論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子貢問君子。子曰、「先行其言、而後從之。」
校訂
定州竹簡論語
[子]問君子。子曰:「先行,其言從之a。」18
- 先行其言從之、今本作「先行其言而後從之」。
→子問君子。子曰、「先行、其言從之。」
復元白文
※→江
書き下し
子貢、君子を問ふ。子曰く、先づ行ひ、其の言りは之に從へ。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
子貢が君子を問うた。先生が言った。「まずやれ。発言はそれに従え。」
意訳
まず行動しろ。そのあとで行動に沿ってものを言え。
従来訳
子貢が君子たるものの心得をたずねた。先師はこたえられた。――
「君子は、言いたいことがあったら、先ずそれを自分で行ってから言うものだ。」
現代中国での解釈例
子貢問君子,孔子說:「先將要說的做出來,然後再說。」
子貢が君子を問うた。孔子が言った。「まず言いたい事をやって見せてから、その後で言え。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
子貢
「子」(金文)・「貢」(金文大篆)
孔子の弟子。論語の人物:端木賜子貢参照。
君子
(金文)
論語の本章では、庶民に対する”為政者”。詳細は論語語釈「君子」を参照。
先
(金文)
論語の本章では、”はじめに”。
『学研漢和大字典』によると会意文字で、「足+人の形」。跣(セン)(はだしの足さき)の原字。足さきは人体の先端にあるので、先後の先の意となった、という。詳細は論語語釈「先」を参照。
行
(甲骨文・金文)
論語の本章では、”行え”。語源は”十字路”。詳細な語釈は論語語釈「行」を参照。
其
(金文)
論語の本章では、”その”という指示詞。語源は農具の箕。詳細な語釈は論語語釈「其」を参照。
言
(金文)
論語の本章では”発言”。『字通』による原義は宣誓して言うこと。詳細な語釈は論語語釈「言」を参照。
而(ジ)
(金文)
現伝本について、論語の本章では”そして”。原義は”柔らかいヒゲ”。詳細な語釈は論語語釈「而」を参照。
後
(金文)
現伝本について、論語の本章では”あとでは”。
『学研漢和大字典』によると会意文字で、「幺(わずか)+夂(あしをひきずる)+彳(いく)」で、足をひいてわずかしか進めず、あとにおくれるさまをあらわす。のち、后(コウ)・(ゴ)(うしろ、しりの穴)と通じて用いられる、という。詳細は論語語釈「後」を参照。
從(従)
(金文)
論語の本章では、現伝本については”やり続けろ”。定州本については”かなったことをする”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、从(ジュウ)は、前の人のあとにうしろの人がつきしたがうさま。從は「止(あし)+彳(いく)+(音符)从」で、つきしたがうこと。AのあとにBがしたがえば長い縦隊となるので、長く縦に伸びる意となった、という。詳細は論語語釈「従」を参照。
之
(金文)
論語の本章では、現伝本については、「先行其言」を指し示す指示代名詞。定州本については、「先行」を指し示す指示代名詞。
『学研漢和大字典』によると象形文字で、足の先が線から出て進みいくさまを描いたもの。進みいく足の動作を意味する。先(跣(セン)の原字。足さき)の字の上部は、この字の変形である。「これ」ということばに当てたのは音を利用した当て字。
是(シ)・(コレ)、斯(シ)・(コレ)、此(シ)・(コレ)なども当て字で之(シ)に近いが、其‐之、彼‐此が相対して使われる。また、之は客語になる場合が多い、という。詳細は論語語釈「之」を参照。
先行其言而後從之→先行其言從之
まず現伝本について、「先行其言而後從之」は「而」があることから「先行其言、而後從之」と句読を切るしかない。「而後從之」は、”その後でそれに従え”としか解せない。「先行其言」のうち動詞になり得るのは「先」=”先んじる”か、「行」=”行う”。
「先」を動詞とした場合、”行動に先んじてその言葉は”としか解せない。そして”その後でそれに従え”と繋がらない。つまりわけが分からない。「行」を動詞とした場合、”先に行ってからその言葉は”となり、”その後でそれに従え”と繋がるから、意味が通じる。
次に定州竹簡論語について。「而後」が抜けたので全体で一句、動詞になり得るのは同じく「先」と「行」だが、「先」の場合”行動に先んじてその言葉はそれに従え”となりわけワカメ。「行」を動詞と解し、”まず行動してその言葉はそれに従え”が正解。
論語:解説・付記
既存の論語本の中では吉川本に、「君子すなわち紳士たるものの資格を問うたのに対し、与えられた孔子の答えは、不言実行ということであった。」とある。代々の論語に注を付けた儒者もほぼそう解している。しかしそう読むためには、語順が「行先其言」でなければならない。
吉川は何も考えないで儒者の受け売りをしているだけだが、儒者はおそらく意図的に、論語の本章の解釈をねじ曲げた。多くの儒者は教師稼業で食ったから、弟子には黙っていて貰いたかったのだろう。文句も言わずに黙って授業料を払ってくれる弟子ほど、有り難いからだ。
古注『論語義疏』
註孔安國曰疾小人多言而行之不周也。
注釈。孔安国「下らぬ人間はべらべら喋るくせに行動が伴わないのを憎んだのである。」
孔安国にとって、孔門十哲の子貢が「下らない人間」ということになるのだが?
