論語:原文・書き下し
原文(唐開成石経)
子游曰事君數斯辱矣朋友數斯䟽矣
- 「䟽」字:「疏」の異体字。
校訂
東洋文庫蔵清家本
子游曰事君數斯辱矣朋友數斯䟽矣
- 「友」字:〔又〕の右隣に〔丶〕。
- 「䟽」字:「疏」の異体字。
後漢熹平石経
子…
定州竹簡論語
(なし)
標点文
子游曰、「事君數、斯辱矣。朋友數、斯疏矣。」
復元白文(論語時代での表記)
數 數 疏
※疏→苴(甲骨文)。論語の本章は、「數」の字が論語の時代に存在しない。「辱」の用法に疑問がある。本章は戦国末期以降の儒者による創作である。
書き下し
子游曰く、君に事へて數せば、斯に辱ある矣。友に朋れるに數せば、斯に疏ある矣。
論語:現代日本語訳
逐語訳
子游が言った。「主君に仕えて近寄りすぎると、そういう場面では見下げられる。友人と付き合って近寄りすぎると、そういう場面ではいやがられる。」
意訳
游さんのお説教。「主君も友人も、適度な距離を置いて付き合わないと嫌われる。」
従来訳
子游がいった。――
「君主に対して忠言の度が過ぎると、きっとひどい目にあわされる。友人に対して忠告の度が過ぎると、きっとうとまれる。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
子游說:「在領導面前愛嘮叨,就會自取其辱;在朋友面前愛嘮叨,就會遭到疏遠。」
子游が言った。「権力者の目の前でくどくど話したがると、すなわち自分で恥を呼ぶことになる。友人の目の前でくどくど話したがると、すなわち遠ざけられることになる。」
論語:語釈
子游(シユウ)
孔子の弟子。孟子によって文学の才と礼法の実践を評価され、孔門十哲に加えられた一人(孔門十哲の謎)。その実、師の孔子が来ると知って住民にヤラセをやらせ、孔子没後は金儲けに開き直って冠婚葬祭業界の親玉になるなど、如何わしい男だった。詳細は論語の人物:「言偃子游」と、論語為政篇7を参照。
「子」は貴族や知識人に対する敬称。殷代の当初は、王族を意味した。春秋時代になると、子游のように学派の弟子や一般貴族は、「子○」と呼ばれる。対して孔子のような学派の開祖や上級貴族は、「○子」と呼ばれる。魯国門閥の当主であり、孔子の友人でもある孟懿子はその一例。詳細は論語語釈「子」を参照。
「游」は水上をプカプカと浮かぶこと、すなわち”水泳”を意味した。甲骨文までは「遊」と書き分けられず、旗を立てて一人で出歩くことだった。論語の時代は、”遊ぶ”・”旅する”を意味した。詳細は論語語釈「游」を参照。
事(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”奉仕する”。初出は甲骨文。甲骨文の形は「口」+「筆」+「又」”手”で、口に出した言葉を、小刀で刻んで書き記すこと。つまり”事務”。「ジ」は呉音。詳細は論語語釈「事」を参照。
君(クン)
(甲骨文)
論語の本章では”君主”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「丨」”通路”+「又」”手”+「口」で、人間の言うことを天界と取り持つ聖職者。春秋末期までに、官職名・称号・人名に用い、また”君臨する”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「君」を参照。
數(ス/サク/ショク)
(金文)
論語の本章では”接触を増やす”。「スウ」は慣用音。新字体は「数」。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)で「ス」は”かず・かぞえる”を、「サク」は”わずらわしい・しばしば”を、「ショク」は”細かい”を意味する。字形は「婁」”女性が蚕の繭を扱うさま”+「攴」”手を加える”で、原義は”数える”。詳細は論語語釈「数」を参照。
斯(シ)
(金文)
論語の本章では”そういう場面”。初出は西周末期の金文。字形は「其」”籠に盛った供え物を祭壇に載せたさま”+「斤」”おの”で、文化的に厳かにしつらえられた神聖空間のさま。意味内容の無い語調を整える助字ではなく、ある状態や程度にある場面を指す。例えば論語子罕篇5にいう「斯文」とは、ちまちました個別の文化的成果物ではなく、風俗習慣を含めた中華文明全体を言う。詳細は論語語釈「斯」を参照。
辱(ジョク)
(甲骨文)
