論語詳解420衛霊公篇第十五(42)師冕まみゆ*

論語衛霊公篇(42)要約:論語の時代、楽師は盲人が務めました。古礼では、神官や史官も同じです。それをよく知る孔子先生は、楽師を屋敷に迎え、介添えして席まで案内します。それはいたわりであると共に、古い作法でもありました。

論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文・白文

師冕見。及階、子曰、「階也。」及席*、子曰、「席也。」皆坐、子吿之曰、「某在斯、某在斯。」師冕出、子張問曰、「與師言之道與。」子曰、「然、固相師之道也。」

校訂

武内本

清家本により、席の下也の字を補う。

定州竹簡論語

絻a見,及陛b,子曰:「陛b[也]。」及席,子曰:「席也。」皆坐,子[告之]460:「某在此c,某在此c。」師絻a出。子[張問曰:「與師言之道與?」子曰:「然];461d相師之[道也]。」462

  1. 絻、今本作”冕”。
  2. 陛、今本作”階”。
  3. 此、今本作”斯”。
  4. 故、今本作”固”。可通。

※故ko(去)、固ko(去)。


→師絻見。及陛、子曰「陛也。」及席、子曰「席也。」皆坐、子告之曰「某在此、某在此。」師絻出。子張問曰「與師言之道與。」子曰「然。故相師之道也。」

復元白文

師 金文免 金文見 金文 及 金文坒 金文 子 金文曰 金文 坒 金文也 金文 及 金文席 金文 子 金文曰 金文 席 金文也 金文 皆 金文坐 甲骨文 子 金文告 金文之 金文曰 金文 論語 謀 金文在 金文此 金文 論語 謀 金文在 金文斯 金文此 金文師 金文免 金文出 金文 子 金文張 金文大篆問 金文曰 金文 与 金文師 金文言 金文之 金文道 金文与 金文 子 金文曰 金文 然 金文 論語 故 金文相 金文師 金文之 金文道 金文也 金文

※陛→坒・坐→(甲骨文)・張→(金文大篆)。論語の本章は也の字を断定で用いている。本章は戦国時代以降の儒者による捏造か、もしくは手が加えられている。

書き下し

べんまみゆ。きざはしおよべば、いはく、きざはしなりと。せきおよべば、いはく、せきなりと。みなれば、これげていはく、それがしここり、それがしここりと。べんづ。子張しちやううていはく、みちと。いはく、しかり、いにしへよりたすくるみちなりと。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

楽師のベンが孔子の屋敷を訪れた。床の段差に至ると、先生が言った。「段差です。」座席に至ると先生が言った。「座席です。」皆が座ると、先生は楽師の冕に案内して言った。「誰それはここに、誰それはあそこにいます。」楽師の冕が帰った。子張が質問した。「楽師と話をする方法ですか。」先生が言った。「その通り。昔から楽師を介添えする方法だ。」

意訳

論語 楽師
楽師の冕さまが先生の屋敷にやってきた。

孔子「階段です。御注意を。」
楽師の冕「あい。」
孔子「お席です。どうぞお座りを。」
楽師の冕「あい。」
孔子「かれはあそこに、かれはそこに座っています。」
楽師の冕「あい。あい。」

楽師の冕さまがお帰りになった。
子張「これが盲目の楽師さまとお話しするやり方ですか。」
孔子「そうだよ。昔からこうやって助け申し上げるのだ。」

従来訳

論語 下村湖人

めしいの音楽師の冕がたずねて来た。階段のところまで来ると、先師はいわれた。――
「階段だよ。」
やがて冕が座席の近くまで来ると、先師はいわれた。――
「さあ、ここにおかけなさい。」
みんなが座席につくと、先師は、誰はここ、誰はそこ、というふうに、一々みんなの坐っている場所を冕べんに告げられた。
冕が帰ったあとで子張がたずねた。――
「あんなふうに、一々こまかにおっしゃるのが音楽師に対する作法でしょうか。」
先師がこたえられた。――
「そうだ。相手はめしいなのだから、むろんあのぐらいなことはいってやらなければ。」

下村湖人『現代訳論語』(一部改)

現代中国での解釈例

魯國的樂官來見孔子。走到臺階前,孔子說:「這是臺階。」走到坐席前,孔子說:「這是坐席。」都坐好後,孔子告訴他:「某人在這,某人在那。」樂官走後,子張問:「這是同盲人交談的方法嗎?」孔子說:「是的,這就是幫助盲人的方法。」

