論語詳解014学而篇第一(14)君子は食いて*

論語学而篇(14)要約:孔子先生がぶったとされるアジ演説。孔子塾に入門したのは、貴族に成り上がりたい庶民の若者でした。成り上がりを手助けする先生は、「お勉強だけ出来ても意味は無いだろ?」と塾生に発破をかけたのでした。

このページの凡例このページの解説

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「君子食無求飽。居無求安。敏於事而愼於言。就有道*而正焉。可謂好學也已*。」

校訂

武内本

道の字唐石経行旁にあり、蓋し後人の加うる所。史記弟子伝此文を引く道の字あり。(訳者注、弟子伝・孔子世家に確認できず。)(清原家本により、已の下に矣を補う。)

定州竹簡論語

(なし)

論語集釋

漢石經作「好學已矣」。


→子曰、「君子食無求飽。居無求安。敏於事而愼於言。就有道而正。焉可謂好學已矣。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文  君 金文子 金文食 金文無 金文求 金文飽 甲骨文(出典不明) 居 金文無 金文求 金文安 金文 敏 金文於 金文事 金文而 金文慎 金文於 金文言 金文 就 金文有 金文道 金文而 金文正 金文 可 金文謂 金文好 金文学 學 金文也 金文已 金文已 金文

※飽→(甲骨文)・矣→已。論語の本章は、「焉」が論語の時代に存在しない。「於」「就」「正」「已」「矣」の用法に疑問がある。少なくとも本章は、戦国時代以降の儒者による加筆がある。

書き下し

いはく、君子くんしくらひてくをもとむるかれ。りてやすきをもとむるかれ。ことくしことつつしめ。みちるにただせ。いづくんぞがくこのむと已矣のみならんや。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

孔子 キメ
先生が言った。「君子は食べても腹一杯食べる事を求めるな。住まって安らかさを求めるな。仕事を敏速にこなして言葉を慎め。原則に従って自分を正せ。なぜ学問を好むと評価できるだけだろうか。」

意訳

論語 孔子 居直り
ぜいたく禁止。仕事は手早く。世間の良識に従って、悪いことをするな。「お勉強が出来る」とおだてられるだけの、ただの本の虫ではダメなのだ。

従来訳

下村湖人
先師がいわれた。――
「君子は飽食を求めない。安居を求めない。仕事は敏活にやるが、言葉はひかえ目にする。そして有徳の人に就いて自分の言行の是非をたずね、過ちを改めることにいつも努力している。こうしたことに精進する人をこそ、真に学問を好む人というべきだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「君子吃不求飽、住不求安、做事靈敏、言談謹慎、積極要求上進,就算好學了。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「諸君が食べて飽きを求めず、住んで安らぎを求めず、仕事をして利発で素早く、語って慎み深く、積極的に進歩を求めたなら、間違いなく学問好きと言える。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす


子曰(シエツ)(し、いわく)

孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間から金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。詳細は論語と日本儒教史を参照。

君子(クンシ)

君子 諸君 孔子 孟子

論語の本章では”弟子の諸君”。孔子生前の語義は単に”貴族”を意味し、派生的に「諸君子」が縮まって「君子」となり、”諸君”の語義があった。ただし”教養ある人格者”などのような偽善的語義は、孔子没後一世紀に現れた孟子が提唱してからである。詳細は論語における「君子」を参照。

食(ショク)

食 甲骨文 食 字解
(甲骨文)

論語の本章では”食べる”。初出は甲骨文。『甲骨文の字形は「シュウ」+点二つ”ほかほか”+「豆」”たかつき”で、食器に盛った炊きたてのめし。甲骨文・金文には”ほかほか”を欠くものがある。「亼」は穀物をあつめたさまとも、開いた口とも、食器の蓋とも解せる。原義は”たべもの”・”たべる”。詳細は論語語釈「食」を参照。

無(ブ)

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

論語の本章では”するな”。初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

求(キュウ)