論語の本章では”恥をかかされる”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「辰」”大鎌”+「又」”手”で、原義は「くさぎる」、つまり大ガマで草を刈ることで、転じて”刈り取る”の意か。現在ではその意味には「耨」を用いる。”はじ”の語義は戦国時代から。詳細は論語語釈「辱」を参照。
矣(イ)
(金文)
論語の本章では、”…てしまう”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。
朋(ホウ)
(甲骨文)
論語の本章では”付き合う”。この語義は春秋時代では確認できない。「朋友」で”友人・仲間”を意味するが、上の句の「事君」と対応すべき「朋友」は、動詞と目的語に解すべき。初出は甲骨文。字形はヒモで貫いたタカラガイなどの貴重品をぶら下げたさまで、原義は単位の”一差し”。春秋末期までに原義と”朋友”の語義が確認できる。詳細は論語語釈「朋」を参照。
友(ユウ)
(甲骨文)
論語の本章では”友人”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は複数人が腕を突き出したさまで、原義はおそらく”共同する”。論語の時代までに、”友人”・”友好”の用例がある。詳細は論語語釈「友」を参照。
疏(ソ)
(楚系戦国文字)
論語の本章では”うっとうしがられる”。この文字の初出は楚系戦国文字で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「疋」”足”+「㐬」”吹き流し”。「疋」は音符。戦国の竹簡での語義はよく分からない。原義は”通じる”の意とも言われるが不明。詳細は論語語釈「疏」を参照。
論語:付記
検証
論語の本章は定州竹簡論語に無く、文字史的に論語の時代まで遡れない事に加え、漢石経を除き先秦両漢の誰一人引用していないし、再録もしていない。しかも漢石経は破損が甚だしく、『漢熹平石經殘字集録』に従って「子游」の「子」としたが、果たしてどこまで信用していいやら分からない。
事実上の初出は南北朝時代に成立した古注『論語集解義疏』で、前漢の孔安国が注をつけているが、この男は実在そのものが疑わしい。
註孔安國曰數謂速數之數也
注釈。孔安国「”数”とは”速数”の”数”である。」
解説
古注の「速數」(速数)という漢語は、先秦両漢の文献で一切ヒットしない。つまり孔安国の生きたとされる前漢時代前期の言葉ではない疑いが強い。『大漢和辞典』にも載っていない。『中日大字典』にも「国学大師」汉语词典にもない。後漢儒者の造語と言ってよい。
「速数」には古注に「疏」”付け足し”を書いた皇侃など三国から南北朝の儒者も困ったようで、「速而又數則是不節也」”素早く数が多いのはけじめや慎みが無いことだ”と分かったような分からないような追って書きを書き付けてお茶を濁している。
古注の次に流行った論語の注釈に、北宋の邢昺が編んだ『論語注疏』があるが、邢昺もわけが分からぬまま「速数」を記し、「數則瀆而不敬」”数多いというのは、なめてかかって敬わないことに違いない”と創造で補って解釈している。「速」についてはだんまりを決め込んだ。
これだからのちに南宋の朱子が新注『論語集注』を書くと、あっという間に駆逐されたのも当然かも知れない。ただし朱子自身では「數,色角反」と音を記した以外の解釈をせず、「速数」は見なかったことにして済ませ、「数」の解釈は当時の権威者に丸投げしている。
新注『論語集注』
程子曰:「數,煩數也。」胡氏曰:「事君諫不行,則當去;導友善不納,則當止。至於煩瀆,則言者輕,聽者厭矣,是以求榮而反辱,求親而反疏也。」范氏曰:「君臣朋友,皆以義合,故其事同也。」
程頤「数とは、わずらわしいことだ。」
胡寅「主君に仕えて意見しても、言うことを聞いて貰えないならさっさと辞めたらよい。友達を善良へと導こうとしても、従わないなら二度と説教しないことだ。もしうんざりするまで責め立てたら、必ず言った者はバカにされるし、聞いた者はうんざりする。その結果名誉を求めたのに恥ずかしい思いをし、友情を求めたのに嫌われ者になるのだ。」
范祖禹「主君と家臣、友人同士の関係は、どちらも正義を共有するから一緒にいる。だから付き合い方はどちらも同じだ。」