中国哲学書電子化計画

魯国の宮廷楽師が孔子に会いに来た。歩いて階段の前に来ると、孔子は言った。「ここから階段です。」歩いて座席の前に来ると、孔子は言った。「これは座席です。」みながきちんと座り終えると、孔子は彼に言った。「誰それはここに、誰それはあそこにいます。」楽師が去った後、子張が問うた。「これが盲人と同席して会話を交わす方法なのですか。」孔子が言った。「その通りだ。これこそまさに、盲人を介添えする方法だ。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

絻(冕) ()、 、「 (。」 、「 。」 、「 ()、 ()。」 絻(冕) 、「 。」 、「( 。」


論語 師 金文 師 字解
(金文)

論語の本章では”楽師”。初出は甲骨文。「𠂤(積み重ね、集団)+帀(あまねし)」で、あまねく、人々を集めた大集団のこと。転じて、人々を集めて教える人、という。

もともと”軍隊”を意味する語で、日本語での「師団」とはその用法。甲骨文の段階ではへんの𠂤だけでも”軍隊”を意味した。それが”教師”の意に転じた理由は、『学研漢和大字典』では明確でなく、『字通』では想像が過ぎる。詳細は論語語釈「師」を参照。

師冕(シベン)→師絻

論語の本章では、”冕という名の楽師”。「冕」は冠のこと。辞書的には論語語釈「冕」を参照。

論語の時代、楽師は盲人が務めることが多かった。さらに周より以前、殷の時代では、『字通』によると神官や記録官(史官)も盲人の職業だった。それだけ神に近いと思われていたのである。

また「師冕」=冕という名の楽師、という表現も古い中国語の特徴を残しており、殷代までの中国語は、「帝舜」などのように、被修飾語-修飾語の語順だった。それが周代に入ると順序が逆転し、「武王」「定公」などのようになった。

日本語で言えば「犬白い」が「白い犬」に変わるようなもので、殷周革命は、言語まで変わるほどの一大民族交代だったと思わせる。

定州竹簡論語の「絻」mi̯wən(去)は、「冕」mi̯an(上)の近音で、なぜか異体字とされる。
絻 大漢和辞典

論語 見 金文 論語 見 解字
(金文)

論語の本章では”会う”。「まみゆ」と読むのは会われる側に対する日本語での﹅﹅﹅﹅﹅敬称で、「あう」と読んでも差し支えない。

初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「目+人」の会意文字で、目だつものを人が目にとめること。また、目だってみえるの意から、あらわれるの意ともなる、という。詳細は論語語釈「見」を参照。

論語 及 金文
(金文)

論語の本章では”その場所に至る”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「人+手」の会意文字で、逃げる人の背に追う人の手が届いたさまを示す、という。詳細は論語語釈「及」を参照。

”およぶ”・”いたる”という堅苦しい意味ばかりでなく、広く”元そこに無かったものがそこに移動する”の意味を示す。

一僕隨主人應試。巾箱偶墜。呼曰。頭巾落地矣。主人曰。落地非佳語。宜呼為及第。僕頷之。既拴好。因復曰。今後再不及地了。

論語 笑府 馮夢竜
召使いが主人の科挙受験にお供して試験場に向かっていた。すると何かの拍子に、主人の頭巾が地面に落ちた。

召使い「頭巾が落地おちました。」
主人「落ちるとは縁起が悪い。及第とどくと言いなさい。」

召使いはうなずいて、頭巾を主人の頭に締め直してやった。
「さあ、これでもう絶対に、及第しませんぞ」(『笑府』巻十一・頭巾)

階→陛

論語 階 金文大篆
(金文)

論語の本章では”床の段差”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「阜(土盛り)+(音符)皆(きちんとそろう)」。一方『字通』では、「皆」に整列するの意があり、阝は神が降りてくるきざはしで、もと祭壇の階段を指すと言う。二つ合わせて、一段ずつ順序よく高いところへ上ること、とする。詳細は論語語釈「階」を参照。

定州竹簡論語の「陛」は同義。詳細は論語語釈「陛」を参照。

論語 席 金文
(金文)

論語の本章では、”座り場所”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると形声文字で、「巾(ぬの)+(音符)庶(ショ)の略体」で、巾印をつけて座ぶとんを示す、という。詳細は論語語釈「席」を参照。

論語の時代は椅子とテーブルの生活ではなく、昔の日本同様、床に座布団を敷いて座り、座卓や箱膳を用いた。
論語 孔子

論語 坐 金文大篆 論語 坐 解字
(金文)

論語の本章では、”席に着く”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「人+人+土」の会意文字で、人が地上にしりをつけることを示す、という。詳細は論語語釈「坐」を参照。

論語の時代、客人や貴人が席に着いてから自分も席に着くのが礼法だった。論語では「作」を「たつ」と読むことが多いが、立ち上がるのは敬意を示すことでもあった。

吿(告)

