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論語詳解426季氏篇第十六(9)侍りの君子に’

論語季氏篇(9)要約:君主の言葉や表情を読み取って、怒らせないように気を付けなさい、と孔子先生が言ったことになっている一説。現代では組織人にとってほどほどに効用のある教えではありますが、あまり面白い話ではありません。

    (検証・解説・余話の無い章は未改訂)

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

孔子曰、「侍於君子有三愆、言未及之而言、謂之躁*。言及之而*不言、謂之隱。未見顏色而言、謂之瞽。」

校訂

武内本

釋文云、魯論躁を読んで傲となす、荀子勧学篇亦傲に作る。言及之の下唐石経而の字あり。

定州竹簡論語

……[子曰:「侍於君子有三]衍a;言謂之及b而言謂之479……[隱,未見顏色而言謂之鼓c]。」480

  1. 衍、今本作”愆”。
  2. 之及、今本作”及之”。
  3. 鼓、今本作為”瞽”。鼓借為瞽。

鼓ko(上)瞽ko(上)


→孔子曰、「侍於君子、有三衍、言謂之及而言、謂之躁。言及之而不言、謂之隱。未見顏色而言、謂之鼓。」

復元白文(論語時代での表記)

孔 金文子 金文曰 金文 侍 金文於 金文君 金文子 金文有 金文三 金文衍 金文 言 金文謂 金文之 金文及 金文而 金文言 金文 謂 金文之 金文喿 金文 言 金文及 金文之 金文而 金文不 金文言 金文 謂 金文之 金文陰 未 金文見 金文顔 金文色 金文而 金文言 金文 謂 金文之 金文鼓 金文

※躁→喿・隱→陰。論語の本章は、「之」「未」の用法に疑問がある。

書き下し

孔子曰、「はべりの君子もののふけるや、三つのあまれるり。ひてこれふにおよふ、これさわぐとふ。ひてこれに及びる、これかくすとふ。いまかんばせいろあらはれずしふ、これののしるとふ。」

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 肖像
孔子が言った。「奉仕について、君子には三つのやり過ぎがある。(主が話をして、)ある事柄にまさに言及したとたんに言うこと、これをはしゃぐという。話がある事柄に及んだのに言わない、これを隠すという。まだ表情に表さない事を言う、これを騒ぐという。」

意訳

孔子 ぐるぐる
主君に仕えるには、よく主君の言葉や表情を観察しなさい。君主が言ったことの尻馬に乗る、君主が問うたのに意見を言わない、君主が思いもしないことを言う、この三つを避けないと危ないぞ。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「君子のそばにいて犯しやすい過ちが三つある。まだ口をきくべき時でないのに口をきく、これは軽はずみというものだ。口をきくべき時に口をきかない、これはかくすというものだ。顔色を見、気持を察することなしに口をきく、これは向う見ずというものだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「陪君子說話要註意三種毛病:沒到說的時候就說,叫做急躁;到該說的時候不說,叫做隱瞞;不顧對方的表情就說,叫做睜眼瞎。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「君子のかたわらで会話するには三種の失敗がありうる。話題になっていないのにそれを語る、それをあわてると言う。話題になったのにそれを語らない、それをだんまりと言う。相手の表情を見ないで語る、それを目が見えないという。」

論語:語釈

侍於君子

侍 金文
「侍」(金文)

論語の本章では”君主に仕える”。現代中国での解釈は、「於」を”~に”という目的語を示す語として訳しているが、『学研漢和大字典』による「於」の原義は”そこにある・いる”ことであり、目的語に対する前置詞的語法は、”そこにある”ことよりの派生義である。

論語は最古の古典であることから、漢字を原義で解せるなら、その方に理がある。

『学研漢和大字典』によると「侍」は会意兼形声文字で、寺は「寸(手)+(音符)之(シ)(足)」の会意兼形声文字で、手足を動かして雑用を弁じるの意。身分の高い人の身辺を世話する人を古く寺人と称したが、のち寺人の寺は、役所や仏寺の意に転用された。そのため侍の字がその原義をあらわすようになった。侍は「人+(音符)寺」、という。詳細は論語語釈「侍」を参照。

「於」は「はた+=印(重なって止まる)」の会意文字で、じっとつかえて止まることを示す、という。詳細は論語語釈「於」を参照。

「君子」は、孔子生前では”貴族”もしくは弟子に対する呼びかけ”諸君”。道徳的な教養人と言った偽善的な語義は、孔子より一世紀のちの孟子が、殿様連中をだまくらかすためにでっち上げた後世の説。詳細は論語における「君子」を参照。

愆(ケン)→衍

愆 篆書
(篆書)

論語の本章では”誤り”。武内本は「愆とは過なり」という。論語では本章のみに登場。

初出は春秋末期の金文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、衍(エン)は、水が水路をはずれて横にこぼれ出ること。愆は「心+(音符)衍」で、心が常道をそれて、むやみに横にのび出ること。延と同系のことば、という。詳細は論語語釈「愆」を参照。

ただし現行字体は甲骨文や金文には見られず、秦帝国による文字の統一後の篆書で始めて現れる。それ以前の書体としてチュウ文(戦国時代の秦の文字)や古文が発掘・記録されているが、書体が全く異なり、籀文では愆 異体字の形、古文では辛の形に作る。

愆 籀文 愆 古文
(籀文・古文)

これは本章そのものがかなり新しいか、あるいは後世に手を加えられた可能性を示す。無論、現伝の論語は全て漢代の儒者の手を加えられているし、古い文字は漢代に通用した隷書に書き直されている。

その結果である定州竹簡論語の「衍」は、”余計な事を言う”こと。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「水+行」の会意文字で、水が長く横にのびるさま、という。詳細は論語語釈「衍」を参照。

