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論語詳解290顔淵篇第十二(12)片言以て獄を*

論語顔淵篇(12)要約:後世の創作。孔子一門で最も早く弟子になった子路。ガサツなところはありますが、その代わり決断力は弟子一番でした。いつもは小言を言う孔子先生も、本章では「ズバリと判決を下せるのは子路だけだ」と褒めています。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子曰片言可以折獄者其由也與子路無宿諾

校訂

諸本

  • 武内本:子路、釋文云、或は此を分けて別章となす、按ずるに此別章にあらず、又孔子の言にあらず、後人追記の辞。

東洋文庫蔵清家本

子曰片言可以折獄者其由也與/子路無宿諾

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

(なし)

標点文

子曰、「片言可以折獄者、其由也與。」子路無宿諾。

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 言 金文可 金文㠯 以 金文折 金文獄 金文者 金文 其 金文由 金文也 金文与 金文 子 金文路 金文無 金文宿 金文諾 金文

※論語の本章は、「片」の字が論語の時代に存在しない。「也」「與」の用法に疑問がある。「可以」は戦国中期にならないと確認できない。本章は後漢初期までの儒者による創作である。

書き下し

いはく、かたことうつたへさだものは、いう也與かな子路しろうべなふを宿とどむるし。

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 子路
先生が言った。「まことに僅かな言葉で判決を言い渡せる者は、すなわち由(子路)だ。」

注釈「子路は引き受けた仕事を宵越しさせたことがなかった。」

意訳

孔子 褒める
孔子「子路は大した男だ。ほんのふた言み言で、判決を言い渡してぶつぶつ言われない。」

後世の儒者「引き受けたらその日のうちに仕事を片付けた、という。」

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「ただ一言でぴたりと判決を下し、当事者双方を信服させる力のあるのは、由だろうか。」
子路は元来、引きうけたことは直ちに実行にうつす人で、ふだんから人に信頼された人なのである。

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「僅憑片面之詞就可以斷案的人,大概衹有仲由吧?」子路履行諾言從不拖到第二天。

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孔子が言った。「僅かな言葉だけで必ずすぐに判決が下せるのは、おそらく仲由(子路)だけだろうか?」子路は引き受けたことを、翌日まで実行を引き延ばさなかった。

論語:語釈

子曰(シエツ)(し、いわく)

君子 諸君 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

子 甲骨文 子 字解
(甲骨文)

「子」の初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

「曰」の初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

片*(ヘン)

片 隷書 片 字解
(隷書)

論語の本章では”一部の”。論語では本章のみに登場。初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。金文では西周中期に至るまで、家紋として「爿」「片」が揃って現れ、何の象形かは不明で、”右半分”を意味し得ることは分かるが、単独での例は無い。春秋時代の発掘例は無い。同音は存在しない。文献上の初出は論語の本章で、戦国中期の『荘子』、戦国時代を通じて編まれた『列子』にも見えるが、本章を丸ごと引用したのがいつ書き加えられたのか不明の、前漢中期『史記』弟子伝を除けば、後漢に至るまでそれ以外の用例が無い。詳細は論語語釈「片」を参照。

注釈をつけた儒者は「片」を”片一方”と解釈し、裁判で争う両者の、一方だけの言い分を指すとしている。だが論語の本章が創作されたであろう漢代の用例を見ると、「一片冰」(『前漢紀』)・「一片冰」(『東漢観記』)のように”一部”の意で用いている場合が多い。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”発言”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

可以(カイ)

論語の本章では”~できる”。現代中国語でも同義で使われる助動詞「クーイー」。ただし出土史料は戦国中期以降の簡帛書(木や竹の簡、絹に記された文書)に限られ、論語の時代以前からは出土例が無い。春秋時代の漢語は一字一語が原則で、「可以」が存在した可能性は低い。ただし、「もって~すべし」と一字ごとに訓読すれば、一応春秋時代の漢語として通る。

可 甲骨文 可 字解
「可」(甲骨文)

「可」の初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”~できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

以 甲骨文 以 字解
「以」(甲骨文)

「以」の初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

折*(セツ)

折 甲骨文 折 字解
(甲骨文)

論語の本章では”断つ”→”判断する”。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。字形は「斤」”おの”+「木」2つで、刃物で木を二つに断つさま。甲骨文ではおそらく地名に用い、西周の金文では”斬る”・”ふさぐ”の意に用いた。詳細は論語語釈「折」を参照。

獄*(ギョク)

獄 金文 獄 字解
(金文)

論語の本章では”判決”。論語では本章のみに登場。初出は西周末期の金文。字形は「ギン」”犬が吠え合う”+「言」”ことば”。言葉の言い争い、訴訟の意。「ゴク」は呉音。西周金文から”言い争う”・”判決する”の意に用いた。詳細は論語語釈「獄」を参照。

