論語詳解300顔淵篇第十二(22)樊遅仁を問う*

論語顔淵篇(22)要約:孔子塾の塾生にはさまざまな弟子がいて、孔子先生は弟子の資質に応じて教え方を変えました。若くて入門したての樊遅ハンチには、難しい仁についてもただ一言、「人を愛しなさい」と教えたという作り話。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

樊遲問仁。子曰、「愛人。」問「知*」。子曰、「知人。」樊遲未達、子曰、「舉直錯*諸枉、能使枉者直。」樊遲退、見子夏曰、「鄕*也吾見於夫子而問知、子曰、舉直錯諸枉、能使枉者直、何謂也。」子夏曰、「富哉*言乎。舜有天下、選於衆舉皋陶、不仁者遠矣。湯有天下、選於衆舉伊尹、不仁者遠矣。」

校訂

武内本

清家本により、哉の下に是の字を補う。智、唐石経知。釋文云、錯或は措に作る、為政第十九章参照。嚮、釋文鄕に作る。是字唐石経なし、恐らくは衍。

復元白文(論語時代での表記)

樊 金文遅 金文問 金文仁 甲骨文 子 金文曰 金文 哀 金文人 金文 問 金文智 金文 子 金文曰 金文 智 金文人 金文 樊 金文遅 金文未 金文達 金文 子 金文曰 金文 居 挙 舉 金文直 金文 昔 金文者 金文黄 金文 能 金文使 金文黄 金文者 金文直 金文 樊 金文遅 金文退 金文 見 金文子 金文夏 金文曰 金文 郷 金文也 金文吾 金文見 金文於 金文夫 金文子 金文而 金文問 金文 智 金文 子 金文曰 金文 居 挙 舉 金文直 金文昔 金文者 金文黄 金文 能 金文使 金文黄 金文者 金文直 金文 何 金文謂 金文也 金文 子 金文夏 金文曰 金文 富 甲骨文哉 金文乎 金文 有 金文天 金文下 金文 選 金文於 金文衆 金文 居 挙 舉 金文皋 古文陶 金文 不 金文仁 甲骨文者 金文遠 金文矣 金文 湯 金文有 金文天 金文下 金文 選 金文於 金文衆 金文 居 挙 舉 金文伊 金文尹 金文 不 金文仁 甲骨文者 金文遠 金文矣 金文

※仁→(甲骨文)・愛→哀・舉→居・錯→昔・枉→黃・富→(甲骨文)・皋→(古文)。論語の本章は皋の字が固有名詞ではあるが、論語の時代に存在しない。論語の時代、舜の字が無く、がまだ提唱されていない。本章は秦帝国以降の儒者による創作である。

書き下し

樊遲はんちじんふ。いはく、ひとあいせよ。ふ。いはく、ひとれ。樊遲はんちいまさとらず。いはく、なおきをげてこれまがれるにけば、まがれるもの使なおからしむと。樊遲はんち退しりぞき、子夏しかいはく、さきわれ夫子ふうしまみふ、いはく、なおきをげてこれまがれるにけば、まがれるものをしてなおからしむと。なんいひ子夏しかいはく、めるかなことのはしゆん天下てんかたもち、ともがらえらんで皋陶かうえうげて、不仁者ふじんしやとほざかれたう天下てんかたもち、ともがらえらんで伊尹いいんげて、不仁者ふじんしやとほざかれ

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

樊遅 樊遅 孔子
樊遅ハンチが常時無差別の愛(仁)を質問した。先生が言った。「人を愛しなさい。」知を問うた。先生が言った。「人を知りなさい。」樊遅には分からなかった。先生が言った。「正直者を悪党の上に据えれば、悪党も真人間になる。」樊遅は先生の前を下がって、子夏に出会ったので言った。「今、先生に知を質問したら、先生は、正直者を悪党の上に据えれば、悪党も真人間になると仰った。何を言っているのだろうね。」子夏が言った。「含みに富んだお言葉ですね。シュンが天下を取ってから、みんなの意見を聞いて皋陶コウトウを高い地位に就けたら、人でなしが遠ざかりました。イントウ王が天下を取ってから、みんなの意見を聞いて伊尹イインを高い地位に就けたら、人でなしが遠ざかりました。」

意訳

樊遅 論語 孔子 人形
樊遅「仁とは何ですか。」
孔子「人を愛する事だよ。」
樊遅「知とは何ですか。」
孔子「他人を理解してあげる事だよ。」
樊遅「??」

孔子「正直者を、悪党のかしらに据えると、悪党も真人間になる。」
樊遅「はぁ。そうですか。」

樊遅が首をかしげながら孔子の部屋を出ると、年下だが弟子としては先輩の子夏に出会った。
樊遅「子夏くん、いい所へ来てくれたね。どうか教えて貰えまいか。いま先生に知を尋ねたんだが、かくかくしかじかとお答えになった。どういうことだろうね。」