論語 告 篆書 論語 吿 解字
(篆書)

論語の本章では”説明する”。初出は甲骨文。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、「牛+囗(わく)」。梏(コク)(しばったかせ)の原字。これを、上位者につげる意に用いるのは、号や叫と同系のことばに当てた仮借字。「説文解字」では、牛のつのにつけた棒が、人に危険を告知することから、ことばで告知する意を生じたとする。

論語 告 甲骨文 論語 吿 金文
(甲骨文・金文)

一方『字通』では木の小枝に祝詞を入れた𠙵さい器をくくり付けた形。『説文解字』に「牛、人に触る。角に横木をつける。人に告げるゆえんである」というのは俗説だという。卜文(甲骨文)・金文では牛と関係が無い、というがその通りだろう。詳細は論語語釈「告」を参照。

論語 謀 金文 論語 某 謀 梅 字解
(金文)

論語の本章では、”誰それ”。論語の時代では、「謀」(たくらむ、はかる)と同じ言葉で、書き分けられていなかった。初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「木+甘(口の中に含む)」。梅の本字。なにがしの意味に用いるのは当て字、という。詳細は論語語釈「某」を参照。

論語 在 金文
(金文)

論語の本章では”座っている”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「土+(音符)才(川の流れをとめるせき)」で、土でふさいで水流を切り止め進行を止めること。転じて、じっと止まる意となる、という。詳細は論語語釈「在」を参照。

斯(シ)→此

論語 斯 金文
(金文)

論語の本章では”ここ”。「斯」の初出は西周末期の金文。『学研漢和大字典』によると「其(=箕。穀物のごみなどをよりわける四角いあみかご)+斤(おの)」の会意文字で、刃物で箕(ミ)をばらばらにさくことを示す、という。”これ”の意に用いるのは、此・是・之と音が似ているゆえの語呂合わせである。詳細は論語語釈「斯」を参照。

定州竹簡論語の「此」は、初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「止(あし)+比(ならぶ)の略体」の会意文字で、足を並べてもうまくそろわず、ちぐはぐになること。ただし普通には、その音を借用して、斯(シ)・是(シ)・之(シ)などとともに、近いものをさす指示詞に当て、その本義は忘れられた、という。詳細は論語語釈「此」を参照。

子張

論語 子張

孔子の弟子、セン孫師のこと。詳細は論語の人物:顓孫師子張を参照。

與(与)

論語 与 金文 論語 与
(金文)

論語の本章では、”~と”の接続辞と、”~か”の疑問辞として用いられている。

師言之道 師言うの道
初出は春秋中期の金文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、与は牙(ガ)の原字と同形で、かみあった姿を示す。與はさらに四本の手をそえて、二人が両手でいっしょに物を持ちあげるさまを示す、という。詳細は論語語釈「与」を参照。

ニセ孔子 孟子

論語の本章では、”方法”。本章は上記の通り「也」の語法から史実を疑うべき理由があるものの、「道」を道徳的なそれとして用いていない点は、春秋時代の語義に合致する。「道」に道徳的・哲学的意味が込められたのは、”孔子の道”というこから始まった後世の説であり、儒・墨・道家の区別なく、言い出したのは孔子ではなく孟子あたりからである。

初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると「しんにょう(足の動作)+音符首」の会意兼形声文字で、首(あたま)を向けて進みいくみち、という。詳細は論語語釈「道」を参照。

論語 然 金文
(金文)

論語の本章では”その通り”。肯定の意を示す。初出は春秋早期の金文。『学研漢和大字典』によると「猒(犬の脂肪肉)の略体+火」の会意文字で、脂(アブラ)の肉を火でもやすことを示す。燃の原字で、難(自然発火した火災)と同系。のち、然を指示詞ゼン・ネンに当て、それ・その・そのとおりなどの意をあらわすようになった、という。詳細は論語語釈「然」を参照。

固→故

論語 固 金文
「固」(金文)

論語の本章では”もともと”。藤堂本では”もちろん・きまりきったことに”と解するが、定州竹簡論語で「故」となっていることから、”むかしから”と解するのが妥当。「固」にも”古くなって干からびた”の語義があり、「故」は”古いものに攵=手を付ける”ということ。論語の本章に当てはめると、古いならわしに倣うということである。

「固」の初出は戦国時代末期の金文。論語の時代に遡れない。論語時代の置換候補は「股」。『学研漢和大字典』によると「囗(かこい)+音符古(かたくひからびた頭蓋骨)」の会意兼形声文字で、周囲からかっちりと囲まれて動きのとれないこと、という。詳細は論語語釈「固」を参照。