者(シャ)

者 諸 金文 者 字解
(金文)

論語の本章では”するのは…だ”。新字体は「者」(耂と日の間に点が無い)。ただし唐石経・清家本ともに新字体と同じく「者」と記す。初出は殷代末期の金文。金文の字形は「木」”植物”+「水」+「口」で、”この植物に水をやれ”と言うことだろうか。原義は不明。初出では称号に用いている。春秋時代までに「諸」と同様”さまざまな”、”~する者”・”~は”の意に用いた。漢文では人に限らず事物にも用いる。詳細は論語語釈「者」を参照。

片言可以折獄者

論語の本章では、”まことに僅かな言葉で判決が下せる者”。「片言」を強調して前に出した句形。

片言可折獄者 → 片言可以折獄者

従って書き下しでは、「もって」ではなく「もて」と読んで区別を付けた。訳としては、元の文は”僅かな言葉で判決を下せる者”だが、強調によって”まことに僅かな言葉で判決を下せる者”となる。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それ”という指示詞。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

由(ユウ)

論語の本章では、仲由子路のいみ名=本名。師の孔子からの呼称であるため、いみ名を呼んでいる。

由 甲骨文 由 字解
「由」(甲骨文)

「由」の初出は甲骨文。上古音は「油」と同じ。字形はともし火の象形だが、甲骨文では”疾病”の意で、また地名・人名に用いた。金文では人名に用いた。”よって”・”なお”・”すじみち”の意は、戦国時代の竹簡から。平芯の石油ランプが出来るまで、人間界では陽が落ちると事実上闇夜だったから、たしかに灯火に”たよる・したがう”しかなかっただろう。詳細は論語語釈「由」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では「なり」と読んで”~である”。断定の意を示す。断定の語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では”~であろうか”。疑問の意。この語義は春秋時代では確認できない。新字体は「与」。初出は春秋中期の金文。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。人が手に手を取ってともに行動するさま。従って原義は”ともに”・”~と”。詳細は論語語釈「与」を参照。

子路(シロ)

子路

記録に残る中での孔子の一番弟子。あざ名で呼んでおり敬称。一門の長老として、弟子と言うより年下の友人で、節操のない孔子がふらふらと謀反人のところに出掛けたりすると、どやしつける気概を持っていた。詳細は論語人物図鑑「仲由子路」を参照。

路 金文 路 字解
「路」(金文)

「路」の初出は西周中期の金文。字形は「足」+「各」”あし𠙵くち”=人のやって来るさま。全体で人が行き来するみち。原義は”みち”。「各」は音符と意符を兼ねている。金文では「露」”さらす”を意味した。詳細は論語語釈「路」を参照。

無(ブ)

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…が無い”。初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

宿(シュク)

宿 甲骨文 宿 字解
(甲骨文)

論語の本章では”宵を超す”。時間を一晩経過させること。初出は甲骨文。字形は「宀」”やね”+「人」+「因」”寝床”。宿舎の意。甲骨文では”宿る”の意に用い、春秋末期までの金文では、”早朝”の意に、また人名に用いた。詳細は論語語釈「宿」を参照。

諾(ダク)

諾 金文 諾 字解
(金文)

論語の本章では”請け合う”。初出は西周中期の金文。ただし字形は「𠙵」”くち”+「若」。字形は「言」+「若」”その通り”で、「その通り」と言うこと。春秋時代の金文に”うべなう”の用例がある。中国の時代劇では、目下の者の受け答え”承知しました”の意味で使われている(北京語nuò)。詳細は論語語釈「諾」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は文字史的に、上掲語釈「片」の通り、字の春秋時代における不在はどうにもならない。出土物のほぼ全てが「爿」「片」のセットで現れることから、「片」が”一部”を意味しうることは十分想像できても、「片」単独での出土がない限り、物証としては後漢まで成立が下ると判断するしかない。前漢中期『史記』弟子伝にほぼそのままの引用があるが、後世書き加えられた可能性を排除できない。

ただ内容的に、論語の本章を偽作する動機が不明で、子路の果断を強調したいのだろうとは思うが、儒者が常に強調するように、子路のがさつさを強調する話ではない。何らかの史実を伝えているのだろうか。

本章は前漢中期の定州竹簡論語にも欠いており、「片」の字の初出が、いつ加筆されたか怪しい『史記』弟子伝を除き、確実には後漢の『説文解字』であることから、成立は前後の漢帝国交代期あたりと判断するのが理にかなう。

