論語詳解260先進篇第十一(7)顔淵死す。顔路子の車を

論語先進篇(7)要約:孔子先生が最も期待した弟子の顔回が亡くなり、その父親が先生の車を乞います。貧しくて棺を覆う木箱が作れず、先生の車の部材で作りたいというのです。しかし君子に車は不可欠、先生は気の毒げに断るのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

顏淵死、顏路請子之車以爲之槨*。子曰、「才不才、亦各言其子也。鯉也*死、有棺而無槨*。吾不*徒行以爲之槨、以吾從大夫之後、*不可徒行也。」

復元白文

論語 顔 金文論語 淵 金文論語 死 金文 論語 顔 金文論語 路 金文青 金文論語 子 金文之 金文車 金文㠯 以 金文論語 為 金文之 金文論語 木 金文享 金文 論語 子 金文論語 曰 金文 論語 才 金文論語 不 金文論語 才 金文 論語 亦 金文各 金文論語 言 金文論語 其 金文論語 子 金文也 金文 論語 里 金文也 金文論語 死 金文 論語 有 金文論語 木 金文而 金文論語 無 金文論語 木 金文享 金文 論語 吾 金文論語 不 金文論語 徒 金文論語 行 金文㠯 以 金文論語 為 金文之 金文論語 木 金文享 金文 㠯 以 金文論語 吾 金文論語 従 金文論語 大 金文論語 夫 金文之 金文論語 後 金文 論語 不 金文論語 可 金文論語 徒 金文論語 行 金文也 金文

※請→青・槨→木享・鯉→里・棺→木

校訂

武内本:清家本により、不の下可の字を補う。後の下吾以の字を補う。唐石経車下、以爲之椁の句あり。鯉下也の字あり。槨、椁に作る。吾不の下可の字なく、後の下吾以二字なし。

書き下し

顏淵がんえんす。顏路がんろくるまひてもつこれくわくつくらむとす。いはく、さい不才ふさいも、また各〻おのおのせるとき、くわんくわくかりき。われ徒行とかうしてもつこれくわくつくらざりしは、大夫たいふしりへしたがふをもつて、徒行とかうからざればと。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 顔回 論語 孔子 哀
顔淵が死んだ。父親の顔路が、先生の車を貰い、その部材で外棺を作りたいと願った。先生が言った。「才能がある無いと言うのも、それぞれ自分の子について言うなあ。息子の鯉が死んだ時、内棺は作れたが外棺は無かった。私が歩いて出かけることで息子の外棺を作らなかったのは、私が家老の末席に加わっていたから、歩いて出かける訳にはいかなかったからなあ。」

意訳

顔淵(顔回)が死んだ。
父親の顔路「先生、車を頂戴できませぬか。」
孔子「車をどうする?」
顔路「部材で外棺を作りたいと存じます。貧しくて作れぬのです。」
孔子「ああ、気持ちはよく分かる。顔回のように出来のいいのも、愚息のように出来の悪いのも、共に父親にとっては息子には違いないのだよ。愚息の時も外棺が作れなかった。だが私は家老の末席にいるから、車なしで歩いて出歩くわけにはいかない。こたびも申し訳ないが…。」

従来訳

論語 下村湖人

顔渕が死んだ。父の顔路は彼のために外棺を造ってやりたいと思ったが、貧しくて意に任せなかった。そこで先師に願った。――
「先生のお車をいただけますれば、それを金にかえて、外棺を作ってやりたいと存じますが……」
 すると先師はいわれた。――
「才能があろうとなかろうと、子の可愛ゆさは同じだ。私も子供の鯉りが死んだ時には、せめて外棺ぐらい作ってやりたい気がしないでもなかった。しかしついに内棺だけですますことにしたのだ。私がその時、徒歩する覚悟にさえなれば、車を売って外棺を作ってやることも出来ただろう。しかし、私が敢てそれをしなかったのは、私も大夫の末席につらなっているので、職掌から、徒歩するわけに行かなかったからなのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

