論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
子曰、「人能弘道、非道弘人*。」
校訂
武内本:清家本により、文末に也の字を補う。唐石経章末也の字なし。漢書董仲舒伝引あり、此本(=清家本)と同じ。
書き下し
子曰く、人能く道を弘む。道人を弘むるに非ず。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「人は技術を発展させる事が出来る。技術が人を発展させるのではない。」
意訳
人間はいつも工夫して生活をよくしようとする。しかしそうした生活環境が、人をよくしてくれるわけではない。
従来訳
先師がいわれた。――
「人が道を大きくするのであって、道が人を大きくするのではない。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
能
(金文)
論語の本章では”~出来る”。
『学研漢和大字典』によると語義は以下の通り。
語義
-
- {動詞・助動詞}あたう(あたふ)。よくする(よくす)。よく。物事をなしうる力や体力があってできる。たえうる。りっぱにたえて。しっかりと。「非不能也=能はざるに非ざるなり」〔孟子・梁上〕→語法「1.2.」。
- {名詞}事をやりうる力。はたらき。「有能」「技能」「才能」。
- {形容詞}やりての。仕事たっしゃな。「能弁」「能者」。
- {動詞}ゆるす。やんわりとたえる。柔らかに接する。「柔遠能邇=遠きを柔らげ邇きを能す」〔詩経・大雅・民労〕
- {動詞}たえる(たふ)。物事をなしうるだけの力がある。また、仕事をなしうる力があって任にたえる。《同義語》⇒耐(タイ)。「鳥獣毳毛其性能寒=鳥獣の毳毛は其の性寒きに能ふ」〔漢書・蹌錯〕
- {名詞}ねばり強いカメ。▽平声に読む。
- 《日本語での特別な意味》のう。能楽のこと。
- 《日本語での特別な意味》「能登(ノト)」の略。「能州」。
弘
(金文)
論語の本章では”広げる”。
非
(金文)
論語の本章では”~でない”。
道
(金文)
論語の本章では”方法・技術・生活環境”。論語では人道・道徳を意味しない。詳細な語釈は論語語釈「道」を参照。
論語:解説・付記
論語の本章は、こんにちの世界ではすでに通用しないだろう。今やネット無き時代が想像もつかないように、科学技術は確実に人間の精神世界を広げている。蒸気機関無き時代も同様で、庶民は生まれた村に住み、生涯をそこで終えて外の世界を見ないのが当然だった。
また論語の本章は、孔子の弱点を示している。孔子が生涯政治に関わったにも関わらず、その経済政策は所得の平均化と倹約しか無かったように、論語の時代に指折りの読書家である事実と比べると、経済や技術に関して孔子は無関心だった。好みに合わなかったのだろう。
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論語の時代は技術的に一大転換期で、中国では初めて鉄器が普及した。鉄は地殻中に約4%あるが、銅は約0.005%しかなく、青銅に不可欠なスズに至っては、約0.00022%しかない。石ころの主成分・ケイ素が地殻に28%と聞けば、ざっとその量が分かるだろうか。
石を7つ拾えば、鉄を得る勘定になる。対して銅は5600個以上拾わねばならない。スズに当たれば奇跡だろう。その代わり鉄は精錬が難しく、酸素還元するのに大量の木炭が要る。コークスが出来た近代まで、木炭代用に石炭を使った鉄は、刃物としては使いものにならなかった。
しかし、農具として使う分には十分だった。論語の時代をさかのぼること約一世紀、斉の名宰相・管仲の言葉として下記の通り伝わっている。ただし『管子』は管仲の言葉をそのまま伝えた書籍ではなく、戦国から漢にかけての議論を管仲に付託して書かれたものとされている。
- 青銅は貴重ですから剣や矛を鋳て、鉄はふんだんにありますから農具や工具にしましょう。剣や矛は犬や馬で試し斬りし、農具や工具は木や土で試しましょう。
- 天下に銅山は四百六十七ケ所、鉄山は三千六百九ケ所です。(『管子』)
しかし論語の時代より前の時代、斉の都城・臨淄ではすでに製鉄が行われた遺構が発掘されており、管仲は鉄を知っていた可能性が高い。『管子』が後世の作であるとしても、鉄器の普及は論語の時代すでに始まっていた。それは巨大な影響を春秋時代の中国に及ぼした。
自然環境から言えば、論語の時代の頃までは、黄河下流域は森林地帯だっただろう。なにせサイやゾウがいたからだ。しかし木炭目当てに森は切り払われ、今日のような枯れた大地になってしまった。論語の時代の経済や学問の発展は、森や動物の犠牲で実現したと言っていい。
経済から言えば、衛の霊公が孔子に、仕事も与えないのに現代換算で111億円もの年俸をくれたのは(論語憲問篇20)、鉄器の普及による。「悪金」と呼ばれた鉄だが、個々の農民も金属農具を持てたことは、時代に対する破壊力が巨大で、経済上の核兵器と言っていい。
これは無茶な比較になるが、律令体制下の日本では、農民は金属農具を所有できず、朝役所に出向いて借り出し、夕方洗って返すのが定めだった。中国でも青銅器しかない時代には、個々の農民が金属農具を持てたとは思えず、木製で我慢するか有力者に借りるかしただろう。
上掲の『管子』によると、鉄器普及の黎明期、大国の斉の政府ですら、満足な量の青銅を保有できなかった。論語の時代にはまだ普及していなかった、青銅銭の単位が重さで表されたことも、資源としての青銅の貴重さを示している。元は地金が通貨の代用品だった名残だ。
秦の半両銭
しかし鉄器を手にした論語の時代の中国人は、生産力と共に欲望を増大させた。だから道徳の衰退が嘆かれ、戦争も絶えなかった。しかしそれ以上に人々は、自分の創意工夫で集団から自由になり、好きなように生きるのを望んだ。必然的に、地縁血縁集団も解体に向かった。
鉄器は爆発的に生産を高めるからで、つまりは地縁血縁に頼らなくても、庶民は生きやすくなった。同様に殿様は周王に従わず、家老は殿様の命令を無視したが、これも依存しなくて良くなったからだ。孔子が自由に放浪でき、論語を残せたのも、一つには鉄器のおかげ。
家臣集団からはじき出された者を食わせるだけの生産力を、鉄器がもたらしたからだ。つまり道徳・秩序崩壊と孔子の自由は同根で、どちらも鉄器の影響。すると孔子が戸板で津波を止めるように、論語で秩序回復を叫んだのは矛盾であり、孔子の技術・経済オンチを示している。