求 甲骨文 求 字解
(甲骨文)

論語の本章では”もとめる”。初出は甲骨文。ただし字形は「」。字形と原義は足の多い虫の姿で、”求める”の意になったのは音を借りた仮借。論語の時代までに、”求める”・”とがめる””選ぶ”・”祈り求める”(𦅫鎛・春秋)の意が確認できる。詳細は論語語釈「求」を参照。

飽(ホウ)

飽 甲骨文 飽 字解
(甲骨文)

論語の本章では”飽きる・満足する”。初出は甲骨文。字形は、飯を盛ったたかつき「豆」に人が上から蓋をする形。”お腹いっぱい、ごちそうさま”の意だろう。「豆」の甲骨文には、蓋を描いたものとそうでないものが混在する。表の下の画像を参照。部品の「包」にも”みちる”の意がある。詳細は論語語釈「飽」を参照。

居(キョ)

居 金文 居
(金文)

論語の本章では”住まう”。初出は春秋時代の金文。字形は横向きに座った”人”+「古」で、金文以降の「古」は”ふるい”を意味する。全体で古くからその場に座ること。詳細は論語語釈「居」を参照。

安(アン)

安 甲骨文 安 字解
(甲骨文)

論語の本章では”やすらぎ”。初出は甲骨文。字形は「宀」”やね”+「女」で、防護されて安らぐさま。論語の時代までに、”順調である”・”訪問する”を意味した。疑問詞・反問詞などに用いるのは当て字で、焉と同じ。詳細は論語語釈「安」を参照。

敏(ビン)

敏 甲骨文 敏 字解
(甲骨文)

論語の本章では”素早い”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は頭にヤギの角形のかぶり物をかぶった女性+「又」”手”で、「失」と同じく、このかぶり物をかぶった人は隷属民であるらしく、おそらくは「キョウ」族を指す(→論語語釈「失」論語語釈「羌」)。原義は恐らく、「悔」と同じく”懺悔させる”。論語の時代までに、”素早い”の語義が加わった。詳細は論語語釈「敏」を参照。

於(ヨ/オ)

烏 金文 於 字解
(金文)

論語の本章では”…に”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は西周早期の金文。ただし字体は「烏」。現行字体の初出は春秋中期の金文。「ヨ」は”…において”の漢音、呉音は「オ」。「オ」は”ああ”の漢音、呉音は「ウ」。西周時代では”ああ”という感嘆詞だったが、春秋時代末期になると”…において”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「於」を参照。

事(シ)

事 甲骨文 事 字解
(甲骨文)

論語の本章では”事務”。動詞としては主君に”仕える”の語義がある。初出は甲骨文。甲骨文の形は「口」+「筆」+「又」”手”で、口に出した言葉を、小刀で刻んで書き記すこと。つまり”事務”。「ジ」は呉音。詳細は論語語釈「事」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”…と同時に”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”。金文になると、二人称や”そして”の意に転用され、原義では用いられなくなった。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

愼(シン)

慎 金文 慎 字解
(金文)

論語の本章では”つつしむ”・”重大なこととして考える”。新字体は「慎」。初出は西周中期の金文。論語の時代に通用した字体では、「真」と書き分けられていないものがある。字形は「阝」”はしご”+「斤」”近い”+「心」。はしごを伝って降りてきた神が近づいたときのような心、を言うのだろう。詳細は論語語釈「慎」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ことば”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

敏於事而愼於言

論語の本章では”言葉は慎重に、行動は迅速に”ということ。

なお論語里仁篇24によく似た言葉として「君子欲訥於言、而敏於行」(口数は少なく、行動は迅速に)とあり、論語陽貨篇では仁が行われる条件の一つに「敏」を挙げて子張に説いている。

また論語顔淵篇12子路を評して「片言可以折獄者、其由也與。子路無宿諾」(仕事が速い。判決を宵越ししない)とあり、行政を宿=宵越ししないことを仁政の条件としている。

