論語027為政篇第二(11)ふるきをきわめて

論語為政篇(11)要約:古びた講義ノートを何十年も繰り返す。そんな奴は教師の資格はないのじゃよ、と孔子先生。はやりの話ばかりする。そんな奴も生徒の迷惑じゃよ、と孔子先生。本当の教師は昔も今も、めったにいないというお話。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「溫故而知新、可以爲師矣。」

書き下し

いはく、ふるきをきはあたらしきをらば、かりてん

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子
先生が言った。従来の学問をスープを取るようにすみずみまで学び取り、新しい学問も知っているなら、それでやっと教師稼業が務まる。

意訳

論語 孔子 キメ
旧来の学問をきわめ尽くして、新しい学問にも通じるなら、それでやっと教師稼業が務まる。

従来訳

 先師がいわれた。――
「古きものを愛護しつつ新しき知識を求める人であれば、人を導く資格がある。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

溫(温)

論語 温 金文大篆 論語 温
(金文)

論語の本章では、”習熟する”。従って「たずねる」という読みが出来る。『大漢和辞典』の第一義は”温める・暖まる”。じわじわと温めること。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、𥁕(オン)は、ふたをうつぶせて皿の中に物を入れたさまを描いた象形文字。熱が発散せぬよう、中に熱気をこもらせること。溫は「水+〔音符〕掬」で、水気が中にこもって、むっとあたたかいこと。

蘊(ウン)(こもる)・煴(くすべてあたためる)と同系のことば。また鬱(ウツ)(中にこもる)はその語尾がtに転じたことば、という。

論語 故 金文 論語 故 字解
(金文)

論語の本章では、”旧来の学問”。『大漢和辞典』の第一義は”もと・むかし”。攵(のぶん)は”行為”を意味する。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、古は、かたくなった頭骨、またはかたいかぶとを描いた象形文字。故は「攴(動詞の記号)+〔音符〕古」で、かたまって固定した事実になること。

また、すでにかたまって確立した前提をふまえて、「そのことから」とつなげるので「ゆえに」という意の接続詞となる。固(かたい)・個(かたまった物体)などと同系のことば、という。

以(イ)

論語 以 金文 論語 以 字解
論語の本章では、前句を受ける指示詞。漢文では、通常「以」の指示する内容は後ろに来るが、論語の本章のように前の句を丸ごと受けることがある。

溫故而知新、可爲師矣。

(温故知新ならば)以て師となることが出来るのだ。

『学研漢和大字典』によると「以」は会意兼形声文字で、「手または人+(音符)耜(シ)(すき)の略体」。手で道具を用いて仕事をするの意を示す。何かを用いて工作をやるの意を含む、…を、…で、…でもってなどの意を示す前置詞となった、という。

矣(イ)

論語 矣 金文 論語 見返り美人図 矣
(金文)

論語の本章では、人の振り返った姿の象形で、断定を意味する。

論語:解説・付記

論語 吉川幸次郎
既存の論語本では吉川本に、「歴史に習熟し、そこから煮詰めたスープのように智恵をまず獲得する。そうしてかく歴史による知恵を持っているばかりでなく、あるいは持っていることによって、新しきを知る、現実の問題を認識する、それでこそ人の教師となれる」とある。

また王充の『論コウ』はさらに意味を広げて、「古きを知りて今を知らざる、これを陸沈という、歴史を知って現実を知らない者は、陸上での沈没だ。今を知りて古きを知らざる、これを盲という。現実を知って歴史を知らない者は、盲だ。故きを温ねて新しきを知りてこそ、以て師とたるべし。古きも今も知らずして、師と称するは何ぞや」とあるという。

今はどうか知らないが、訳者の学生時代までは、何十年前作かと思われる講義ノートを、ただ音読するだけで学生の眠気を誘う教授はむしろ普通だった。それなりに意気ごんで上京してきた学生は、こんな下らない学校に試験受けてまで入るんじゃなかった、と思ったものだ。

対して孔子は論語のあちこちに見られるように、当時の平均寿命である三十代を超え四十代になっても、新しい知識を貪欲に学ぶ人だった(論語述而篇16など)。孔子の見聞範囲は論語時代の貴族としては広い方だが、中国全土を股に掛けた弟子の子貢ほどではなかったはず。

論語 子貢
しかしその子貢が、孔子没後に至るまで師を敬い、くさす人物には食ってかかったのが論語から分かる(論語顔淵篇8など)。子貢の言では、孔子は日月ほども高い存在で、その学識は自分には到底及ばないという。そう言わせるだけの勉強を、孔子がめなかったからだろう。

論語を読んでいると、礼法や古典など、孔子がいわゆる文系知識だけを教えたように思いがちだが、同時代史料にまで視野を及ぼすと、論語時代としては文理両方に通じた教養人であり、その博物学的知識は外国使節をも驚かせている(『史記』)。専門バカではなかったのだ。

実際孔子は、自分が多芸なのを半ばさげすみつつも、専門バカにはならないと明言している(論語憲問篇34)。弟子に厳しい要求をするからには、自分にもまた厳しくなければならないと思っていただろうし、そうでなければドライな中国人のことだから、弟子は逃げただろう。

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