新注『論語集注』
周氏曰:「先行其言者,行之於未言之前;而後從之者,言之於既行之後。」范氏曰:「子貢之患,非言之艱而行之艱,故告之以此。」
周氏「”先行其言”とあるのは、言わない前に行えという事だ。”而後從之”とは、言うならやった後で言えということだ。」
范氏「子貢の下らない所は、口が回らない点でなく行動が出来ない点だ。だから孔子はこう言って戒めたのだ。」
儒者は論語の他箇所で孔子が口数の少なさを称揚していること(論語公冶長篇5)を理由に、この章の解釈をねじ曲げた。だが黙って行って成功すれば、自分の手柄だと後出しじゃんけんで言い放題だし、失敗しても黙っていれば、うまくすれば人のせいに出来る。
つまり孔子がよほど陰険な人間に読める。だが仮に孔子が多言を憎んだにせよ、孔子自身は極めて饒舌な上に、弁舌無しで政治や革命ができるだろうか?
演説する革命家、トロツキー赤衛軍司令官
論語の本章の解釈について、まず発言者が子貢であることを考える。子貢は弁舌の才を孔子に評価された弟子であり(論語先進篇2)、その弁舌で五カ国をひっくり返した(『史記』弟子列伝)。なるほど多弁な人物だったろう。しかし言っただけのことは行ってもいる。
しかし仕官以前は行いようがなかったろうし、仕官後も至らぬ事はあっただろう。孔子はそれをたしなめたのであって、自分が認めた子貢の弁才をおとしめはしなかったろう。「角を矯めて牛を殺す」愚は、孔子も十分承知していただろうから。だから優れた師匠として仰がれた。
既存の論語本が言うように、孔子が子貢の弁舌を、「不言実行」などと言って封じてしまえば、度重なった一門の危難と、『史記』にあるような魯国の危機を子貢は救えなかった。となると「不言実行」は子貢のような才と、孔子と同等の弟子を見抜く才が無い者の言う事。
重ねて孔子が子貢の弁才を封じたらどうなるか考えよう。その日から孔子一門は確実に食うにも困るは必定である。塾経営で孔子が儲かった話は見たことがなく、高給取りだったが、政治にはとにかくカネが要る。弟子でカネを持っているのは子貢だけで、彼が財政を支えたのだ。
中国儒者の多くも日本の漢学教授も雇われ人に過ぎない。サラリーマン社会(官場、と漢文では言う)の手練手管は知っているかも知れないが、働かなくとも給料が出るのが当たり前と思っている人間に、経営のなんたるかが分かる動機が無い。だから平気でこういうデタラメを言う。
孔子が多弁を嫌った場面はあるだろう。だがそれは「バカどもが一日中、集まって下らないことをわあわあ言い合っている。救いようが無い」(論語衛霊公篇17)けしきに対してであり、「平均以上の者には奥義が語れる」(論語雍也篇21)子貢に対する嫌悪では無かった。
また儒者は本章を「不言実行」と解する証拠に、論語学而篇14の孔子の言葉、「慎於言」(言葉を慎重に)を挙げたのだろうが、そもそも該章のこの部分が戦国時代以降の捏造であり、ともすると本章を「不言実行」と解するためのつじつま合わせだった可能性すらある。