就(シュウ)

就 甲骨文 就 字解
(甲骨文)

論語の本章では”参照する”。初出は甲骨文。同音からは原義を求めがたい。字形は上下に「亯」(享)+「京」で、「亯」は”祖先祭殿”を、「京」は”高地にある都市”を意味する。甲骨文では地名に用いられ、金文では”つけ加える”、人名、”進む”を意味したという。”付き従う”の語義は春秋時代以前では確認できない。詳細は論語語釈「就」を参照。

有(ユウ)

有 甲骨文 有 字解
(甲骨文)

論語の本章では”持っている”。初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。原義は腕で”抱える”さま。詳細は論語語釈「有」を参照。

道(トウ)

道 甲骨文 道 字解
(甲骨文)

論語の本章では”原則”。動詞で用いる場合は”みち”から発展して”導く=治める・従う”。”言う”の意味もあるが俗語。初出は甲骨文。字形に「首」が含まれるようになったのは金文からで、甲骨文の字形は十字路に立った人の姿。「ドウ」は呉音。詳細は論語語釈「道」を参照。

有道

論語の本章では”世間の良識”。

武内本によると、唐の時代では「道」の字は本文に入っておらず、「就有」では意味が分からないから、注釈として行の横に書き添えた字だという。その場合は「就有而正」は「みちあるにつきてただせ」と訓み、”良識に従って正せ”。

ところが石碑が建てられた開成年間(836-840)より約千年も前、前漢武帝の時代に生きたはずの孔安国が、すでにこういう注釈を書いた、ことになっている。

孔安國曰敏疾也有道者謂有道徳者也正謂問事是非也

孔安国
孔安国「敏とは素早いことだ。有道とは道徳のある者のことだ。正とは事の是非を尋ねることだ。」(『論語集解義疏』)

孔安国は生没年未詳で、漢儒のくせに避諱すべき「邦」を使うなど、実在が極めて疑わしい人物だが、これが正しいなら、すでに前漢時代に「有道」になっていたことになる。しかし中国人というのは自分のつじつま合わせのためなら、平気で古文書の改竄をやらかすので、どこまで信用できるかは分からない。

正(セイ)

正 甲骨文 正 字解
(甲骨文)

論語の本章では”正す”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「囗」”城塞都市”+そこへ向かう「足」で、原義は”遠征”。論語の時代までに、地名・祭礼名、”征伐”・”年始”のほか、”長官”、”審査”の意に用い、また「政」の字が派生した。詳細は論語語釈「正」を参照。

『定州竹簡論語』の注釈は「正は政を代用できる。古くは政を正と書いた例が多い」と言う。その理由は漢帝国が、秦帝国の正統な後継者であることを主張するため、始皇帝のいみ名「政」を避けたから。結果『史記』では項羽を中華皇帝の一人に数え、本紀に伝記を記した。

そして乱暴者として描いた。対して漢を創業した劉邦は、秦の下級官吏でありながら反乱を起こし、その際「法三章」=”秦の法を緩める”と公約しながら、天下を取るとごっそり秦の法を復活させた。その二重の後ろめたさを誤魔化すため、項羽を暴君の皇帝にしたのである。

「正」の目的語が自分か他者かによって、「就有道而正」の解釈は異なってくる。

  1. 自分:「みちあるにつきてただせ」(原則に従って自分を正せ)
  2. 他者:「みちあるにつきてただせ」(原則のある君主に仕えて政道を正してやれ)

ただし下記する、本章が創作された頃の漢籍を参照すると、”自分を正せ”に理がある。

焉(エン)

焉 金文 焉 字解
(金文)

論語の本章では「いずくんぞ」と読んで、”なぜ”を意味する疑問のことば。初出は戦国早期の金文で、論語の時代に存在せず、論語時代の置換候補もない。漢学教授の諸説、「安」などに通じて疑問辞と解するが、いずれも春秋時代以前に存在しないか、疑問辞としての用例が確認できない。ただし春秋時代までの中国文語は、疑問辞無しで平叙文がそのまま疑問文になりうる。

