論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子路從而後、遇丈人以杖荷蓧*。子路問曰、「子見夫子乎。」丈人曰、「四體不勤、五穀不分、孰爲夫子。」植*其杖而芸*。子路拱而立。止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉。
(次回へ続く)
校訂
武内本
蓧説文莜に作る。釋文云、一本條に作り又莜に作る。漢石経植置に作り、芸耘に作る。
後漢熹平石経
…穀不分孰爲夫子置其杖而耕耘子路拱而立止子路宿殺雞爲黍…
- 「穀」字:〔土冂一禾口一乂〕。
- 「不」字:〔一八个〕。
- 「置」字:〔罒十目〕。
- 「杖」字:〔杖丶〕
- 「黍」字:〔禾木〕
定州竹簡論語
……從而後,遇丈人,以[杖何a蓧b]。子路[問曰]:「[子]561
- 何、今本作”荷”。
- 蓧、皇本作”篠”、『説文』云”本又作條、又作莜”。案『説文』、『玉篇』引作”莜”、”莜”為本字。
※蓧:あじか、篠:しの・あじか、條:えだ、莜:草をのぞく器・あじか
→子路從而後。遇丈人以杖何蓧。子路問曰、「子見夫子乎。」丈人曰、「四體不勤、五穀不分、孰爲夫子。」置其杖而耘。子路拱而立。止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉。
復元白文(論語時代での表記)
杖蓧 體 杖
※丈→長・置→(甲骨文)・耘→芸・拱→廾・焉→安。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。
書き下し
子路從ひ而後れたり。丈人の杖を以ち蓧を何ふに遇へり。子路問うて曰く、子夫子を見たる乎。丈人曰く、四體勤めず、五穀分たず、孰をか夫子と爲さむと。其の杖を置きて而耘る。子路拱き而立つ。子路を止めて宿せしめ、雞を殺し黍を爲り而之に食はしめ、其の二子を見えしめ焉。
論語:現代日本語訳
逐語訳
子路は(孔子の)一行に加わっていたが、遅れた時、杖をつきかごを背負った老人に出会った。子路が問うて言った。「あなたは先生を見ませんでしたか。」老人は言った。「手足を動かさず、穀物の見分けも付かない。(そんな人の)誰が先生だろうか。」持っていた杖を地面に突き立てて草を刈った。子路は手を組んで敬意を表しながら立った。(老人は)子路を引き止めて泊まらせ、鶏をさばいてキビ飯を炊いて子路に食べさせ、二人の子を引き合わせた。
意訳
子路が孔子の旅に付き従っていたとき、一行に遅れてしまった。追い掛ける道すがらで子路は、農具を担いだ老人に出会った。
子路「先生を見かけませんでしたか。」
老人「汗を流して働きもせず、穀物の見分けもつかないような人が、なんで先生かね。」
そう言って杖を畑のかたわらに置き、草引きを始めた。子路はひとかどの人物と見て、敬意を示すために手を組み、かたわらに立った。
作業を終えた老人は子路を引き止め、鶏肉とキビのご飯でご馳走し、二人の息子を引き合わせ、一晩泊めた。
従来訳
子路が先師の随行をしていて、道におくれた。たまたま一老人が杖に草籠をひっかけてかついでいるのに出あったので、彼はたずねた。――
「あなたは私の先生をお見かけではありませんでしたか。」
老人がこたえた。――
「なに? 先生だって? お見かけするところ、その手足では百姓仕事をなさるようにも見えず、五穀の見分けもつかない方のようじゃが、それでいったいお前さんの先生というのはどんな人じゃな。」
老人はそれだけいって杖を地につき立てて、草をかりはじめた。――
子路は手を胸に組んで敬意を表し、そのそばにじっと立っていた。
