論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
孔子曰、「益者三樂、損者三樂、樂節禮樂、樂道人之善、樂多賢友、益矣。樂驕樂、樂佚遊、樂宴樂、損矣。」
校訂
定州竹簡論語
……子曰:「益者三樂,[損者三樂。樂節禮a,樂]□□之善,477……[賢]友,益矣。樂驕b,樂[失c游d],478……
- 今本禮下有“樂”字。
- 今本驕下有“樂”字。
- 失、阮本作”佚”、失可通佚。皇本作”逸”、佚、逸可通。
- 游、阮本作””遊。
→孔子曰、「益者三樂、損者三樂、樂節禮、樂道人之善、樂多賢友、益矣。樂驕、樂失游、樂宴樂、損矣。」
復元白文(論語時代での表記)
節
※損→孫・驕→喬。論語の本章は、「節」の字が論語の時代に存在しない。
書き下し
孔子曰く、「益す者三つの樂しみ、損ふ者三つの樂しみあり。禮を節ふるを樂しむ、人之善きを道びくを樂しむ、賢き友多きを樂しむは、益す矣。驕りを樂しむ、佚れ游くを樂しむ、宴の樂しみを樂しむは、損ふ矣。」
論語:現代日本語訳
逐語訳
孔子が言った。「自分を高める三つの楽しみ、低める三つの楽しみがある。礼法や音楽を規定通りに整えるのを楽しむこと、人の能力を高めるよう導くのを楽しむこと、賢い友人が多いことを楽しむのは、自分を高める。思い上がった境遇を楽しむこと、義務から逃れて気ままに出歩くのを楽しむこと、宴会の飲み食いを楽しむのは、自分を低める。」
意訳
儒学の稽古、人の教育、賢友と交わる楽しみは、自分のためになる。人を見下すこと、勝手気ままに振る舞うこと、宴会の飲み食いは、楽しかろうと自分のためにならない。
従来訳
先師がいわれた。――
「有益な楽しみが三つ、有害な楽しみが三つある。礼楽の節度を楽しみ、人の善をいうことを楽しみ、賢友の多いのを楽しむのは有益である。驕慢を楽しみ、遊惰を楽しみ、酒色を楽しむのは有害である。」下村湖人『現代訳論語』(一部改。隋→惰)
現代中国での解釈例
孔子說:「有益的愛好有三種,有害的愛好有三種。愛好禮樂、愛好稱贊別人的優點,愛好廣結善友,有益處;愛好放蕩、愛好閒逛、愛好大吃大喝,有害處。」
孔子が言った。「有益な好みに三種類あり、有害な好みに三種類ある。礼楽を愛好し、別人の優れた点を賞賛するのを愛好し、良い友人と広く交際するのを愛好するのは、有益な点がある。勝手気ままを愛好する、時折うろつくのを愛好する、暴飲暴食を愛好するのは、有害な点がある。」
論語:語釈
益者・損者
「益」(金文)・「損」(金文大篆)
論語の本章では、付き合うと”タメになる者・ダメになる者”。前章で既出。『学研漢和大字典』によると「益」は皿にいっぱい水をたたえたさまであり「溢」(あふれる)の原字。増やすこと。詳細は論語語釈「益」を参照。
損は員=かなえのように窪んださまであり、減らすこと。「損」は論語の時代に存在しないが、音通する「孫」が存在した。詳細は論語語釈「損」を参照。
樂(ラク)
(甲骨文)
論語の本章では”楽しみ”。初出は甲骨文。新字体は「楽」。原義は手鈴の姿で、”音楽”の意の方が先行する。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「ガク」で”奏でる”を、「ラク」で”たのしい”・”たのしむ”を意味する。春秋時代までに両者の語義を確認できる。詳細は論語語釈「楽」を参照。
節(セツ)
「節」(金文)/「𠬝」(甲骨文)
論語の本章では”(自分が作法に沿うように)従わせる”→”整える”。初出は戦国時代の金文で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。同音も存在しない。原義は”竹の節”。詳細は論語語釈「節」を参照。
禮
論語の本章では”礼儀作法”。新字体は「礼」。初出は甲骨文。へんのない豊の字で記された。『学研漢和大字典』によると、豊(レイ)(豐(ホウ)ではない)は、たかつき(豆)に形よくお供え物を盛ったさま。禮は「示(祭壇)+(音符)豊」の会意兼形声文字で、形よく整えた祭礼を示す、という。詳細は論語語釈「礼」を参照。
禮樂→禮
(金文)