字形は「鳥」+「也」”口から語気の漏れ出るさま”で、「鳥」は装飾で語義に関係が無く、「也」は戦国時代以降では、疑問・反語・断定を意味した。詳細は論語語釈「焉」を参照。

可(カ)

可 甲骨文 可 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…でよい”。積極的に認める意味ではない。初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”…できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”…できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

謂(イ)

謂 金文 謂 字解
(金文)

論語の本章では”…だと評価する”。現行書体の初出は春秋後期の石鼓文。部品で同義の「胃」の初出は春秋早期の金文。『学研漢和大字典』によると、胃は、「まるい胃袋の中に食べたものが点々と入っているさま+肉」で、まるい胃袋のこと。謂は、「言+〔音符〕胃」の会意兼形声文字で、何かをめぐって、ものをいうこと、という。詳細は論語語釈「謂」を参照。

好(コウ)

好 甲骨文 好 字解
(甲骨文)

論語の本章では”好む”。初出は甲骨文。字形は「子」+「母」で、原義は母親が子供を可愛がるさま。春秋時代以前に、すでに”よい”・”好む”・”先祖への奉仕”の語義があった。詳細は論語語釈「好」を参照。

學(カク)

学 甲骨文 学
(甲骨文)

論語の本章では”学ぶ”。初出は甲骨文。新字体は「学」。原義は”神聖な建物”。上部は「コウ」”算木”を両手で操る姿。「爻」は計算にも占いにも用いられる。「ガク」は呉音。詳細は論語語釈「学」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に用いている。初出は春秋時代の金文。原義は諸説あってはっきりしない。「や」と読み主語を強調する用法は、春秋中期から例があるが、「也」を句末で断定に用いるのは、戦国時代末期以降の用法で、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

已(イ)

已 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…てしまう”。初出は甲骨文。字形と原義は不詳。字形はおそらく農具のスキで、原義は同音の「以」と同じく”手に取る”だったかもしれない。論語の時代の語義は不詳だが、”…てしまう”など断定・完了の意は出土物に確認できない。詳細は論語語釈「已」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”(きっと)…である”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。同音で同義の「已」が、論語時代の置換候補になる。字形の下部は「矢」だが、上部の由来は明瞭でなく、原義も明瞭でない。初出の金文は”…である”だと解釈されている。詳細は論語語釈「矣」を参照。

也已→已矣

論語の本章では強い断定をあらわす助辞。”…だけだ”。「也」に限定の助詞「已」が加わったもの。「也」より強く断定する場合に用いる。『論語集釋』には、「漢石經作”好學已矣”」とあり、後漢末の時点では「已矣」となっていたと分かるが、「已」も「矣」も断定・完了を表す。

ただし「矣」は論語の時代に存在せず、同音同義に「已」があるが、そうなると本章の文末は「已已」になっていたとするほか史実性を説けない。さすがにこれはおかしく、「已」一字だけだったろう。

なお「已矣」は「やんぬるかな」「やみなん」とも読み下し、「もうだめだ。もうこれまでだ。絶望をあらわすことば」と『学研漢和大字典』にいう。だが本章は絶望の意ではあるまい。

就有道而正。焉可謂好學已矣。

ここは句読の切り方が二つある。

伝統的句読:就有道而正。可謂好學已矣。
有道に就き正しなん。學を好むと謂う可き已矣のみ
原則に従って正してしまえ。まさに学問を好むと評価すべきだ。
訳者の句読:就有道而正。可謂好學已矣。
道有るに就き而正せ。いずくんぞ學を好むと謂う可き已矣のみならん
原則に従って正せ。なぜ学問を好むと評価すべきだけなの

