論語詳解282顔淵篇第十二(4)司馬牛君子を問う

論語顔淵篇(4)要約:自ら命を絶つ決断をした弟子の司馬牛。最後に孔子先生に会い、君子=望ましい貴族の姿とは何かと問います。自分の一生を振り返り、先生の教えを受けて、君子らしくあれたかと問うたのです。そして先生の答えは…。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

司馬牛問「君子」。子曰、「君子不憂不懼。」曰、「不憂不懼、斯謂之『君子』矣夫*。」子曰、「內省不疚、夫何憂何懼。」

校訂

武内本:清家本により、謂之『君子』矣夫を可謂『君子』已乎に作る。唐石経、謂之『君子』に作る。

書き下し

司馬牛しばぎう君子くんしふ。いはく、君子くんしうれへずおそれずと。いはく、うれへずおそれざる、こここれ君子くんしたるいはく、うちかへりみてやましからずんば、なにをかうれへ、なにをかおそれむ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 司馬牛 論語 孔子
司馬牛が君子を問うた。先生が言った。「君子は憂えず恐れない。」司馬牛が言った。「憂えず恐れない、それがつまり君子ですか。」先生が言った。「自分を見直してやましいことがなければ、そもそも何を憂い、何を恐れようか。」

意訳

司馬牛「君子とは何ですか。」
論語 孔子 キメ
孔子「君子は心配しない、恐れない。」
司馬牛「心配しない、恐れない、それだけで君子ですか。」

論語 孔子 焦り
孔子「やましいことがなければ、心配や恐れなど無い。」

従来訳

論語 下村湖人

司馬牛が君子についてたずねた。先師はこたえられた。――
「君子はくよくよしない。またびくびくしない。」
 司馬牛が更にたずねた。――
「くよくよしない、びくびくしない、というだけで君子といえるでしょうか。」
 すると先師はいわれた。――
「それは誰にも出来ることではない。自分を省みてやましくない人だけにしか出来ないことなのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

君子

論語 君 金文 論語 子 金文
(金文)

論語の本章では、”どこに出しても恥ずかしくない人物”。論語では通常、「諸君」という呼びかけと、「教養人」と、「為政者階級=貴族」をさすが、本章に限っては司馬牛による孔子への抗議だから、暗に孔子を指しているとも言える。

「君子」を孔子と解釈するしかない話は論語の他の章にもある。

(弟子の陳亢チンコウ子禽シキンが孔子の息子・と問答を終え)自室に戻って喜んだ。
「一石三鳥だ! 詩を知り礼を知り、そして君子(=孔子)は子に冷たいと知ったぞ!」(論語季氏篇13)

懼(ク)

論語 懼 金文 論語 懼
(金文)

論語の本章では”恐れる”。同じ「おそれる」でも、”自分が無力で圧倒的な対象に迫られたおそれ”。この字の初出は上掲した戦国末期の中山王の青銅器に鋳込まれた金文で、論語の時代に存在しない。詳細は論語語釈「懼」を参照。

疚(キュウ)

論語 疚 金文大篆論語 疚
(金文)

論語の本章では”やましい”。心に引け目があって積極的になれないこと。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、久は「人が背をかがめた姿+ヽ印」の会意文字。背のかがんだ老人のことである。ヽ印は老人が背をかがめて亀(カメ)のようになった、その背部をさし示す指事記号であろう。故旧の旧と同系のことば。

疚は「疒+(音符)久」で、久が、久しいという意に専用されたため、疚が原義をあらわすようになった、という。

論語:解説・付記

論語の本章について思うところは前章と同じ。孔子にさんざん利用された司馬牛は、せめて一矢報いようと孔子を責め立てているわけ。
論語 司馬牛

「普段君子君子と仰いましたが、私に対する仕打ちは、君子のすることですか。」そこで孔子は平然と、「やましいことなど無い。(お前の兄が暴れ込んでこようと、少しも怯えたりしない。)」と言い放った。聞いた司馬牛は、魯国の門前で世を去る決意を固めたのだろう。

あらかじめこのように言っていたからこそ、実際に桓魋カンタイが暴れ込んできても、「貴様如きにやられるか」と言い放ったわけ(論語述而篇22)。おそらく子路はその時いなかったが、二代目ボディーガードの樊遅ハンチが、ほこを研いで待ち構えていたのだろう。
論語 樊遅 樊遅

事情を知らない塾生は、さすがに驚いて史記の記述のように、「速く逃げて下さい」と言ったのだろうが、孔子が平然としていたのは当然。来ると思っていたし、孔子塾は本の虫だけの集まりでもない。軍事面からも楚王に恐れられる程だったのだから(『史記』孔子世家)。

こうした孔子悪者説は、その弟子を自称する儒者からは決して出てこないから、歴史的古びがなく頓狂に感じるかも知れない。しかし古代史の研究とはそういうもので、史料など無くて当然、その代わり史実に見える疑問や矛盾を、「こう考えれば説明がつく」とものを言う。

これは論語のような古典の解釈にも言えることで、多義語である漢字の羅列を、どう語義を組み合わせれば意味の通る文章になるか、という作業に似ている。もちろんその評価は受け手次第だが、訳者としては司馬牛の変死と放浪、論語の本章前章のわかりにくさを解決したい。

そしてもっとすっきりし、論拠もある説を聞きたいものだと願っている。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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