論語の本章では、”礼法と音楽”。教育や儒学そのものを指す場合がある。
定州竹簡論語には「楽」が無いが、これは学がない後漢の儒者が礼と聞けばパブロフ犬のように「礼楽」と思い込んだことが原因で、せっせと論語に楽の字を書き加えた。その結果本章は回りくどくなったのだが、「樂宴樂」の二番目の楽の字も、おそらくは後漢儒による書き加えである。
道
道(トウ)
「道」(甲骨文・金文)
論語の本章では”導く”。”言う”の意味もあるが俗語。初出は甲骨文。字形に「首」が含まれるようになったのは金文からで、甲骨文の字形は十字路に立った人の姿。「ドウ」は呉音。詳細は論語語釈「道」を参照。
善
(金文)
論語の本章では”能力”。この字も本章が後世の創作とすると、”美点”の意となる可能性がある。詳細は論語語釈「善」を参照。
賢
(金文)
論語の本章では”賢い”。『学研漢和大字典』によると、原義は気を付けて財産を管理すること。詳細は論語語釈「賢」を参照。
驕(キョウ)
(秦系戦国文字)
論語の本章では”思い上がる”こと。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。同音部品に喬があり、語義を共有する。詳細は論語語釈「驕」を参照。
『学研漢和大字典』によると、原義は大きな馬に乗って世間を見下げること。
佚→失
(金文大篆)
論語の本章では”あるべき場所から逃れる”。論語では本章のみに登場。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。同音同訓に逸。初出は甲骨文。論語語釈「逸」を参照。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、失は、「手+抜け出る印」の会意文字。佚は「人+(音符)失」で、俗世から抜け出た民(世捨て人)をあらわす。▽兔(ト)(うさぎ)と辶とをあわせて、うさぎがするりと抜け去ることを示す逸とまったく同じ。
動詞としてはするりと抜けて姿を消す、抜けて無くなることを意味し、形容詞としてはしまりがなくのんびりしているさまを表す。「佚遊」で、きままに遊ぶこと、という。詳細は論語語釈「佚」を参照。
定州竹簡論語の「失」は、正道でない横へするりとすり抜けること。初出は殷代末期の金文。詳細は論語語釈「失」を参照。
遊→游
(金文)
論語の本章では、”ふらふらと怠けて暮らす”。
『学研漢和大字典』によると、原義は子供がふらふらと遊び回ることと言い、『字通』では氏族霊の旗を押し立てて出歩くことであり、遊ぶ本体は神霊だから、自由に動き回ることを指すと言う。詳細は論語語釈「遊」を参照。
「游」(金文)
定州竹簡論語の「游」は、水にプカプカ浮かぶように気ままに過ごすこと。詳細は論語語釈「游」を参照。
宴
(金文)
論語の本章では”宴会を開く”。論語では本章のみに登場。初出は西周末期の金文。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、晏(アン)は「日+(音符)安」から成り、日が落ちること。宴は「宀(いえ)+(音符)晏の略体」で、家の中に落ち着きくつろぐこと。上から下に腰を落としてやすらかに落ち着く意を含む。
安(落ち着く)・晏(日が下に落ちる)・偃(エン)(低く下に伏せる)と同系のことば。「宴楽」は酒盛りをして楽しみ遊ぶこと、という。詳細は論語語釈「宴」を参照。
論語:付記
論語の本章は、文字史的には孔子の肉声を疑う要素が無いのだが、孔子を「子」とは記さず「孔子」と歴史人物であるかのように扱っている。孔子以上の貴人との対話では、身分を示すため「孔子」と書く例は論語にあるが、本章はその条件にあてはまらない。
おそらく孔子没後、かなりすぎてから記された話と見える。
論語の本章も前章などと同じく、あまりに整いすぎている。論語季氏篇について白川静博士は、あきらかに稷下の学(孟子の時代に興った斉の学問)であり、斉の学問の系統を引く、という(『孔子伝』)。これは斉を根拠地とした子貢派ではなく、孟子派を意味する。
