論語詳解078里仁篇第四(12)するどきを放ち°

論語里仁篇(12)要約:利益は誰もが欲しがる。でもやることなすこと利得づくでは、誰も味方してくれない。それはついに、自分を破滅させる危険もある。そう孔子先生が説いたと思われていましたが、実はもっとドロドロした話でした。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「放於利而行、多怨。」

校訂

定州竹簡論語

]曰:「放於利而行,多怨。」69

復元白文

論語 子 金文論語 曰 金文 放 金文於 金文論語 利 金文而 金文論語 行 金文 論語 多 金文夗 怨 金文

※怨→夗。

書き下し

いはく、するどはなおこなはば、うらみおほし。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 切手
先生が言った。「自分の能力を思うままに発揮して行動すると、怨みが多い。」

意訳

論語 孔子 キメ
自分の能力にものを言わせて好き放題すると、怨まれるぞ。

従来訳

論語 下村湖人
 先師がいわれた。――
「利益本位で行動する人ほど怨恨の種をまくことが多い。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「一切按利益行事的人,人人厭惡。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「すべて利益ばかり考える人は、人々が忌み嫌う。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 。」

論語 利 金文 論語 利 字解
(金文)

論語の本章では”するどい”。原義は稲刈りで、そこから”するどい”が派生し、”利益”はさらなる派生義。詳細は論語語釈「利」を参照。

論語 放 金文 論語 背伸び 放
(金文)

論語の本章では”好き放題に行う”。『大漢和辞典』の第一義は”はなつ”であり、何事かを解放すること。欲しいままに自由にさせること。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、方は、両側に柄の伸びたすきを描いた象形文字。放は「攴(動詞の記号)+〔音符〕方」で、両側に伸ばすこと。緊張や束縛を解いて、上下左右に自由に伸ばすこと。

房(母屋(オモヤ)の左右に伸びたわきべや)・妨(両手を左右に伸ばして行く手をふさぐ)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「放」を参照。

放於利

論語の本章では、”遠慮無く能力を発揮すること”。従来の論語解釈では「利益本位で行動する」と解するものが多いが、”利という場面に於いて放つ=ほしいままにする”、と読むのだろう。しかし「利」が”利益”になったのは後付けの意味であり、本来は上掲の通り”するどい”。

「子まれに仁と命と利を言う」(論語子罕篇1)は、罕の字の初出が後漢の『説文解字』で、漢代の儒者によるでっち上げはほぼ確定だから、”利益”と解した方がいいかもしれないが、本章は”自分が切れ者という場面に於いて放つ=やりたい放題やる”と解した方が、言葉の原義に近い。

怨(エン/オン)

論語 怨 篆書 論語 挫折 怨
(篆書)

論語の本章では”うらみ”。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はʔi̯wănで、同音に夗とそれを部品とする漢字群など。夗の語釈を『大漢和辞典』は”ころがりふす”という。「国学大師」も同様だが、バクチの一種といい、音通に蛇が這う様子、カササギ、という。

この文字も「時」=之日、と同様、論語の時代に夗心と書かれた可能性がある。従って論語の本章は、直ちに後世の捏造と断定できない。詳細は論語語釈「怨」を参照。

『大漢和辞典』の第一義は”うらむ”で、学研『大漢和辞典』によると「人が二人うずくまった形+心」で、”いじめられて発散できない残念な気持”という。ここでもそれで通じるが、行動した者が怨む(後悔する)のか、怨まれるのかは判然としない。

ただ「利」を”能力・切れ者”と解するなら、能力のある者に押さえつけられてうらみが溜まる、と解釈出来るので、怨む者は「利」でない無能者、血統だけを誇る旧来の貴族だろう。つまり、”能に任せてやりたい放題やると、怨まれるぞ”ということ。

論語における「うらみ」

論語:解説・付記

論語の本章の従来の読みは、「子曰わく、を放ち而行わば、怨多し。」

語義は明らかで、文も単純なのに、論語のような古典漢文の読解が困難であることを示す好例。「利益目当てで好き放題しろ。ゼニを寄こさない奴は怨んでやれ」と解しても、文法上は全く誤りではない。しかし「利」を現代日本語のように解釈していいのか、と疑問を持つ。

論語 岩盤掘鑿
すると辞書で固い岩盤を掘削するようにすると、本章のように納得のいく解が得られる、こともある。「利」の原義、何でもよく切れる刃物と解せば、刃物=能力を放って好き放題する、と解釈出来て分かりやすい。それは孔子塾での教育のありようを考えても納得のいく話だ。

