論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「父在觀其志、父沒觀其行。三年無改於父之道、可謂孝矣。」
*後半は論語里仁篇20と同じ。
復元白文
※沒→勿・矣→已。
書き下し
子曰く、父在さば其の志を觀、父沒らば其の行を觀る。三年父の道於改むる無からば、孝と謂ひ矣可し。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「父親が生きていればその思いを時間を追って見定めるようにし、亡くなったらその行いを時間を追って見る。その上で三年間父親の決めた方針を変えないのなら、やっと孝行と評価してよい。」
意訳
世の親御さんたち。よーく聞きなさい。子はじっと親の言動を見ておりますぞ。死後三年過ぎても子供に文句を言われないようでないと、子は孝行者に育ちませんぞ。
従来訳
先師がいわれた。――
「父の在世中はそのお気持を察して孝養をつくし、父の死後はその行われた跡を見て、すべての仕来りを継承するがいい。こうして三年の間父の仕来りを改めず、ひたすら喪に服する人なら、真の孝子といえるであろう。」
現代中国での解釈例
孔子說:「父親在時世時看其志向,父親死後看其行動,三年內不改父親的規矩習慣,可算孝了。」
孔子が言った。「父親の生前はその志を見、父親の死後はその行動を見る。〔死後〕三年以内に父親の定めたおきてと習慣を改めないなら、孝行者に含めてしまってもよい。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
父
(金文)
論語の本章では”父親”。
『学研漢和大字典』によると「おの+又(手)」の会意文字。原義は手に石おのを持って打つ姿で、斧(フ)(おの)の原字。詳細は論語語釈「父」を参照。
在
(金文)
論語の本章では、”生きている”。
『学研漢和大字典』によると「土+(音符)才」で、土でふさいで水流を切り止め進行を止めること。転じて、じっと止まる意となる、という。詳細は論語語釈「在」を参照。
觀(観)
(金文)
論語の本章では”並べて見比べる。つまびらかに見きわめる”。『大漢和辞典』の第一義は”みる”、以下”しめす・あらはす…”と続く。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、觀の左側の字(音カン)は口をそろえて鳴く水鳥を示し、そろえる意を含む。觀はそれを音符とし、見を加えた字で、物をそろえてみわたすこと。
權(=権。そろえてはかる)・顴(カン)(左右そろったほお骨)などと同系のことば、という。
詳細は論語語釈「観」を参照。
志
(金文)
論語の本章では”こころざし”。『大漢和辞典』の第一義も”こころざし”。『学研漢和大字典』には”心が目標を目指して進み行くこと”とある。『字通』には”古くは誌・識の意に用い、むしろ心にある意こそが初義であろう”という。ここでは”思い”と訳した。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、この士印は、進み行く足の形が変形したもので、之(シ)(いく)と同じ。士女の士(おとこ)ではない。志は「心+(音符)之」で、心が目標を目ざして進み行くこと。詩(何かを志向する気持ちをあらわした韻文)と同系のことば、という。
口や行動には出さない、心の中のことであり、生きているからこそ察することが出来ると気付くと、今回は従来訳が卓見と思える。詳細な語釈は論語語釈「志」を参照。
没/沒
(金文大篆)
論語の本章では”世を去る”。ただし結論として、この文字=言葉は孔子在世当時には存在しなかった。カールグレン上古音はmwət、同音は旁に𠬛を共有する文字のみ。𠬛(ボツ)には”くぐる・しずむ”の語釈が『大漢和辞典』にあり、没と通じるとも言うが、甲骨文・金文共に存在せず、初出は後漢の『説文解字』になる。ただし近音の「勿」が甲骨文より存在する。
詳細は論語語釈「没」を参照。
改
(金文)
論語の本章では”変更する”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「攴(動詞の記号)+(音符)己」で、はっと緊張させておこすこと。たるんだものに活を入れておこす意、という。詳細は論語語釈「改」を参照。
道
(金文)
論語の本章では”やり方・きまり”。
『学研漢和大字典』によると「辵(足の動作)+音符首」の会意兼形声文字で、首(あたま)を向けて進みいくみち。また、廸(みち)と同系と考えると、一点から出てのびていくみち。詳細は論語語釈「道」を参照。
謂(イ)
(金文・篆書)
論語の本章では、”価値判断を含めて発言する。評論する”。
詳細は論語語釈「謂」を参照。
孝
(金文)
論語の本章では”孝行者”。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「老人の姿を示す老の字の上部+子」。コウは、好(たいせつにする)と同系。また、効(力を尽くす、力をしぼり出す)と同系と考えることもできる、という。詳細は論語語釈「孝」を参照。