どちらにも理はある。まず従来の句読だが、6字・6字で綺麗に切れることが挙げられる。ただし漢文は必ずしも6字で切れるわけではないので、ただそれだけのことだ、とも言える。また上記「已矣」で検討したように、もとは「已」一字だった可能性がある。すると6字・6字の切れに意味がなくなる。

また「原則に従って正してしまえ」から、「まさに学問を好むと評価すべきだ」に文脈が繋がらず、何を言っているのか分けが分からない。

対して訳者の句読は、「就有道正」の目的語が「有道」だとすることからの切り分けで、「良識に従って自分の軌道修正をしろ」→「学問ばかりしていてはいけないのだ」と話が繋がる。

従来の句読は、過去の儒者の意見に従った前者の訓みだが、その原文を参照しよう。

古注『論語集解義疏』

云可謂好學也已矣者合結食無求飽以下之事竝是可謂好學者也

古注 何晏 古注 皇侃
「可謂好学也已矣」と孔子様が仰せになったのは、「食に飽くを求むるなく」以下の、「いい住まいを求めず、言葉は慎重行動は迅速」が全て揃ったら、それで学を好む者と言っていい、の意味だ。

句読を「焉」の直後で区切った理由を、何一つ説明していない。蛇足ながら、新注も参照しておこう。

新注『論語集注』

好,去聲。不求安飽者,志有在而不暇及也。敏於事者,勉其所不足。慎於言者,不敢盡其所有餘也。然猶不敢自是,而必就有道之人,以正其是非,則可謂好學矣。凡言道者,皆謂事物當然之理,人之所共由者也。尹氏曰:「君子之學,能是四者,可謂篤志力行者矣。然不取正於有道,未免有差,如楊墨學仁義而差者也,其流至於無父無君,謂之好學可乎?」

朱子 新注
好の字は弱め下がり調子に読む。

安楽と飽食を求めない者には、高い志があってその実現のためたゆまぬ努力をするものである。行動が迅速な者は、自分の出来ない点を改めようと努力するものである。言葉に慎重な者は、自分の力を出し尽くそうとはしないものである。

しかしこれでいいのだと自己満足に陥ることなく、必ず道理をわきまえた人に付き従って、自分の価値観を正す。これがすなわち、学問を好むということだ。何事につけ道理というものは、全てそうなってしかるべきことわりを指し、人は皆それに従うのだ。

イン氏(トン)「君子の学問とは、(安楽と飽食を求めず、行動が迅速で、言葉に慎重という)この四つの項目と言えるが、それを強く志して実践に努力するに値すると言って良い。しかし道理をわきまえた人に正しい道を教わらないと、間違った思い込みを免れない。

例えるなら楊朱や墨子の学問にも仁義はあるが、儒学より劣っているようなものだ。そんな学問を突き詰めても、父親や主君がいないも同然の無道に陥るから、学問を好むとどうして言えようか。」

句読の切り方に疑問すら持っていない。こりゃあダメだ。

孔子~古注は約730年。新注までは約1680年。現在までは約2500年。はるか昔の読めなくなった文章を、試行錯誤して読み進める点では、新古の注を書いた儒者も、現代の論語読者も変わらない。だから両者は対等で、儒者の根拠無きでたらめは、でたらめと断じてかまわない。

論語:解説・付記

論語の本章は定州竹簡論語に無く、前段は後漢末まで誰も引用せず、『漢書』王莽伝に「孔子曰、食無求飽、居無求安、公之謂矣。」再出するのみ。中段は前漢・陸賈の『新語』に、「故君子篤於義而薄於利、敏於事而慎於言」と出てくるまでやはり誰も引用していない。

後段は、前漢の『説苑』に、「季孫問於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如」とあるまで、また前漢末の楊雄(揚雄)『法言』に、「可謂好學(也)已」とあるまで誰も引用していない。『史記』にも再録がない。ただし「焉」は無くとも疑問文たり得るので、偽作を断定できない。

ただし、仮に史実の孔子がこのような説教をするのなら、「世間の良識に従って」などと言い出すのは難しい。当時の良識に従うなら、社会の底辺から成り上がった孔子と、これから成り上がろうとする弟子一同は、とんでもない不埒者になるからだ。