血統を誇る既存の貴族層に割り込んで、孔子の弟子たちが出世していくためには、何よりも有能であることが条件だろう。しかしだからといって、貴族たちに自分の無能を思い知らせては、出る杭の例え通り、あらぬ罪を着せられ、場合によっては殺されてしまうかも知れない。

人間の集団とはそういうものだ。それは論語時代も変わらない。現に孔子は弟子の子張に官界での出世を問われて、「他人の間違いは見て見ぬふりをしなさい」と教えている(下記)。そうしないと弟子の身が危ないし、危ない塾には、新弟子が入ってこなくなる。

子張問入官於孔子,孔子曰:「安身取譽為難也。」子張曰:「安身取譽如何?」孔子曰:「有善勿專,教不能勿搢,已過勿發,失言勿踦,不善辭勿遂,行事勿留。君子入官,自行此六路者,則身安譽至,而政從矣。

子張官に入るを孔子於問う。孔子曰く、「身を安んじ譽れを取るを難しと為す也」と。子張曰く、「身を安んじて譽れを取るには如何」と。孔子曰く、「善有りても專らにする勿れ。教えて能わ不るもる勿れ。已ぎたる過を發く勿れ。言を失いてかくす勿れ。善から不る辭は遂う勿れ。事を行いて留る勿れ。君子官に入りて、此の六路を行う自り、則ち身安らかにして譽れ至り、し而政從わるる矣」と。

論語 子張 論語 孔子 説教
子張が官吏として働く道を孔子に問うた。
孔子「身を安全に保ったまま、名誉を得るのが難しい。」
子張「その法を教えて下さい。」

孔子「自分に能があっても一人目立ちするな。教えてやっても出来ない者を追い払うな。済んでしまった過失をほじくり返すな。言い間違えても誤魔化すな。ろくでもない言葉には従うな。仕事を溜めるな。仕官してこの六箇条に心掛けるなら、安全に名誉を得られ、命令にもみんな従ってくれる。」(『大載礼記』子張問入官)

すぱっと切れる鋭い刃のようでありながら、人の恨みを買わぬようにおとなしくしていろとの教えは、論語憲問篇4でも説いている。孔子自身も官界で、出来るのをいい事にやり過ぎて、貴族からも庶民からも忌み嫌われた。失脚し亡命したのもそのためである。

論語 吉川幸次郎
なお既存の論語本では、吉川本にこうある。「放は依なり、と古注に訓ぜられているが、一度便宜的に発生した事象、それにもたれかかり、ひきずりこまれていくのが、この訓詁の意味であるように感ぜられる。」

すでに指摘したが、吉川が古注を引用するときは、常に量が少ない場合に限られる。本来大部で句読点もなく読解に手こずる古注だが、論語の本章は古注には珍しく量が少ないので、漢文が読めない吉川も安心して引用できたわけだ。めでたしめでたし。

古注『論語義疏』

子曰放於利而行註孔安國曰放依也每事依利而行之者也多怨註孔安國曰取怨之道也疏子曰至多怨 云放於利而行者放依也謂每事依財利而行者也云多怨者若依利而行者則為怨府故云多怨

本文。「子曰放於利而行」。

注釈。孔安国「放とは依りかかることだ。いつも利益に寄りかかり、欲タカリばかりしている者を言ったのである。」

本文。「多怨」。

注釈。孔安国「怨まれる道理だと言ったのである。」

付け足し。先生は恨みが重なる様を語って記した。「放於利而行」とあり、放とはそればかりすることだ。その心は、いつも金儲けばかり考えている、ということだ。「多怨」とは、もし欲タカリばかりしていると、恨みの吹きだまりになるということだ。だから「多怨」と言った。

ついでに新注も見ておこう。

新注『論語集注』

放,上聲。孔氏曰:「放,依也。多怨,謂多取怨。」○程子曰:「欲利於己,必害於人,故多怨。」

放は上がり調子に読む。

孔氏「放とはそればかりすることだ。多怨とは、沢山恨みを買うことを言う。」

程子「自分の得になることを企めば、必ず人を損させる。だから沢山恨みを買うわけだ。」

毒にも薬にも読解の手助けにもならない事しか書いてなく、面白くないのはやむを得ない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)