なお「孝」の字は甲骨文では発掘されておらず、西周(BC1100頃-BC771)中期の金文でやっと現れる。これは孝行の概念が意外に新しいことを示している。つまり周代に入ってかなり過ぎてから、孝行がもてはやされ、あるいはお説教として広まった可能性が高い。
『史記』では古代の聖王・舜を、夏-殷-周王朝より前の人物として取り上げ、並外れた孝行者として持ち上げるが、もとより舜などの聖王は創作された人物であり、孝行を強調することがかえって、実在の人物でないことを示している。
矣
(金文)
”…である”と断定したり、詠嘆の語気を表す記号だが、戦国末期までにしか遡れない。孔子在世当時には、おそらく「已」と書かれていた。詳細は論語語釈「矣」を参照。
可謂孝矣
論語の本章では”やっと孝行と評価してもいい”。「可」は”してもよい”の意で、積極的に認める意ではない。従って前句の「三年無改於父之道」を条件として、”そこまで行って…だ”ということ。「矣」は強い断定で、ここでは”やっと”。
ただし解釈は大きく二つに分かれ、
- 三年改めないほど子が立派→子は孝行者
- 三年改めさせずに済むほど父が立派→子は孝行者
のどちらなのかは明記されていない。だから読者が好きなように選んでもいいのだが、孔子が子としての立場から父を論じた言葉は伝わらない。誰が父だか知らなかったためで、おそらく孔子の母・顔徴在も、”たぶんあの人だ”という感覚があったに過ぎない。
顔徴在は巫女であり、各古代文明で巫女が娼婦を兼ねていたように、孔子の父も母の客だったと思われるからだ。加えて孔子は父として、たった一人の息子に冷たかったことが論語季氏篇16に記されている。その息子・孔鯉に先立たれた後も、ずいぶん冷たいことを言っている。
ところが最愛の弟子の一人、顔回についてはこういうことを言っている。
孔子は実子の出来の悪さと、顔回の出来の良さを思いながら、実であれ疑似であれ父子関係は、父の方により責任があると感じていたように見える。また若い頃では、斉の景公に「父は父、子は子らしくあれ」と説教し(論語顔淵篇11)、晩年では楚の葉公にこう言っている。
たとえ盗みを働こうとも、父は子をかばい、子は父をかばうのが、正直というものですぞ。(論語子路篇18)
生涯を通じて、一方的な親孝行を説いていない。孔子にとって、親子関係もまた双務的だったのだ。
論語:解説・付記
後半が論語里仁篇20にも重出。既存の論語本では吉川本によると、三年の喪は足かけ三年で、実は27ヶ月もしくは25ヶ月という。
論語と言えば儒教、儒教と言えば親孝行、と思われがちだが、もし本章が孔子の肉声なら、そんなことを言うはずがない。従来の論語本が解釈したような、一方的な親孝行の条件を押し付けているのではなく、それぐらいでないと子は孝行するにもやりようがない、と言っている。
孔子は父が誰とも知れず、母の手一つで育てられた。その底辺から魯国の宰相格にまで出世した孔子は、決して既存秩序の維持者ではない。出世した後も当時の貴族には珍しく、奥さん一人だけ、息子も一人だけ。娘もいてその人数が知れないが、家族に冷たい人だった。
だから息子にあとを継がせもしていない。こういう孔子が、親孝行を言い出すとは思えない。いや、言いはしたかも知れないが、世間並みに「親を大事にしなさい」といった程度で、後世の儒教が喧伝する、並外れた親孝行を、それも義務として言い出すとは信じがたい。
宋の儒者を代表する、朱子とその引き立て役が何を言ったか見てみよう。
父在,子不得自專,而志則可知。父沒,然後其行可見。故觀此足以知其人之善惡,然又必能三年無改於父之道,乃見其孝,不然,則所行雖善,亦不得為孝矣。尹氏曰:「如其道,雖終身無改可也。如其非道,何待三年。然則三年無改者,孝子之心有所不忍故也。」游氏曰:「三年無改,亦謂在所當改而可以未改者耳。」
朱子「父親が在世中は、子は好き勝手できない。勝手をしないからこそ、父の志を知りうる。父が亡くなったら、その後で父の行いを見うる。没後に見たからこそ、父の善悪が分かる。しかし父の道を固く三年間守らないと、孝行者には全然なれない。そうでなければ、父が善人だったとしても、子は孝行者になれない。」
尹氏「父の道を生涯守り続けるなら、それはいい事だ。だがもし父が悪党なら、なんで三年も待たねばならぬか。さっさと変えたらいいのだ。それなのに三年間変えないのは、孝行者だろうが父を思いやる気持がないのだ。」
游氏「三年間変えない子は、”おやじはとんでもない奴だった”とブツクサ言いながら、だらだらと父親の真似をしているに過ぎない。」(『論語集注』)
おや? …意外にも奴隷的な親孝行を言っていない。それもそのはず、朱子のおやじはとんでもない暴君で、子=朱子に怨まれていたからだ。卑屈に育てられた子供は将来必ず呵責を始める。現代精神医学の言う通りだ。奴隷的親孝行は、むしろ漢代儒者の発明らしい。