論語は、孔子生前の時代背景や、孔子塾がどのような集団だったかを理解しないと、何が書いてあるか分からない。春秋時代は身分制度の社会だったが、社会の底辺出身の孔子が宰相になったことで、その秩序が崩れ始めた。孔子塾はそれを助長する学塾だった。

つまり成り上がった当人である孔子が、そのほとんどが庶民である塾生に、君子=貴族に相応しい技能と教養を伝授して、卒業生が次々と仕官して貴族になることを目指す団体だった。従って、「お勉強が出来る」とおだてられているうちはまだまだで、孔子も肯定しなかった。

孔子 悩み
『詩経』を全部暗記しました、と自慢する奴が、役所仕事はしくじる使いは務まらずでは、全くの役立たずだ。(論語子路篇5)

ここから、孔子塾がただのカルチャーセンターではなかったことが読み取れる。歴代の儒者がそのように理解したがった理由は、儒者の学問は官職を得ることが目的ではなく、官職はカネと権力を得るための手段に過ぎず、面倒くさい役所仕事などまっぴらご免だったからだ。

また論語の本章に言う「学」は、春秋時代では”座学”を意味し、孔子塾の必須科目のうち、座学で済むのは読み書きと算術だけ。あとの礼法・音楽・戦車術・弓術は、「学」ぶものではなく「習」うものだった。当時の貴族は従軍したから、「学を好む」だけでは務まらない。
カーラ 弓

対して歴代、九分九厘の儒者はワイロ取りとポエム書きしか能が無く、賄賂と箸と筆より重い物を持とうとしなかった。力仕事をするのは、卑しい者だと馬鹿にした。その結果が現中国にまで至る、役人と民間人の間の、主人と奴隷の如き関係で、それが崩れぬのを儒者は願った。

事情は論語の時代も変わらず、だから塾生は成り上がり目指して励んだのだが、ゆえに教える側の孔子としては、「お勉強だけしていれば良いよ」とは言えなかった。言った瞬間に、弟子がぞろぞろと逃げるに決まっているからだ。実績の無い予備校に入る者は今もいない。

後漢の王充が、面白がってこんな伝説を書き付けている。

少正卯在魯,與孔子並。孔子之門三盈三虛,唯顏淵不去,顏淵獨知孔子聖也。夫門人去孔子歸少正卯,不徒不能知孔子之聖,又不能知少正卯,門人皆惑。子貢曰:「夫少正卯、魯之聞人也,子為政,何以先之?」孔子曰:「賜退!非爾所及!」夫才能知佞若子貢,尚不能知聖,世儒見聖,自謂能知之,妄也。

王充
少正卯は孔子と同様に、魯で塾を開いていた。孔子塾とは塾生の取り合いになり、たいていの弟子は三度ほど両塾を出入りした。ただし顔淵だけは孔子塾にいたままだった。顔淵だけが、孔子の真価を理解していたからである。

孔子塾から少正卯塾に移籍した者は、孔子の真価が分からなかっただけでなく、少正卯の人となりも知らなかった。ただ風に吹かれるかんなくずのように、行ったり来たりしていただけだった。その一人である子貢が言った。

子貢 遊説 孔子 説教
子貢「あの少正卯という人は名高いですが、先生が政権を握ったら、どうなさいます?」
孔子「うるせえ。お前の知ったことか。」

子貢ほど才に溢れた者が、孔子の真価を知らなかったのである。だからどこにでもいるバカたれ儒者が、「この人は偉い」と言っても信用するわけにいかない。(『論衡』講瑞5)

史実ではあるまいが、論語の時代もこの程度には、弟子は不逞の輩だったに違いない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思えば全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。空港の刃物検査通過は、やったことがあるが存外簡単だ。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。朴ったら○すぞ。それでもやるなら、覚悟致せ。



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