論語詳解293顔淵篇第十二(15)ひろく文を学んで

論語顔淵篇(15)要約:人は何のために学ぶのか? お金にはならないお作法や古典を、なぜ勉強しなくてはならないのか? 孔子先生はその答えを、自分の居場所を作るためと言います。人は一人で生きられない。だから学ぶのだ、と。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「*博學以文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫。」

校訂

武内本:清家本により、博の前に君子の二字を補う。

書き下し

いはく、ひろまなぶにぶんもつてし、これやくするにれいもつてせば、おほいもつむかなるかな

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子
先生が言った。「幅広く知識を学んで、それをまとめるのに礼法を用いれば、そむくことが無いようになれる可能性が大いにあるだろうな。」

意訳

論語 孔子 説教
幅広く勉強するとよいが、そうすると互いに情報が矛盾してワケが分からなくなる。しかし礼法を原則にして判断すれば、仁の心から外れないで済むこと間違いなしだろうよ。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「ひろく典籍を学んで知見をゆたかにすると共に、実践の軌範を礼に求めてその知見にしめくくりをつけるがいい。それでこそ学問の道にそむかないといえるだろう。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 博 金文
(金文)

論語の本章では”幅広く”。『大漢和辞典』の第一義は”あまねくゆきわたる”。

論語 文 金文 論語 遠山の金さん
(金文)

論語の本章では武に対する文で、”知識”。『字通』によると原義は人の体に入れた入れ墨のことという。

論語 己 土器
一方『学研漢和大字典』によると象形文字で、縄文土器の模様のように、土器に縄目を付けて飾りにした模様のこと。

論語 約 金文大篆
(金文大篆)

論語の本章では、ヒモでキュウと縛るように”まとめ上げる”こと。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、同音の「要」(締める)は存在した。詳細は論語語釈「約」を参照。

畔(ハン)

論語 畔 金文大篆 論語 遺産 離 畔
(金文大篆)

論語の本章では”仁にそむく”。原義は田畑の”あぜ”。「叛」に音が通じて”そむく・乱れる”の意とされる。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。「叛」の初出はさらに遅く、後漢の『説文解字』。カールグレン上古音はbhwɑnで、同音に般と磐・盤などそれを部品とする漢字群。

藤堂音を使うと、畔buan→半puan→反puǎnと繋がりそうに見え、とりあえず論語の時代の置換候補として、反の字を挙げておく。

訳者ははじめ「畔か弗る」を、”礼法に従っておけば世間から浮き上がらずに済む”と解釈したが、考え直した。礼に従うと、論語時代では大きく世間から浮き上がるのである。

論語 晏嬰
晏嬰アンエイ〕「…そもそもあの孔丘という男は、もったいぶった顔つきをし、言葉を大げさにして世間をだましています。鳴り物で人を集め、宮殿の上り下りをわざとらしくして儀礼だと言い張り、貴人の前では小走りの礼を見せつけますから、確かに学問は立派でも、政治を議論させるわけにはいきません。
いつまでもグズグズと考えてばかりで、民を救おうとは思ってもいません。その学問は何年掛けても学びきれず、当座の礼儀作法を任せるにも間に合わず、いくら金を掛けても、彼らの言う楽団の楽器は揃えきれません。
言葉を飾ってよこしまな企みで国君を惑わし、合唱団を巡業させて愚かな民を惑わしています。あの教説では将来を確かにすることは出来ず、民を導くことも出来ません。それなのに殿は雇おうというのですか。確かに斉の風俗はいくらか良くなりましょうが、国を指導し民の先頭に立つ者のすることではありませんぞ。」(『墨子』非儒篇下)

そしてそれは孔子も自覚していた(論語八佾篇18)。

論語 孔子 ぼんやり
主君に仕えるに当たって礼儀を尽くすと、人はそれをへつらいだと言う。

では礼に従うと何に外れないかと言えば、それは論語顔淵篇1で孔子が言った、「例に外れないのを仁という」言葉から、仁に外れないと分かる。詳細は論語における「礼」を参照。

なお『学研漢和大字典』によると「畔」の語義は以下の通り。

  1. {名詞}あぜ。くろ。田と田を二つにわける境界。くろ。
  2. {名詞}ほとり。水と岸とをわける境界線。みぎわ。「湖畔」。
  3. {名詞}ほとり。もののかたわら。わき。《類義語》辺。「枕畔(チンハン)」。
  4. {動詞}そむく。仲間われする。敵対する。《同義語》叛。「畔逆」「公山弗擾、以費畔=公山弗擾、費を以て畔く」〔論語・陽貨〕

論語:解説・付記

論語の本章は、論語雍也篇(27)と重複。「君子」が無いだけ。

論語の前半と後半で、それぞれ違う派閥が編纂したのだ、とする説は根強いし訳者も同意する。その根拠となるのがこのような重複。いずれも才子が集まって編纂したのだから、この程度の重複に気が付かないわけがないのだが、そのままになっている。

つまり、どちらに残すかで一つに決めてしまうと他派閥が文句を言うし、たった二文字の違いでも、あるとないとでは派閥抗争のタネになるから、そのままにしておいて丸く収めたのだろう。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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