解説

清朝までの中国では、行政官は司法官を兼ね、司法官は判事と検事を兼ねて、弁護人は呼ぶも呼ばぬも判事次第だった。これは「遠山の金さん」や「大岡越前」と同じ。

法廷

十九世紀末の法廷 via http://db.nichibun.ac.jp/ja/d/GAI/info/GQ014/item/010/

論語を読む限り、子路は孔子一門きっての剛直漢であり、最初に孔子の弟子になった人物でもある。はじめ魯国門閥家老家筆頭の季氏に仕えて、費邑の代官となった。その後衛国に仕えて、蒲邑の領主にもなっている。上記の通り、裁判は領主や代官の仕事でもあった。

これとは別に、論語時代には司法専門官もいた。孔子が就任した大司冦(司法長官)がそうであり、論語微子篇2に見える「士師」もそう。ただ大司冦が上級裁判を扱ったらしいのと比べ、士師は民衆に身近な地裁・家裁の判事といった役割で、さまざまな史料に名が見える。

鄭に住む薪取りが、山で飛び出た鹿をとっさに捕らえた。持ち帰る用意がないので隠したが、忘れっぽかったので場所を忘れてしまった。夢だったのだろうかとつぶやきながら山を下りた。そのつぶやきを別の男が盗み聞きしていて、鹿を掘り出して家に持ち帰った。

別の男「きっと薪取りは夢で鹿を取ったのだ。正夢だったんだな。」
その妻「そんな馬鹿なことがあるものですか。きっとあなたが正夢を見たのよ。」

薪取りは夢がどうしても思い切れず、夢の場所に行くと掘り出されていた。そして持ち帰った男の事を知った。頭に来た薪取りは、窃盗の罪で士師に訴えた。

士師「お前は始めに鹿を手に入れながら、夢だったといい、こっちの男は鹿を手に入れながら、夢でその場所を知ったという。…何が何だか分からぬが、とりあえず鹿は両者で折半とする。以上、閉廷!」(『列子』周穆王篇)

論語の本章、新古の注は次の通り。

古注『論語集解義疏』

子曰片言可以折獄者其由也與註孔安國曰片猶偏也聽訟必須兩辭以定是非偏信一言以折獄者唯子路可也子路無宿諾註宿豫也子路篤信恐臨時多故故不豫諾也


本文「子曰片言可以折獄者其由也與」。
注釈。孔安国「片とは片寄ることである。判事は裁判では必ず両方の言い分を聞く必要がある。それで何が正しいのかが決まるのであり、片方の言い分だけを聞いて信じてはならない。だが片方の言い分だけで判決を下せたのは、子路だけが出来た。」

本文「子路無宿諾」。
注釈。宿とは先延ばしにすることである。子路は信用を重んじて時と共に差し障りが増えるのを恐れた。だから請け合うにあたって先延ばしにしなかった。

新注『論語集注』

子曰:「片言可以折獄者,其由也與?」折,之舌反。與,平聲。片言,半言。折,斷也。子路忠信明決,故言出而人信服之,不待其辭之畢也。子路無㝛諾。㝛,留也,猶㝛怨之㝛。急於踐言,不留其諾也。記者因夫子之言而記此,以見子路之所以取信於人者,由其養之有素也。尹氏曰:「小邾射以句繹奔魯,曰:『使季路要我,吾無盟矣。』千乘之國,不信其盟,而信子路之一言,其見信於人可知矣。一言而折獄者,信在言前,人自信之故也。不留諾,所以全其信也。」


本文「子曰:片言可以折獄者,其由也與?」
折は之-舌の反切で読む。與は平らな調子で読む。片言とは、片方だけの言い分のことである。折とは判断することである。子路はまじめで信義に篤く判断がはっきりしていた。だから何か言えば人は信じて従った。子路が言い終える前にそうなった。

本文「子路無㝛諾。」
㝛とは留めることである。溜まりに溜まったうらみ、の”たまる”のような意味である。言い出したことをすぐさま実行するのが、請け合いを溜めないことである。論語の本章を記した者は、孔子先生の言葉を聞いてこのように書き記した。そうすることで子路が人に信用される理由を明らかにしたが、子路はもともと人柄が信義に篤かったのである。

尹焞「魯の属国である邾国に射という貴族がいて、句繹の土地を手土産に魯へ亡命し、”子路を証人として忠誠の証しを立てたい”と言った。魯の宰相だった季康子は、冉有を子路のもとへ使いに出して、”仮にも一国ともあろう我が魯国を信用せず、あなた一人を信用すると言ってきた”と言わせた(『春秋左氏伝』哀公十四年)。子路が当時、どんなに信用があったか分かる。片方の言い分だけで判決を下せる者は、言葉を言う前にそもそも人々からの信用がある。人々がごく自然に、信用してしまう人柄なのだ。請け合ったことを先延ばしにしないのも、そういう信用を固めるふるまいである。」

余話

(思案中)

『論語』顔淵篇:現代語訳・書き下し・原文
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