「速」「数」のカールグレン上古音はsuk(入)・sŭk(入)で、「数」にはsli̯u(上/去)の音もあるが”わずらわしい”ではない。sŭk(入)の同音は「欶」のみで、語義は”吸い付く”。「速」には漢初の『爾雅』に”せまりきわまる”の語釈があり、「速数」とはべたべたくっつくこと。
また二字はsuk-sŭkとほとんど同音だから、「速速」の意と解してもよい。 ̆は超短音を表し、ブリーヴ(短音符)と言うらしい。ロシア趣味者としてはイークラートカエ(Й)の上のクラートカエ”短い”と言いたいところだが、「欶」ならぬ漱石先生を思い出すとためらう。
「希臘語云々はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」(『吾輩は猫である』)。
※希臘:ギリシア。
余話
論語読みの論語知らず
訳者はロシア語については辞書を引くのがやっとの趣味者に過ぎないことを白状しておく。知らんことを知ったかぶりして虚喝(ハッタリ)に用いるのは本読みの悪い癖で、儒学の場合孔子の昔からあったらしい。だから孔子は「知ったかぶりするな」(論語為政篇17)と説教した。
だが訳者が出会った教師稼業者の多くは、知ったかぶりの虚喝を加える者はまだ人のいい方だった。どんな教師に出会ってきたかは論語子罕篇23の余話に書いた。どうやら人間には獣性があって、少々の学問をした程度では、獣臭を臭わせて平気で世を渡っていく生き物らしい。
訳者若年時の思い出として、通っていた学校の漢学教授に連れらて、とある博物館に入ったところ、珍妙な青銅器があった。当時NHKが中国の回し者になるのを手伝っていたN教授に「何ですか」と尋ねたところ、「これ漬物とか入れるんだよ。美味いんだよ」と誤魔化された。
つまりどんな素人であっても、今やその気さえあれば漢学教授の漢学知識を超えることが調べられるし、ひいては漢学そのものが、IT時代の今では有り難がる必要の無い、趣味の領域に属するものだ、ということだ。そういう時代に、漢籍を楽しみたい人だけが楽しむといい。
だから『論語』も『孟子』も肩ひじ張らずに、楽しむために読んだらどうだろう、と思う。かつて友人に漫画『キングダム』について問われて、「漢文読みとして、ここそこが間違い、と言うのは簡単だが、それは筋違いで、漫画なんだから読む人が楽しむことが全て」と答えた。
対して孔子や漢籍を今でも崇拝の対象にする人がいるかも知れない。信教の自由は守るべき憲政の基本ではある。しかし漢文読みとしてもしものを言うなら、僅かの例外を除いて、儒教は人を不幸にしかしてこなかった、という史実にだんまりを決め込むわけにはいかない。
本国中国の史書や、外国で中華文明を受け入れた例として例えば『李朝実録』を読んでも思うのは、論語や孟子をよく読んでいたはずの人が、どうしてこんなにむごいことを平気で出来たのか、という疑問だ。人の道を説く経典を拝み読んだのち、野獣同然なら意味が無い。
儒教に限らず、宗教は必ずしも人を幸せにしないということだろうか。
猫項下偶帶數珠。老鼠見之。喜曰。猫喫素矣。率其子孫詣猫言謝。猫大呌一聲。連啖數鼠。老鼠急走。乃脫伸舌曰。他喫素後越兇了。
ある猫が、ご主人様に貰った数珠を首輪にかけていた。老ネズミがそれを見て喜んだ。「この猫は出家したんだな、もう我らを取って食うまい。」さっそく一族のネズミどもを引き連れて、猫に感謝の挨拶に行った。猫はニャンと大きく一言鳴くと、立て続けに数匹の鼠を取って食った。老ネズミは走り逃げながら、息も絶え絶えに言った。「奴め、出家した途端にいっそう凶暴になりよった!」(『笑府』巻十二・喫素)
日本語にも「論語読みの論語知らず」という。西洋には異端審問官がおり、漫画にはモズグス様の例がある。対して孔子は悪どい陰謀もやったが、弟子の就職先を探すため、宰相を辞め国を出た。孟子はほら吹きで世間師だったが、人をいじめるのはよくない、と生涯言い続けた。
乱暴者は人類史の終わりまでいなくならないだろうが、人を不幸にする崇拝に手を貸すなら、乱暴者よりもっと乱暴と言わなければならない。『論語』も『孟子』も、『史記』も『十八史略』も、もう拝んで読むのは止めよう。人生のひとときを楽しむために読んでいこう。
本サイトがそのお手伝いを出来るなら幸いに思う。
『論語』里仁篇おわり
お疲れ様でした。
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