「故」の初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると「攴(動詞の記号)+〔音符〕古」の会意兼形声文字で、かたまって固定した事実になること。また、すでにかたまって確立した前提をふまえて、「そのことから」とつなげるので「ゆえに」という意の接続詞となる、という。詳細は論語語釈「故」を参照。

論語 相 金文
(金文)

論語の本章では”たすける”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「木+目」の会意文字で、木を対象において目でみること、という。詳細は論語語釈「相」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章は上記の検討の通り、也の字を断定で用いていることから、論語の時代にまでは遡れないのだが、同じ様な孔子塾の光景や孔子の発言はあったものだと考えたい。「也」di̯a(上)を「已」zi̯əɡ(上)に置き換えてしまえば春秋時代の中国語として通るし、本章を偽作して後世の儒者がなにがしか得をするとも思えないからだ。

論語の本章について、武内本は次のように言う。「師は楽師、冕はその名、古の楽師は皆盲目の人を用う、師冕も亦盲者なり、故に之を案内してその位置を言いきかすなり。」

論語の本章は、もとより孔子の人道主義を表す挿話ではあるが、同時に孔子の宗教観を示す話でもある。「もとより」と孔子が言ったように、盲目の楽師を介添えするのは周よりさらに古い礼法であり、盲人がそれだけ神に近い存在であると孔子が認識していたことを示している。

論語子罕篇10に、孔子は喪服の者、礼服を着た者と並んで、盲人に出会うと「わかしといえども必ずつ、これよぎるに必ずはしる」とある。上記のように立ち上がるのは敬礼の一種であり、その前で小走りするのは君主など貴人に対する礼だった。盲人のまとう権威をおそれ敬ったのだ。

孔子は論語の時代に生きた人物としては、かなり透明な理性を持っていたが、そこは古代人で、戦乱はもとより台風や雷でも潔斎を行った(論語述而篇12)。怪力乱神を語らなかったのは、災害との因果関係があやふやだったからで、天災や疫病は大自然の意志と解釈していた。

論語で神と同列に扱われた古代の聖王をいぶかしんだのは、人間だったからだ。世を去ったからと言って、人間が禍福をもたらすとは思えなかったのだ。それは人身御供に反対したのと同じ思考に添うもので、絶対者である天を恐れはしても、人格神だとは思わなかっただろう。

例えば伝説上の中国の開祖、黄帝は、竜に乗って天に昇ったことになっているが、孔子はそれが天そのものや、天を構成する一部とは断言しなかった。漢代になってからの記録だが、論語時代には珍しい、孔子以上の合理主義者の弟子の宰我と、以下のような会話を交わしている。

宰我問於孔子曰:「昔者予聞諸榮伊,言黃帝三百年。請問黃帝者人邪?亦非人邪?何以至於三百年乎?」孔子曰:「予!禹、湯、文、武、成王、周公,可勝觀也!夫黃帝尚矣,女何以為?先生難言之」宰我曰:「上世之傳,隱微之說,卒業之辨,闇昏忽之,意非君子之道也,則予之問也固矣。」

論語 宰我 宰予
宰我が孔子に質問した。「昔栄伊という人に聞きましたが、黄帝の寿命は三百年だったそうですね。そりゃ一体人ですか、それとも何かバケモノのたぐいですか?」

論語 孔子 激怒
孔子「こりゃ宰我。何てことを言うんだ。夏の禹王、殷の湯王、周の文王・武王・成王陛下、そして周公さまは、何をなさったかよく分かっておる。黄帝陛下は尊貴なお方じゃぞ? 一体何だと思っているんだ。昔のことは、よく分からんことが多くて当たり前じゃ!」

宰我「はあ。昔の伝説、言えない秘密、業績をやり遂げた話は、あっという間に黒魔術みたいになってしまいますな。君子たるもの真に受けてはダメだと言うことですか。こりゃ失礼しました、私がヤボでした。」(『大載礼記』五帝徳篇)

神権政治の殷から、人間主義の周代となり、その文化を愛した孔子は(論語八佾篇14)、人は人、神は神と区別していた。論語の教説の中心である仁も、藤堂説に従うなら、人が二人寄り添った姿が原義。人界のことは人が解決する。孔子は天を敬っても、頼らない人物だった。

孔子が天の実在を信じたのは、あるいは音楽に理由があるかも知れない。調和した音というものをこの世に送り出したのは、自然現象と同じく天としか思えなかっただろう。それをよく知り楽器を操る盲目の楽師が、かつて神官だったと知って、孔子はうなずいたに違いない。

『論語』衛霊公篇おわり

お疲れ様でした。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)

コメント