論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
周公謂魯公曰、「君子不施*其親、不使大臣怨乎不以。故舊無大故、則不棄*也、無*求備於一人。」
校訂
武内本:釋文施を弛に作る。弛は棄忘也、廢也。唐石経棄を弃に作り、毋を無に作る。
書き下し
周公魯公に謂ひて曰く、君子は其の親を施てず、大臣を使て以ゐられざる乎怨ましめず。故舊は大故無からば則ち棄てざる也、備はるを一人於求むる無し。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
周公が魯公に言った。「君子は身内を捨てない。重臣に用いられない怨みを持たせない。古いなじみは大きな間違いが無ければ捨てない。(万能が)備わっていることを一人に求めない。」
意訳
周公が、領地に赴く魯公に言った。
「身内を大切にせよ。えこひいき無く重臣を用いて、欲求不満の者を出すな。古いなじみは、よほどのことをしでかさない限り見捨てるな。一人の家臣に、何でも出来ることを求めるな。」
従来訳
周公が魯公にいわれた。――
「君主たるものは親族を見捨てるものではない。大臣をして信任のうすきをかこたせてはならぬ。古くからの臣下は、重大な理由がなければ棄てないがいい。一人の人に何もかも備わるのを求めてはならぬ。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
周公
血統上の魯国の始祖、周公旦のこと。論語では、周王朝の一族で開国の功臣で、摂政も務めたとされる人物。その子・伯禽が魯公に任じられて魯国が始まった。
魯公
諸侯としての魯国の開祖、伯禽のこと。伯禽の代から魯に居付いて諸侯となる。
施
(古文)
論語の本章では、”押しやる・遠ざける”。甲骨文・金文には見られない字で、戦国文字も楚系と秦系では大きく形が異なり、古文でも字形に相当のブレがある。『学研漢和大字典』による原義は吹き流しが長く伸びたさまだが、見られる字体からは異論があり得る。
語義は押しやることで、何かよきものを相手に押しやることから”施す”の意に転じた。ここでは遠ざけることと解せる。
初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はɕia(平/去)またはdia(去)で、前者の同音は鉈(ほこ・なた)・弛(ゆるむ)と施を部品とする漢字群。後者の同音は移などだが、いずれも”ほどこす”意を持ち、論語の時代に存在した文字は無い。
詳細は論語語釈「施」を参照。
怨
論語の本章では”うらみ”。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、同音の夗を用いて夗心と二文字で書かれた可能性がある。詳細は論語語釈「怨」を参照。
怨乎不以
ここでの「乎」は助詞として用いられ、「~に」「~を」「~より」と読んで、起点・対象・比較・受身の意を示す。「以」は動詞の”用いる”の意として用いられている。
故舊(旧)
(金文)
論語の本章では”古いなじみの者”。「故」も「旧」も”古い”を意味すぐが、るが、「故」は固く固まること、「旧」はもと鳥の名だったが、音が「久」に通じて”古い”を意味するようになった。詳細は論語語釈「故」を参照。
大故
(金文)
論語の本章のここでは”大きな間違い”。『学研漢和大字典』には事件や事故など、おこってくるよくない事がら。さしさわり、というが、その意に転じた理由は不明。
無求備於一人
論語の本章では、「多芸」などを補って”一人に万能が備わっているのを求めない”と古来解する。
論語:解説・付記
既存の論語本では、「君子不施其親、不使大臣怨乎不以」を”身内を大事にするから、重臣が不満を持たない」と因果関係に解する例があるが、これは中国社会の宿痾というべき身内びいきに、大義名分を与えるためのこじつけ。身内びいきするから不満が起こるのである。
武内義雄『論語之研究』では、前章同様、篇末の付け足しと断じているがその通りで、何のためにここにこの言葉があるのか理由は分からない。