子曰父在觀其志父沒觀其行註孔安國曰父在子不得自專故觀其志而已父沒乃觀其行也三年無改於父之道可謂孝矣註孔安國曰孝子在喪哀慕猶若父在無所改於父之道也疏子曰至孝矣 云父在觀其志父沒觀其行者此明人子之行也其其於人子也志謂在心未行也故詩序云在心為志是也言人子父在則已不得專行應有善惡但志之在心在心而外必有趣向意氣故可觀志也父若已沒則子得專行無憚故父沒則觀此子所行之行也云三年無改於父之道可謂孝矣者謂所觀之事也子若在父喪三年之內不改父風政此即是孝也所以是孝者其義有二也一則哀毀之深豈復識政之是非故君薨世子聽冢宰三年也二則三年之內哀慕心事亡如存則所不忍改也或問曰若父政善則不改為可若父政惡惡教傷民寧可不改乎荅曰本不論父政之善惡自論孝子之心耳若人君風政之惡則冢宰自行政若卿大夫之心惡則其家相邑宰自行事無關於孝子也
「子曰く、父在さば…観る」。注釈。孔安国「父の生前は、子は好き勝手をしてはならない。だからひたすら父の希望を観察し、没後はその行動を思い出しながら従う。…孝子というのは父の死去をあまりに歎き、没後も思慕の念を募らせるのが、当然の道理である。」
〔皇侃〕「付け足し。本章は人の子たる者が当然従うべき軌範を説いている。父の志とは、父が果たせなかった思いのことで、『詩経』の序文に言うとおりだ。本章の心は、父の生前は、子は身勝手をしてはならず、父の気持ちをくみ取って、その望みに沿うように努めることである。だからよくよく父親の望みを観察せねばならないのである。するともし父が亡くなったら、子は身勝手この上ないことになる。だから子は父親の行いをよく思い出すべきなのである。「三年…孝行と言ってよい」というのは、没後三年間も父の生前の姿に従って行動できる者のみが、やっと孝行者の資格を得るということである。
ゆえに、〔為政者の〕孝行には二つの場面がある。一つは子は父の死去を歎くあまり、政策の決断が出来なくなる。だから君主が亡くなると、太子は宰相に三年間政治を委ねるのである。二つは三年の間、子は悲しみのあまり父のやり方を変えたがらないということである。」
ある人「もし父親が善人だったら、改めないのは結構ですが、もし悪党で無道で、民の迷惑になっていたら、没後には方針を改めた方がよいのでは?」
〔皇侃〕「本章は、父親の善悪を論じていない。子の孝行を説いているだけだ。君主の性根が悪ければ大臣が政治を取り、大臣の性根が悪ければ家臣が代行するではないか。子の孝行とは関係ないだろうが!」(『論語集解義疏』)
「父親が悪党だったらどうするのだ」という問いに対し、論点をずらして答えをはぐらかしている。これが後漢から三国、南北朝時代に大流行した儒者の偽善というもので、まっとうなものの考えを押しつぶし、インチキとでっち上げで「政治」というものを塗り固めた。
それに対して孔子は現実政治家で、嘘で塗り固めたお説教を言えばそれでよし、とはしなかった。民が説教にそっぽを向けば、それまでだったからである。加えて革命家でもあった孔子は、役人と違って役立たずな偽善を言って済むような、のんびりした人生を送らなかった。
こんにちまで論語も儒教も生き残ったのは、それ相応に実用的価値があるからで、戦乱時代に成り上がった創業皇帝やその後継者から、それ無しで支持される道理がない。それは家庭の道徳についても同様で、子を売るようなおやじに孝行を尽くせと言って、誰が従うだろう。
確かに孔子は幼少期に父を亡くし、父が誰かも分からないというから、理想的な家庭像をあこがれるように胸に抱いていたふしはある。だからといって論語を通読する限り、出来もしないようなことを、この論語学而篇の読者である初学者に言うような無茶はしなかった。
孔子は同時代の賢者・ブッダと同じく、相手の力量に合わせて教えを説く人であり、それゆえに論語のそれぞれの言葉が、必ずしも論理一貫してはいない。しかし現代の読者としては、それを踏まえて読めばいいのであって、怪しげな儒者の説に、盲目的に従う必要は無いだろう。
コメント
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とても面白く拝見させていただきました。
子供の頃から、「親孝行は子供の義務」「どんな親でも親は親。産んでくれた事に感謝しなさい」「親孝行=子が親の有難みを感じて敬いや感謝を言動で表す」といった教えに、なんとなく違和感を感じていました。
敬いや感謝の気持ちは、自然に湧いてくるものであって、そもそも何故他人の感情にガイドラインを付けようとするのだろう? ろくでもない親に育てられたら、敬いや感謝の気持ちなど抱きようが無いでしょうに、といった事を考えていました。
「孝」を子から親への上下関係とは捉えずに、親⇔子の双方向の関係だと捉えているところにものすごく納得がいきました。
3年ちゃんと愛情をもって子を育てて、その子孝行(孝→子)があってこそ、親は親孝行(親←孝)を受け取れる資格を持つって事なんですね。
ここのサイト、記載内容にボリュームがあって、でもどのページもとても面白くて、かれこれ5時間ほど知的で優雅な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
ありがとうございます。またお越し下さい。