すると老人は何と思ったか、子路を自分の家に案内して一泊させ、鶏をしめたり、黍飯をたいたりして彼をもてなしたうえに、自分の二人の息子を彼にひきあわせ、ていねいにあいさつさせた。下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
子路跟隨孔子出行,落在後面,遇到一位老人,用拐杖挑著農具。子路問:「您見到過我的老師嗎?」老人說:「四肢不勞動,五穀分不清,誰是你的老師?」說完,就扶著拐杖除草。子路拱著手站在一邊。老人留子路過夜,殺雞煮飯給子路吃,又讓兩個兒子跟子路相見。
子路が孔子の放浪に随行していて、道を遅れてしまうと、たまたま一人の老人に出会い、杖を突きつつ農具を担いでいた。子路が問うた。「あなたは私の先生を見ませんでしたか。」老人が言った。「手足を働かせもせず、穀物の種類も見分けられない人で、誰が君の先生なのかね?」言い終えると、杖を地面に立てて草取りを始めた。子路は手をこまねいてそのそばに立っていた。老人は子路を引き止めて一夜を明かさせ、ニワトリをしめて飯を炊いて子路に食べさせ、二人の子供をそろって子路に引き合わせた。
論語:語釈
子 路 從 而 後、遇 丈 人、以 杖 何(荷) 蓧。子 路 問 曰、「子 見 夫 子 乎。」丈 人 曰、「四 體 不 勤、五 穀 不 分、孰 爲 夫 子。」置(植) 其 杖 而 耘(芸)。子 路 拱 而 立。止 子 路 宿、殺 雞 爲 黍 而 食 之、見 其 二 子 焉。
子路
論語では、孔子の弟子・仲由子路のこと。最も早く入門した弟子で、一門の先輩格だった。
遇
(金文)
論語の本章では”出会う”。初出は西周末期の金文。予期して会う「会」や「見」ではなく、たまたま出会うこと。詳細は論語語釈「遇」を参照。
丈人
「丈」(古文)
論語の本章では、杖をついた人・老人。
「丈」は論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は同音の「長」。語義は長さの単位、杖の意だが、その他の語義としては、長老への敬称・妻の父・祖父がある。
『学研漢和大字典』によると、手の親指と他の四指とを左右に開き、手尺で長さをはかることを示した形の上に+が加わった会意文字がもとの形。手尺の一幅は一尺をあらわし、十尺はつまり一丈を示す、という。詳細は論語語釈「丈」を参照。
以(イ)
(甲骨文)
論語の本章では”手に持つ”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。
杖
論語の本章では、”杖”。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。詳細は論語語釈「杖」を参照。
「杖を持った丈人」は畳語になるが、そのくだくだしさの理由は分からない。ただ丈人の描写を四字句にすると、リズムがよくなりはする。現代中国語で読んだ場合の音は以下の通り。
ユゥチャンレン、イーチャンフーヨウ。
中国語は四字句で読むと調子がよくなる。従って政治スローガンはたいてい、叫びやすい四字句になっている。文革期の「革命無罪」(クーミンウーツゥイ)や「造反有理」(ツァオファンヨウリー)はその代表例。
本年(2019年)の中国の建国記念日「国慶節」では、50周年を記念して軍事パレードが行われたが、パレードに先立った司令官と国家主席のやりとりを聞いていると、ほとんど四字句であることに気付く。
閲兵中の主席と兵士の挨拶は四字句ではない言葉が多いが、その代わり叫び声が何を言っているのか、聞き取りにくいことこの上ない。
兵士:主席好(チューシーハオ)=主席閣下こんにちは!
主席:同志們辛苦了(トンチメンシンクラ)=同志諸君ご苦労様!
兵士:為人民服務(ウェイレンミンフームー)=人民に奉仕します!