子夏
子夏「そうでしたか兄者。さすがに含みのある先生のお言葉ですね。私が思うにこういうことです。太古、聖王の舜が天下を取って、正直者の皋陶をお目付役にしました。殷の湯王も、正直者の伊尹をお目付役にしました。すると人でなしどもが、お館から逃げ出したそうです。昔の偉い王様は、人を見る目、悪党の追い出し方、これらを知っていたんですね。」

従来訳

下村湖人

樊遅が仁の意義をたずねた。先師はこたえられた。
「人間を愛することだ。」
樊遅がさらに知の意義をたずねた。先師はこたえられた。――
「人間を知ることだ。」
樊遅はまだよくのみこめないでいた。すると先師がいわれた。――
「まっすぐな人を挙用して、まがった人の上におくと、まがった人も自然に正しくなるものだ。」
樊遅は室を出たが、子夏を見るとすぐたずねた。――
「さきほど、私は先生にお会いして、知についておたずねしました。すると先生は、まっすぐな人を挙用して、まがった人の上におくと、まがった者も自然に正しくなる、といわれましたが、これはどういう意味でございましょうか。」
子夏がこたえた。――
「含蓄の深いお言葉だ。昔、舜帝が天下を治めた時、衆人の中から賢人皐陶を挙げて宰相に任じたら、不仁者がすがたをひそめたのだ。また殷の湯王が天下を治めた時、衆人の中から賢人伊尹を挙げて宰相に任じたら、不仁者がすがたをひそめたのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

」。 、「 。」」。 、「 。」 、「 使 。」 退 、「 』、 、『 使 』、 。」 、「 。」


樊遅・子夏

樊 金文大篆 夏 金文
「樊」「夏」(金文)

詳細はリンク先を参照して頂くとして、樊遅は子夏より8年ほど年長だったが、塾生としては後輩だったので、子夏に訪ねた。子夏は頭が固かったが、古典に良く通じ、孔子の言う長幼の序もわきまえていただろうから、従来訳のような偉そうな物言いはしなかったに違いない。

詳細は論語の人物、樊須子遅卜商子夏を参照。

仁(ジン)

仁 甲骨文 孟子
(甲骨文)

論語の本章では、”常にあわれみの気持を持ち続けること”。初出は甲骨文。字形は「亻」”ひと”+「二」”敷物”で、原義は敷物に座った”貴人”。詳細は論語語釈「仁」を参照。

仮に孔子の生前なら、単に”貴族(らしさ)”の意だが、後世の捏造の場合、通説通りの意味に解してかまわない。つまり孔子より一世紀のちの孟子が提唱した「仁義」の意味。詳細は論語における「仁」を参照。

愛(アイ)

愛 金文 哀 金文
「愛」(金文)/「哀」(金文)

論語の本章では”愛する”。初出は戦国末期の金文。一説には戦国初期と言うが、それでも論語の時代に存在しない。同音字は、全て愛を部品としており、戦国時代までしか遡れない。

「愛」は爪”つめ”+冖”帽子”+心”こころ”+夂”遅れる”に分解できるが、いずれの部品も”おしむ・あいする”を意味しない。孔子と入れ替わるように春秋時代末期を生きた墨子は、「兼愛非行」を説いたとされるが、「愛」の字はものすごく新奇で珍妙な言葉だったはず。

ただし同訓近音に「哀」があり、西周初期の金文から存在し、回り道ながら、上古音で音通する。論語の時代までに、「哀」には”かなしい”・”愛する”の意があった。詳細は論語語釈「愛」を参照。

樊遲未達

論語の本章での「達」は論語顔淵篇20と同じ。”ある境地に通じる”こと。孔子に説明して貰ったが、意味が樊遅には通じなかったわけ。「樊遅未だとどかず」と読むのも良い。論語為政篇にも同じ言葉が出て来るから、孔子塾では繰り返し語られた句だったのだろう。

舉直錯諸枉、能使枉者直。
直きを挙げてこれをまがれるにまじわば、く枉れる者をしてたださん。

孔子 キメ
真っ直ぐな者を曲がった者の群れに交えると、民は服従します。(論語為政篇19)

論語語釈「達」も参照。

枉(オウ)

枉 楚系戦国文字
(楚系戦国文字)

論語の本章では”悪党”。この文字は論語以前の甲骨文・金文には見られず、楚系戦国文字から確認できる。詳細は論語語釈「枉」を参照。

鄕(郷)

郷 金文
(金文)

論語の本章では副詞として”さきに”。本来の意味は”さと・くに・ふるさと”だが、「キョウ」という音に、”むかう・すすめる・先頭”の意味があり、鄕から派生してそれらの意味を表す「嚮」という字が出来た。「嚮導艦」などと使うのはその用例。詳細は論語語釈「郷」を参照。

