:孔子先生が最も期待した弟子、顔回の死没を悼んだ先生。顔回は時に先生を畏敬させるほど、優れた人格でした。無様に老いさらばえる者もいれば、若くとも畏敬すべき人もいる。そう先生は顔回を悔やむのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「後生可畏*、焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已*。」

校訂

武内本:清家本により、畏の下に也の字を補う。文末に矣の字を補う。

書き下し

いはく、うまおくれたるものおそし、いづくんぞたるものいまかざるをらむ。四十五十にしきこゆるかりらば、おほいおそるるにらざる也已のみ

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 切手
先生が言った。「若者は貴ぶべきだ。どうしてあとから来た者が今の者に及ばないと分かるか。ただし四十五十になっても噂が聞こえないなら、それほど尊ぶ必要は無い。」

意訳

論語 孔子 ぐるぐる
顔回は若死にしたな。
若者を侮ってはならない。若いからといって自分より劣りとどうして分かる。四十五十になって何のいい話もないなら別だが。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。
「後輩をばかにしてはならない。彼等の将来がわれわれの現在に及ばないと誰がいい得よう。だが、四十歳にも五十歳にもなって注目をひくに足りないようでは、おそるるに足りない。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 畏 金文 論語 畏 解字
(金文)

論語の本章では、恐れると言うより、気圧されると言った方が正しい意味に近い。原義は暴力や得体の知れなさで脅される「恐」「懼」と同じで、鬼の首とバケモノを組み合わせた会意文字。

亦(エキ)

論語 亦 金文 論語 学而 亦 エキ
(金文)

論語の本章では”たいそう”。論語の冒頭学而篇1「学びて…」の章と同様、「また」と読んではわけがわからない。漢文でこのことばに出くわした時は、「大いに」と読めないか先ず考えるのがコツ。『学研漢和大字典』による原義は人間の両脇。

四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已

句読を切り変えて、「焉」を後の句頭に持ってくると、以下の通り意味が変わる。

四十五十にしてきこゆるきも、いずくんぞおほいおそるるにらざる也已のみならんや。
(四十五十になっても噂にならなくとも、どうして取るに足らないと言えるだろうか。)

前章、論語子罕篇22と本章が続きと解釈すると、無名のまま四十ほどで死んでいった顔回を孔子がおとしめるとは思えず、この切り分けには理がある。また孔子は「聞人」=”目立ち者”を嫌っており、論語では顔淵篇20で「一人前ではない」と言い切り、『史記』『孔子家語』では、「聞人」(有名人)として有名だった少正ボウを処刑している。

一方、孔子は51歳で中都の代官に任命され、政界デビューを果たした。それを思うと、遅くとも五十代で有名にならなくちゃいかんよと説いたのかも知れず、どちらが正しい解釈か訳者は迷っている。

也已(ヤイ)

論語 也 金文 論語 已 金文
(金文)

也矣(ヤイ)と同じで、強い断定を表す助字。論語には珍しい、熟語である。

論語:解説・付記

論語 顔回
これも古来、顔回のことだと解する。顔回は四十で亡くなったことになっている。

ここで孔子が、「若者を甘やかせ」と言っているのではないことに注目したい。上の世代から甘やかされて、就職したとたんに下の世代をいじめにいじめ抜き、中年以降になってものすごく図々しい生き物になった世代を、私は目にしているから。

論語 電車
まさに「後世中年たらば恐るべし」である。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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