蓧(チョウ・ジョウ、あじか)
(古文)
論語の本章では”担ぎかご”。論語では本章のみに登場。初出は不明。論語の時代に存在が確認できない。論語時代の置換候補も確認できない。
『学研漢和大字典』によると竹や木の枝などで編んだかごで、畑の収穫物や刈りとった草を入れるのに使う、という。詳細は論語語釈「蓧」を参照。
夫子(フウシ)
(甲骨文)
論語の本章では”孔子先生”。従来「夫子」は「かの人」と訓読され、「夫」は指示詞とされてきた。しかし論語の時代、「夫」に指示詞の語義は無い。同音「父」は甲骨文より存在し、血統・姓氏上の”ちちおや”のみならず、父親と同年代の男性を意味した。従って論語における「夫子」がもし当時の言葉なら、”父の如き人”の意味での敬称。詳細は論語語釈「夫」を参照。
「子」は貴族や知識人に対する敬称。論語語釈「子」を参照。
四體
「体」(金文)
論語の本章では、四支と同義で、四肢。両手と両足。また、からだ。
「體」は論語では本章のみに登場。初出は戦国末期の金文。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。
『学研漢和大字典』によると会意、「体」は形声文字。本字の體(タイ)は「豊(レイ)(きちんと並べるの意)+骨」。体は「人+(音符)本(ホン)」で、もと笨(ホン)(太い)と同じくホンと読むが、中国でも古くから體の俗字として用いられた。各部分が連なってまとまりをなした人体を意味する。のち広く、からだや姿の意、という。詳細は論語語釈「体」を参照。
勤/勤
(金文)
論語の本章では”こまめに働く”。論語では本章のみに登場。具体的には農作業に精を出すことを言う。初出は西周末期の金文。つくりの「力」が省かれた形で見える。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。左側の字(音キン)は「廿(動物のあたま)+火+土」の会意文字で、燃やした動物の頭骨のように、熱気でかわいた土のこと。水気を出し尽くして、こなごなになる意を含む。勤は、それを音符とし力を加えた字で、細かいところまで力を出し尽くして余力がないこと。それから、こまめに働く意をあらわす、という。詳細は論語語釈「勤」を参照。
五穀
「穀」(秦系戦国文字)
論語の本章では、穀物類の総称。初出は殷代末期の金文。漢文では一般的に、稲(米)・黍(ショ)(もちきび)・稷(ショク)(こうりゃん)・麦・菽(シュク)(豆)のこと。また一説に、麻・黍・稷・麦・豆ともいう。詳細は論語語釈「穀」を参照。
植→置
(金文)
論語の本章では、”地面に突き立てる”。論語では本章のみに登場。『字通』は「置」と同義という。初出は春秋末期または戦国早期の金文。ぎりぎり論語の時代に存在しなかった可能性がある。『学研漢和大字典』によると、直の原字は「━印(まっすぐ)+目」からなる会意文字で、目をまっすぐに向けること。植は「木+(音符)直」の会意兼形声文字で、で、木をまっすぐにたてること、という。詳細は論語語釈「植」を参照。
漢石経の「置」は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。金文は未出土。『学研漢和大字典』によると直(チョク)はもと「┃(まっすぐ)+目」の会意文字で、まっすぐ見ること。置は「网(あみ)+(音符)直」の会意兼形声文字で、かすみ網をまっすぐにたてておくこと、という。詳細は論語語釈「置」を参照。
芸(ウン)
(金文)
論語の本章では”草を刈る”。論語では本章のみに登場。「藝」の新字体「芸」は本来別の字で、作物を”植える”が原義。初出は春秋末期あるいは戦国早期の金文。『新漢語林』によると艹(艸)+云の形声文字で、音符の云(ウン)は、気のめぐりのぼる意味を表す。香気の強い草の意味、という。詳細は論語語釈「芸」を参照。
拱
(古文)
