論語と算盤・現代語訳(32)仁義と富貴4

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『論語と算盤』貧乏防止の第一要義

『論語と算盤』貧乏防止の第一要義

現代語訳

従来私は救貧事業というものを、人道上・経済上の理由から行うべきだと思っていたが、今や政治上もその必要を認める。私の友人が先ほど、欧州の救貧事業を一年半にわたって視察したが、私もこれに援助した関係から、帰国後に同趣味の人を集めて講演会を開いた。

その人の話によると、英国は救貧授業に300年を費やしたあげくに、現在僅かに整うに至った。デンマークは英国以上に整備されているが、仏、独、米などは今や各自各様に努力して、少しの猶予もないという。この取り組みは、私共が注力してきた点と同じに見える。

この時私は言った。「人道や経済よりも政治の課題として弱者保護は必要だ。ただし無駄に食わせろと言うのではない。直接保護よりも、防貧の手、例えば減税とか、塩専売の解除とかを行うべきだ。」この会合は中央慈善協会*で行われ、会員諸氏も私の意見に同調し、目下調査研究を実行している。

どんなに苦労して得た富と言っても、それを自分だけのものと考えては見当違いだ。人は一人では生きられないのだから、富が増すほどに、国家社会の救済を行うのは当然だ。

論語に「己立たんとして人を立て、己達せんとして人を達す」(自立したければ先ず他人を自立させる。出世したければまず他人を出世させる)*とあるように、自己同様に社会を愛しなければならない。金持ちならなおさらだ。

まさにこうした時期に、有り難くも天皇陛下はお心を悩ませ、先例にない貧窮者救済の御下賜金を仰せになった。この広大無辺のお心に対し、金持ちは申し合わせないでも、何とかしてお心の万分の一でも応え申し上げようとしなければならないと苦慮するだろう。

これこそ私が三十年間一日も忘れたことのない願いで、有り難い仰せに前途が明るくなったように感じて愉快だ。しかし懸念されるのは救貧の実施についてだ。それが適切に行われればいいが、乞食が急に大名になったような方法では、救済が救済でなくなる。

例えば金持ちが寄付するにしても、見栄や出来心では何にもならない。そういう救済は誠実を欠くから、その結果却って悪人を作ることになる。とにかく金持ちは、陛下のお心を思い、社会に対する義務を果たして貰いたい。それが社会の秩序と国家の安定に貢献するだろう。

中央慈善協会:現・全国社会福祉協議会。1908年(明治41年)に創設。1921年(大正10年)に「社会事業協会」に改称。

己立たんとして…:これは孔子の弟子の子貢が、論語の中で最高の徳目である仁について、その定義を孔子に質問したことへの答え。ただし論語の時代、孔子が仁者と評したのは弟子の顔回しかおらず、顔回は人を立たせて自らは貧窮の中で夭折した。常人に勧めてよい徳目かは疑問がある。

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