「『論語』の原典批判は、むつかしいしごとである」と『孔子伝』は言う。論語のどの部分がどの派の系統に属するか、学界でも決着はついていない。ただ訳者に言えるのは、この論語季氏篇が、他の篇とは違って話が整いすぎ、その分だけ孔子の肉声ではないと思えること。
その分、面白くないとも言える。話が抽象的すぎて、机上の空論のように聞こえるからだ。しかし論語の各篇の名付け方から言うと、季氏篇は相当古いと言われている。論語八佾篇が「孔子謂季氏」で始まりながら、季氏篇を名乗らなかったのは、すでに季氏篇があったからだ。
そのようにある論語学者は言っている(佐藤一郎 「斉論語二十二篇攷 : 論語の原典批判 その二」北海道大學文學部紀要 9, 1-18, 1961-03-20)。斉論語が稷下の学で成立したとすると、それは子貢の系統を引かないばかりでなく、魯論語よりも古いことになるだろう。
孟子は曽子の弟子筋で、しかも子貢と同様に政治的な野心が旺盛だった。だがその主張があまりに机上の空論なので、孔子以上にどこからも受け入れられず、わずかに小国の滕に受け入れられた程度。しかし小国のこととてやれることには限りがあり、結局学問に専念した。
論語の本章に話を戻せば、言葉を読むそばから寒々しい思いがする。本能に勝って仁に志すのは孔子の主張ではあるが、宴会はいかん、自由に生きるのもいかんというのは、禁欲の行者であるかのようだ。孟子がそういう生涯を送ったならともかく、当人は贅沢だったという。
諸侯並みの行列を連ねて、本物の諸侯を恐れ入らせたという。帝政時代の儒教が強いた、他人への禁欲の根源は、このあたりにありそうな気がする。それは曽子の禁欲主義と他人への呵責を思わせる話で、なるほど孟子は曽子の後継者だった。孔子が言いそうな話ではない。
孔子が大酒飲みだった話は論語郷党篇8に見えており、それを見た弟子がメモしたからには、孔子が独り飲みをしていたわけでもないだろう。弟子と一緒に宴会を楽しんだのだ。そして孔子は礼法を強調したが、決して隠者を見下してはいないし、その存在を否定もしていない。
それはこのあとの論語微子篇に出てくる話で、孔子は隠者のようにはなれないとは言ったが、自由な暮らしにあこがれないでもなかった。「粗衣粗食に肘枕でごろ寝。それもまた楽し。悪事を働いて財産と地位を得ても、浮き雲のようにはかないものだ」(論語述而篇15)。
「儲かる儲け話なら、その下働きの御者だってやるよ。儲からない儲け話なら、好き勝手にするさ」とも言った(論語述而篇11)。孔子は新興教団開祖として、自分の原理には頑固だったが、弟子に窮屈を覚えさせるような人物ではあり得ない。でなければ弟子は逃げただろう。
すると現代の論語読者として、本章をどのように読むとよいか。礼楽でなくとも学問や仕事の技を身につけるのは良い事だし、他者によき助言をしてやるのも、賢友と交わるのも良い事だろう。そして人を見下してはいけないが、自由な境地に生き、飲みを楽しむのは悪くない。
そもそも孔子の言葉とは言い難い本章を、このように無理に読む必要もない。とかく人の自由を奪いたがる帝国儒教や、人間を頑固で不自由にしてしまう朱子学のタネが、孔子にもまた潜んでいたという事実が分かればよい。もちろんそれは孔子の責任ではない。
孔子の肉声時代の儒学が、それだけ多様性を持っていたということだ。がん細胞が正常細胞をおしやって増殖するように、多様なからくりの一部だけ取り出して大げさに言い続けると、二千年も過ぎれば全く別物になるという一例だろう。
二十一世紀の今日、孔子の言う通りに生きてみたいと願う、論語の読者はいないだろう。ある大系は気に入った部分だけをつまみ食いすると、かえって毒になることが多いが、論語はそもそも大系をなしていない。膨大な部品がそれぞれの働きをして動く、エンジンとは違うのだ。
孔子自身が、自分は仁者でないと言い出す始末で(論語述而篇33)、謀反人にも呼ばれるとノコノコと出かけていくような、相当にいい加減な人だった。すると現代の論語読者としては、気に入った部分だけつまみ食いするのもありではなかろうか。
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