論語009学而篇第一(9)終わりを慎み

論語学而篇(9)要約:ウスノロな曽子くん、珍しくいい事言っています。若くて健康なら、ちょっとやそっとの無茶・乱暴はついついしてしまうもの。しかし誰にでも終わりは来るのですよと、千古普遍の真理を語った一節。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

曾子曰、「愼終追遠、民德歸厚矣。」

書き下し

曾子そうしいはく、をはりつつしとほきをはば、たみとくあつきにん。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 曽子
曽子が言った。もし終わりを重大に考え、遠い時を追うなら、民の人格はきっと温厚になるだろう。

意訳

論語 曽子 ウスノロ
自分もいつか死ぬのだ。悪事を働いている場合じゃない。

従来訳

 そう先生がいわれた。――
「上に立つ者が父母の葬いを鄭重にし、遠い先祖の祭りを怠らなければ、人民もおのずからその徳に化せられて、敦厚な人情風俗が一国を支配するようになるものである。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

曾(曽)子

論語 曽 金文 論語 子 金文
(金文)

孔子から「ウスノロ」と評された弟子。論語の人物:曽参子輿を参照。

愼(慎)

論語 慎 金文 論語 満員電車 慎
(金文)

論語の本章では”つつしむ”。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、眞(シン)(=真)は、欠けめなく充実したこと。愼は「心+(音符)眞」で、心が欠けめなくすみずみまでゆきとどくこと。填(テン)(欠けめなく詰める)と同系のことば、という。

論語 終 甲骨文 論語 終 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では、”人生の終わり”。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、冬(トウ)は、冬の貯蔵用の食物をぶらさげたさまを描いた象形文字。のち日印や冫印(氷)を加えて、寒い季節を示した。収穫物をいっぱいたくわえた一年のおわり。中(なかにいっぱい)・蓄(中いっぱいにたくわえる)と同系のことば。

終は「糸+(音符)冬」で、糸巻きに糸をはじめからおわりまで、いっぱい巻いて蓄えた糸の玉。最後までいきつくの意を含む。類義語の畢(ヒツ)は、ぴたりと押さえてすべてけりがつくこと。了は、余分をからげて、ひと区切りつけること、という。

COLUMN「論語時代の文字」

以上からすると、金文が用いられた論語の時代には、冬と終はまだ文字が書き分けられていなかったと分かる。

論語 終 説文解字体 論語 終 秦篆書
「終」(『説文解字』所収書体・秦戦国文字)

論語 終 楚戦国文字 論語 終 楚戦国文字2
「終」(楚戦国文字1・2)

書き分けが確認できるのは戦国時代の秦の文字からで、同時代には南方の楚国ではまだ書き分けられていなかったり、糸の位置が違ったりした。やがて始皇帝の統一により、秦の文字が採用され、書き分けと現行の部品配置が定着した。

論語の時代、孔子や弟子たちが用いたのは、ほぼ上掲の金文に近かっただろう。秦国は中華文明圏の西の果てで、孔子の母国・魯は東方の国だからだ。また周公の末裔を誇る魯国では、文字についても保守的だったと思われる。

德(徳)

論語 徳 金文 論語 孔子 TOP
(金文)

論語では通常、”好人物の性格”を意味しない。『大漢和辞典』の第一義は”心に養い身に得たるもの”。『学研漢和大字典』では”すなおな本性に基づく行い”。

論語 省 金文 論語 険しい 省
『字通』では”金文の德はもと心でなく、のちに心を加える”とし、”字は省の初文と近く、省は目に呪飾を加えて省道巡察を行う。彳は諸地を巡行する意。その威力を心的なものとして心を加え、德という。のち徳性の意となる”という。

つまり、人生経験や教養や技術に裏打ちされた、隠然とした人格的圧力=人間の機能。君子の場合は、当然武力もその背景となる。さらに人格から進んで、政治力や現世的利益「得」をも意味する。論語を読む場合、多くの儒者が誤解しているような、”人徳”ではまずあり得ない。

但しここでは発言者が曽子であり、孔子からはっきり「薄のろ」と評された本の虫だけに、”人徳”として訳すのが妥当かもしれない。詳細は論語における「徳」を参照。

歸(帰)

論語 帰 金文 論語 箒 帰
(金文)

論語の本章では”戻っていく・終わりには~になる”。

『学研漢和大字典』によると形声。𠂤(タイ)・(カイ)は土盛りの堆積したさまで、堆・塊と同じことばをあらわす音符。歸はもと「帚(ほうき)+(音符)𠂤」の形声文字。回と同系のことば。