夫子(フウシ)

夫 甲骨文 子 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では”孔子先生”。従来「夫子」は「かの人」と訓読され、「夫」は指示詞とされてきた。しかし論語の時代、「夫」に指示詞の語義は無い。同音「父」は甲骨文より存在し、血統・姓氏上の”ちちおや”のみならず、父親と同年代の男性を意味した。従って論語における「夫子」がもし当時の言葉なら、”父の如き人”の意味での敬称。詳細は論語語釈「夫」を参照。

「子」は貴族や知識人に対する敬称。論語語釈「子」を参照。

富 甲骨文 富 字解
(甲骨文)

論語の本章では”富む”。初出は甲骨文。字形は「冖」+「酉」”酒壺”で、屋根の下に酒をたくわえたさま。「厚」と同じく「酉」は潤沢の象徴で(→論語語釈「厚」)、原義は”ゆたか”。詳細は論語語釈「富」を参照。

舜(シュン)・皋陶(コウヨウ)

舜 皋陶

夏王朝より前の神話時代に、舜という聖王がいて、皋陶を推薦させて重く用いた事が『史記』五帝本紀に見える。ただしそれを言い出したのは孔子より一世紀のちの孟子で、売り込み先の田氏斉王に、箔を付けるためにこしらえたでっち上げ。舜の末裔を名乗っていたからである。

孟子
と言うより、田氏の祖先が舜だということ自体、孟子がこしらえたニセ系図だろう(→論語はどのように作られたか)。田氏王権は斉を乗っ取って出来た如何わしい王朝であり、それを誤魔化すタネを、田氏は必死に求めていたはずだ。孟子はそれに応えたのである。

「皋」は論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はk(平)。同音多数。詳細は論語語釈「皋」を参照。

「陶」は論語では本章のみに登場。初出は西周早期の金文。カールグレン上古音はdʰ(平)。詳細は論語語釈「陶」を参照。

舜 皐陶
皐陶よ、蛮族(蛮夷)が中華(夏)の地を乱し、盗賊や謀反人がいる。そなたは司法長官(士)になれ。入れ墨・鼻削ぎ・足切り・去勢・死刑の五刑には基準がある。五刑の処刑場には三つの定まった場所がある。五刑をゆるめた五流には、決まった流し場所がある。五つの流し場所には遠・中・近の三つの区別がある。それらに明らかに従い、偽りのない司法を行え。(『史記』五帝本紀)

眾(シュウ)

衆 甲骨文 衆 字解
(甲骨文)

論語の本章では”民衆”。「眾」「衆」は異体字。初出は甲骨文。字形は「囗」”都市国家”、または「日」+「人」三つ。都市国家や太陽神を祭る神殿に隷属した人々を意味する。論語の時代では、人々一般を意味した可能性がある。詳細は論語語釈「衆」を参照。

湯・伊尹(イイン)

殷湯王 伊尹

同じく『史記』に、殷王朝を開いた湯という聖王がいて、伊尹を重く用いた記述がある。もちろんこの君臣コンビも、後世のでっち上げ。

「伊」は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。カールグレン上古音はʔi̯ær(平)。詳細は論語語釈「湯」論語語釈「伊」を参照。

湯王 伊尹
當是時,夏桀為虐政淫荒,而諸侯昆吾氏為亂。湯乃興師率諸侯,伊尹從湯。

この時、夏の桀王は暴政を敷きすさんだ生活を送っていた。だから諸侯の一人、昆吾氏が反乱を起こした。湯王は軍隊を編成して諸侯を率い、伊尹は湯王に付き従った。(『史記』殷本紀7)

論語:解説・付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の傾向として、その章でしか用いられない漢字があれば、だいたい偽作を疑っていいのだが、本章もその例。「舉直錯諸枉」との言い廻しは、論語為政篇19から切り取ってきたのは明らかで、「富哉言」も前章の「善哉問」のパクリだろう。儒者の創作力の貧困を示している。

儒者は『詩経』が孔子の撰述であるという権威性から、作るに規則の多いポエム書きには熱を上げたが、物語の創作はからきしダメで、似たようなことしか書く能がない。その上「物語など下らん人間が読み書きするものだ」といって馬鹿にした。以下は『封神演義』の例。

封神演義
この本は結局の所、『西遊記』や『水滸伝』と共に、妖怪退治物語を伝える歴史小話で、矛盾に満ちている。読んだ所で中華の盛衰が分かる本ではなく、眠気を払う役にしか立たない。孔子様の広大な教えが、論じることが出来ないほどの規模であることを思えば、こんな下らない本の真偽を論じても、仕方が無いのである。(『封神演義』序文)

これが儒者=中国の行政但当者から、想像力を奪う一因となったから、それが亡国をもたらしたことを思うと、ラノベを馬鹿にした罪は存外軽くない。



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