論語の本章では、敬意をあらわすために、両手を胸の前で組みあわせること。論語では本章のみに登場。初出は説文解字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は同音の「廾」。『学研漢和大字典』によると、共は、両手をそろえて物をささげるさま。拱は「手+(音符)共」の会意兼形声文字でで、両手をそろえて組むこと。共が「そろえる、いっしょ」の意に転用されたため、拱の字がその原義をあらわした、という。詳細は論語語釈「拱」を参照。
雞/鶏(ケイ)
(金文)
論語の本章では”にわとり”。初出は甲骨文。論語の時代、鶏は牛・羊・豚・犬とならぶ五畜の一つで、重要な家禽だった。中国は野鳥だったヤケイを家禽化してニワトリを生み出した、世界で最初の地とも言われる(wikipedia)。詳細は論語語釈「鶏」を参照。
黍
(金文)
論語の本章では穀物の”キビ”。論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「禾(いね科の作物)+水または雨」の会意文字で、水気を吸収して育つ作物をあらわす。一説に、暑(ショ)と同系で、暑いさなかに育つからともいう、という。詳細は論語語釈「黍」を参照。
古代では上等の穀物とされ、五穀の筆頭であり、祭祀に用いる最高の供え物とされたことが『孔子家語』に見える。
論語:付記
論語の本章は前々章、前章とセットとなった隠者の話で、儒家の立場からは内容が疑わしいとされると武内義雄『論語之研究』に言う。文字的には上記の通り、孔子在世当時の話ではない可能性がある。しかし後世の儒者による付け足しと見るのが適切だろう。
訳者の好みから言うと、こういう伝説は史実と考えたいのだが、論語の時代に遡れない漢字を取り除くと、話が成立しない。だがそれでも、この話は具体的で、情景が目に浮かぶようだし、よくできている。何らかの史実を反映しているのではないかと思いたい。
なお『論語集釋』のこの部分は、儒者らしい五行が何のというウンチクはあっても、現代の読者にはあまり意味のあるようなことは書いていなかったので、訳を付けなかった。一点例外は、「手をこまねく」のは、少なくとも南宋初期では見られない作法だったという。
引用された原典、明後期の沈徳符『万暦野獲編』の原文と日本語訳を記す。
今胥吏之承官長,輿臺之侍主人,與夫偏裨卒伍之事帥守,每見必射袖撒手,以示敬畏。此中外南北通例,而古人不然。如宋岳鄂王初入獄,垂手於庭,立亦欹斜,為隸人呵之曰:「岳飛叉手正立。」岳悚然聽命,是知古以叉手為敬。至今畫家繪僕從皆然,則今之垂手者倨也。古伍伯在公庭,必橫梃待命,其怠傲不遵命者,始直其杖。余觀今禁門守卒與武弁輩,每遇大僚出入,俱直立其杖,大呼送迎,無一人敢橫持者,蓋古今不同制如此。
現代の下っ端役人は、役所の長官や、こしに担がれた貴人を、これまた下っ端のかごかきや護衛のおまわりと同様に、袖の中で手を合わせて持ち上げ、お辞儀する。これは都も田舎も南北の中国で、変わらぬ作法だ。だが昔の人は違った。
宋の義将・岳鄂王さま(岳飛)は、捕らわれて投獄される際、腕を垂らしたまま傲然と法廷に立っていた。そこへおまわりが「手を腰の前で交差させて気を付け!」と怒鳴った。鄂王さまはびくりとして従ったという。ここから昔は、手を交差させるのが正しい敬礼だったと分かる。
現代の絵描きも下っ端はそう描くが、だから今でも腕をぶら下げるのは無礼に見える。昔はおまわりの頭が法廷で警護の時、普段は必ず六尺棒を横たえていた。だが被告人が不埒とみると、ただちに棒を立てて威嚇した。
これは今でも見られる事で、宮門の門番のたぐいは、大官が通るたびに似た仕草をし、大声で「ナニガシ様のお通り~」と言う。棒を横たえたままの者は一人もいない。多分今も昔もこうだったのだろう。(『万暦野獲編』巻十七1)
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