顏淵死,顏淵的父親顏路請孔子賣車給顏淵做槪,孔子說:「有才無才,都是兒子。我的兒子孔鯉死時,有棺而無槪我不賣車步行為他做槨,因為我做過大夫,不可以步行。」

中国哲学書電子化計画

顔淵が死んで、顔淵の父である顔路が孔子に、車を売って顔淵の体裁を整える費用を下さいと願った。孔子が言った。「才の有るも無いも、どちらも子供だ。我が子孔鯉が死んだとき、ひつぎは用意できたが体裁は整えられなかった。私も車を売って歩くことにはせず、あれの棺覆いを作らなかった。なぜなら私は家老になっていたから、歩いて出かけるわけにいかなかったからだ。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

顏(顔)淵死

論語 顔 金文 論語 淵 金文
「顔淵」(金文)

孔子は晩年、息子や弟子に先立たれる不幸に見舞われた。

BC 魯哀公 孔子 魯国 その他
484 11 68 魯に戻る。 呉と連合して斉に大勝
482 13 70 息子の鯉、死去 呉王夫差、黄池に諸侯を集めて晋・定公と覇者の座を争う。晋・趙鞅、呉を長と認定(晋世家)。呉は本国を越軍に攻められ、大敗
481 14 71 斉を攻めよと哀公に進言、容れられず。弟子の顔回死去 孟懿子死去。麒麟が捕らわれる 斉・簡公、陳成子(田常)によって徐州で殺され、平公即位
480 15 72 弟子の子路死去

子服景伯と子貢を斉に遣使

斉、魯に土地を返還、田常、宰相となる

479 16 73 死去。

請→青

論語 請 金文 青 金文
「請」「青」(金文)

論語の本章では”澄んだ目で見つめ(てものを言う)”。この文字の初出は戦国末期の上掲金文で、論語の時代に存在しないが、『学研漢和大字典』に以下の通り言う。

会意兼形声。青(セイ)とは「生(あお草)+丼(井戸の清水)」をあわせた会意文字で、あおく澄んでいること。請は「言+(音符)青」で、澄んだ目をまともに向けて、応対すること。心から相手に対するの意から、まじめにたのむの意となった。

従って論語の時代には「青」と書いた可能性があり、こちらは論語時代の金文が存在する。

また平声(カールグレン上古音dzʰi̯ĕŋ:うける)の同音に靜(静)の字がある。『大漢和辞典』によるその語釈に”はかる”があり、四声を無視すれば音通する。詳細は論語語釈「請」を参照。

槨(カク)

論語 槨 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では”棺を覆う木箱”。中国の棺桶は二重で、外棺を槨という。椁も同意。「槨」の字は後漢の『説文解字』にすらなく、部品の郭は戦国時代の金文が初出。異体字の椁も同じ。ただしその部品の「享」は、論語時代の金文に存在する。恐らく当時、「木享」と二字で書いたのではないか。

槨そのものは陝西省宝鶏市の秦公一号大墓など、春秋時代にも存在が確認されており、また百度百科によると、次のような「椁」の甲骨文・金文・篆書を載せている。
槨 百度

ただしご覧の通り見るからに三文字コピーでいい加減であり、信用できるとは言いかねる。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「木+(音符)郭(まわりをとりまく)の略体」。郭(家なみをとりまく外城)と同系のことば、という。

論語の本章では”ひつぎ”。この文字の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代には存在しない。同音同訓の櫬も同様。『大漢和時点』所収の同訓”ひつぎ”の漢字に、これ以外の同音または近音の漢字は存在しない。
棺 大漢和時点

部品の官に”ひつぎ”の語義は無い。上掲のように木にはあるが、一切合切のwoodが全て棺桶を意味するわけでもあるまい。ただし「部品の遡上」の原則に従い、とりあえず論語の時代は「木」と書いたとしておく。

論語:解説・付記

論語 孔子 哀
放浪から帰国した孔子は、後ろ盾となる呉国の没落後、魯国政府で非常勤の相談役のような立場にいたが、それにもかかわらず息子の外棺が作れなかった事になる。家老格としてはあり得ないことで、俸禄を受け取っていなかったか、極端に薄給だったのだろうか。

なお結局は車を提供したらしいことが、論語衛霊公篇26に見える。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。

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