女性がとついで箒(ほうき)を持ち家事に従事するのは、あるべきポストに落ち着いたことなので、「キ(クヰ)」といい、のち止(あし)を加えて歩いてもどることを示した。歸は「帚(ほうき)+止(あし)+(音符)𠂤」。あちこち回ったすえ、定位置にもどって落ち着くのを広く「キ」という。

回・韋(イ)(回る)・囲(回る)・揆(キ)(ひと回り)などと同系のことば、という。

論語 厚 金文 論語 地質学者 厚
(金文)

論語の本章では”充実したさま”。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、厚の原字は、高の字をさかさにした形。それに厂(がけ、つち)を加えたものが厚の字。土がぶあつくたまったがけをあらわす。上に高く出たのを高といい、下にぶあつくたまったのを厚という。基準面の下にぶあつく積もっていること。

垢(コウ)(下にたまったごみ)と同系のことば。また、后や後(いずれも基準線よりあとに、または下になる)とも縁が近い。

類義語の篤(あつい)は、念入りなこと。渥は、ねんごろなさま。淳は、真心があって、情け深い。惇は、落ち着いていて、人柄にあつみがある。敦は、ずっしりと安定している、という。

論語:解説・付記

従来訳の解釈は、ほぼ朱子=新注の受け売りと言っていい。

論語 朱子
慎終とは、礼法にかなった葬儀をすることだ。追遠は、誠実な祭祀を行うことだ。民徳帰厚は、下民にこのことわりを教えることを言い、そうした道徳が丁寧に行われるようになることを指している。
ところが私の感想では、人は自分の死を考えないようにして生きている。しかし我ら君子は、死を身近に捉えることが出来る。人は遠い先のことを考えないで生きている。しかし我ら君子は、それをあらかじめ考える事が出来る。
これが下民に道徳を行き渡らせる道だ。だからこの二つを考える習慣を身につけると、自分の道徳が高まる。それを教えれば、下民でさえ道徳的になるだろう。(『論語集注』)

けだし」=個人の感想では、と朱子が白状しているように、従来訳のように解釈せねばならない根拠は何もない。従って従来訳に代表される、従来の論語解釈には賛成しない。しかも、「下民化之」=下民どもに我ら賢い儒者がものを教えてやる、という態度が気にくわない。

論語の時代はそういう時代だったかも知れないが、朱子は孔子より1679年後の人物。論語を読む限り、孔子は民主主義者ではないし、民の教育にも意欲的だったが(論語子路篇9)、「下民」とは決して言わなかった。儒者の高慢ちき中国史上最高潮の、朱子らしい言い方だ。

論語の本章は、『書経』サイ仲之命に「その初めを慎み、その終わりをおもわば、終に以てくるしまざらん」とあるパクリか、もじりかも知れない。曽子は頭の回転は悪かったが、その分本は読んだと思われ、今日で言えば訳者のような私立文系バカのような人物と思われるから。

慎厥初,惟厥終,終以不困。(『書経』蔡仲之命)

ただしその「蔡仲之命」は、はるか時代が下った三国時代に、当時儒教の権威だった鄭玄をおとしめるために偽作された、いわゆる偽古文尚書と言われる。儒者が自分のメシのためには何でもする生き物という事実を、見せつけられるようで肌にアワが立つ思いがする。

曽子は自分で新しい教説を立てられるような才人ではなく、孔子の教説すら表面的にしか理解できなかった。しかしすでに書かれたものをオウム返しにするには、却ってこのような人物の方がいいかも知れない。だから曽子もパクリという意識はなく、無邪気に論語に書き付けた。
論語 曽子 ウスノロ

さて意訳のように自分事として解したのは、むしろ曽子に対する好意的な訳である。論語を通読すると、孔子やその弟子たちは、民という存在を徹頭徹尾いじくる対象として捉えており、その愛護を言うのは、羊飼いが羊を可愛がるのと同じで、いわば民は経済動物だった。

論語時代までの歴史をよく知る孔子は、民とは時に一揆や反乱を起こし、為政者の首を落とす恐ろしいものだとの認識が、当然あっただろう。従って民主主義や民本主義といった感覚は無いが、だからといって古代人の孔子を責めることは出来ない。ただ事実は事実。

その反面、孔子塾はどんな階層の出身だろうと、差別なしで受け入れたことが論語述而篇28から知れるし、当の孔子が庶民の中でも、最底辺の出身。その意味で孔子塾はある種のフィルターで、ここを通過すれば民=小人ではなく、貴族の一員=君子になれる中国唯一の場だった。

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