未(ビ)

未 甲骨文 未 字解
(甲骨文)

論語の本章では”まだ…でない”。初出は甲骨文。「ミ」は呉音。字形は枝の繁った樹木で、原義は”繁る”。ただしこの語義は漢文にほとんど見られず、もっぱら音を借りて否定辞として用いられ、「いまだ…ず」と読む再読文字。ただしその語義が現れるのは戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「未」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では直前の動詞の強調と、”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

未及之→謂之及

現行論語では「未及之」”まだ言わないうちに”。定州竹簡論語では”まさに言及して”。定州竹簡論語「謂之及」での「之」は、上記のように直前が動詞であることを示す記号。「謂」は”そのことを取り立てて評論する”の意で、単に”話す・言う”ことではない。詳細は論語語釈「謂」を参照。

躁(ソウ)

躁 古文
(古文)

論語の本章では”はしゃぐ”。論語では本章のみに登場。

武内本は「おごる」だと言うが、とりあえず漢字の原義に従った。しかし言葉が新しいことから、武内本の言う通り、荀子や漢代の儒者の解読が正しい可能性は高い。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声で、「足+(音符)虚(ソウ)(がやがやさわぐ、せかせかしてあせる)」。騒(さわがしい)と同系のことば、という。

この文字の初出は前漢の篆書で、論語の時代に存在しないが、部品で近音の「喿」が語義を共有し、初出は西周早期の金文。詳細は論語語釈「躁」を参照。

隱/隠(イン)

隠 金文大篆 隠
(金文大篆)

論語の本章では”隠す”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はʔi̯ən(ʔは空咳の音に近い)で、同音に殷”さかん”・慇”ねんごろ”と、隱を部品とした漢字群。近音の陰が語義を共有し、初出は甲骨文

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、隱の右側の上部は「爪(手)+工印+ヨ(手)」の会意文字で、工形の物を上下の手で、おおいかくすさまをあらわす。隱はそれに心をそえた字を音符とし、阜(壁や、土べい)を加えた字で、壁でかくして見えなくすることをあらわす。隠は工印をはぶいた略字、という。詳細は論語語釈「隠」を参照。

顏色/顔色

顔 金文 色 金文
(金文)

論語の本章ではそのまま”顔色”。辞書的には論語語釈「顔」論語語釈「色」を参照。

瞽(コ)→鼓

瞽 古文
(古文)

論語の本章では”目が見えない”。甲骨文は発掘されているが、金文は未発掘。詳細は論語語釈「瞽」を参照。

定州竹簡論語の「鼓」は、太鼓の類を”打つ・鳴らす”ことだが、「鼓揺」に”鳴らし動かすようにしゃべる”、「鼓譟」に”囃し立てる”、「鼓唱」に”人に先んじて唱える”、「鼓吻」に”大いにしゃべる”、「鼓惑」に”おだて惑わす”の語釈が『大漢和辞典』にある。要するに不用心にもベラベラしゃべること。文字的には論語語釈「鼓」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章について、前漢までの儒者は上掲の逐語訳・意訳の通り解していたと思えるが、後漢になって儒者の知能程度が劣悪になると、解読できない部分を勝手に書き換えた。それ以降は後漢の解釈を金科玉条のように祭り上げ、そこから来る矛盾にどうにかつじつまを付けようとして、さまざまな「典拠」を示して解釈を複雑化させた挙げ句、現代中国での解釈のような、オトツイの方角に向かうことになった。

『論語集釋』はその過程を、微に入り細に入り書き記しているが、よくまあこんな屁理屈を言うものだとあきれた。ただそれだけでは話が見えないと思うので、オトツイに向かうきっかけになったのが『荀子』だと記しておく。

問楛者,勿告也;告楛者,勿問也;說楛者,勿聽也。有爭氣者,勿與辯也。故必由其道至,然後接之;非其道則避之。故禮恭,而後可與言道之方;辭順,而後可與言道之理;色從而後可與言道之致。故未可與言而言,謂之傲;可與言而不言,謂之隱;不觀氣色而言,謂之瞽。故君子不傲、不隱、不瞽,謹順其身。《》曰:「匪交匪舒,天子所予。」此之謂也。

荀子
下らん質問をする奴には答えるな。下らん話をする奴には問うな。下らん説教をする奴の話は聞くな。威張りん坊とは議論するな。まっとうな手続きを経て、やっと知識は身に付くのであり、基礎が出来て、やっと応用が分かる。こうした手続きを経ていない者とは、関わってはならない。

礼法も同じで、まず腰を低くすることが身に付いて、やっとこまごまとした作法が言えるのであり、もののことわりに添ったトゲの無い言葉で語れて、やっともののことわりそのものを語れる。表情が温和になれて、やっと礼儀作法の奥義が分かる。

だからこうした手続きなしに偉そうに説教する奴を傲慢という。手続きを経て知っているのに言わない奴を、だんまりという。顔色を見ないでものを言う奴を、目が見えないという。だから君子たる者、威張らず、隠さず、目をつぶらず、物腰を丁寧にするのである。

詩にも言う。「彼の交際の仕方と物腰の柔らかさは、天子も賞賛する」と。これはこのこころを歌ったのである。(『荀子』勧学16)

そもそも「天子」の言葉が中国語に現れるのは西周早期で、殷の君主は自分から”天の子”などと図々しいことは言わなかった。詳細は論語述而篇34余話「周王朝の図々しさ」を参照。

後漢儒の信じ難いほどの不真面目は、論語解説「後漢というふざけた帝国」に記したが、彼等は何らかの理由で論語の本章を、上掲『荀子』と同じに揃えた。

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