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論語と算盤・現代語訳(44)理想と迷信7

『論語と算盤』廓清*の急務なる所以

論語と算盤 つ

現代語訳

大騒ぎの結果明治維新となった。治者被治者の区別も無くなり、商売の範囲に区切りが無くなり、世界に打って出なくてはならなくなった。日本国内だけの商売でも、物流が幕府の手に握られていたのが、全て個人でやれという話になった。商人にとっては新天地が開けたのだ。

従って庶民にも教育が必要になった。商人であれ職人であれ、売り買いの原則を覚え、仕事に関わる地理歴史や博物学など必要な知識は、世界中の知識から選んで教える事になった。しかしそれは実業教育で、道徳教育ではなかった。そしてそれは問題とされなかった。

そうこうするうちに商売に大当たりする者が出て、誰もかれもそれを目指す。いきおいますますカネばかり目当てにするようになり、金持ちは一層富み、貧乏人も金儲けを考えるようになる。仁義道徳は旧時代の遺物として誰も注目しない。むしろ誰も知らないと言っていい。

ただ金儲けの知識ばかり蓄えて、カネ稼ぎばかりに走る。必然的に腐敗が進み、悪行に手を染め、堕落し混乱に陥る。理の当然で怪しむに足りない。だからこそ、そうした溜まったゴミを一挙に捨てしまうことを提唱しなければならなくなる。

ではどいかに一掃するか。一般論として、正統な利殖に励まず、ひたすら利益の餓鬼となってしまった結果、道徳を忘れるというのはすでに話した。しかしだからといって、利殖を憎むようではどうにもならない。男女の品行を言い立てて、生物の本務を忘れるようなものだから。

実業界の腐敗堕落についても、ただ非難するだけが方法ではないと考えるべきだ。やり過ぎて国力を損なう結果になりかねない。だから一掃というのは難しい。昔に戻って何事も縮こまれば、弊害はなくなるかも知れないが、国の富もまた縮んでしまう。

そこで国富の増大を前提にして、罪悪の伴わない利殖を図るには、主義を一つ立てる必要がある。それが即ち仁義道徳だ。これは利殖と矛盾しない。だからその根本を明らかにして、こうすれば立ち位置をブレさせずに済むと言う点を確立できれば、正しい利殖が出来ると信じる。

その方法として、日常はこう、この事業にはこうと一々指示は出来ないが、道理の基本は生産と一致することだ。その上で利殖するなら、第一に公益を重んじ、人を損なわないようにしなければならない。その上で各自が本分を尽くし、道理から外れず富を増していくことだ。

それならどんなに発展しても、他者を害することなく、神聖な富を得続けられるのだ。各自がその境地に達すれば、それで一掃された、というのだ。

子貢しこういはく、まづしくしてへつらはず、みておごらざるは、如何いかんいはく、なるも、いままづしくしてたのしむにごとかざり、みてゐやこのものなり。子貢しこういはく、いはく、せつするがごとするがごとく、たくするがごとするがごとしとは、これくのいひか。いはく、や、はじめてともふべきのみ、これわうげてらいものなり。(論語学而篇15)

*廓清:つもり溜まったゴミを処分すること。

『論語と算盤』現代語訳
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