『史記』現代語訳:孔子世家(12)喪家之狗

論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

論語 楛矢貫隼

孔子適鄭、與弟子相失、孔子獨立郭東門。鄭人或謂子貢曰「東門有人、其顙似堯、其項類臯陶、其肩類子産、然自要以下不及禹三寸。累累若喪家之狗。」子貢以實告孔子。孔子欣然笑曰「形狀、末也。而謂似喪家之狗、然哉!然哉!」孔子遂至陳、主于司城貞子家。
孔子、鄭に過(わた)り、弟子と相い失い、孔子、独り郭(カク)の東門に立つ。鄭人の或もの子貢に謂いて曰く、「東門に人有り。其の顙(ひたい)は堯に似たり、其の項(うなじ)は皐陶(コウヨウ)に類し、其の肩は子産に類す。然るに要(こし)自り以下は禹に及ばざること三寸、纍纍(ルイルイ)として喪家の狗の若し。」子貢、実を以て孔子に告ぐ。孔子、欣然(キンゼン)として笑いて曰く、「形状は未だし、而るに喪家の狗に似たりと謂えるは、然りかな、然りかな。」孔子、遂に陳に至り、司城の貞子の家に主(やど)る。

孔子は鄭に行き、弟子と互いにはぐれ、孔子は独り、城郭の東門に立った。鄭のある者が子貢に言った。「東門に人がいる。そのひたいは帝堯に似ており、そのうなじは皋陶に似ており、その肩は子産に似ており、しかし腰から下は禹に三寸及ばない。フラフラと疲れ切った様子は、主を失った犬のようだ。」

子貢はありのままを孔子に告げた。孔子はニコニコと笑って言った。「見た目はともかく、主を失った犬とはその通りだな、その通りだな。」孔子はとうとう陳に去った。そこでは土木監督官の貞子の家に寄宿した。
論語 孔子移動地図6

歲余、吳王夫差伐陳、取三邑而去。趙鞅伐朝歌。楚圍蔡、蔡遷於吳。吳敗越王句踐會稽。有隼集於陳廷而死、楛矢貫之、石砮、矢長尺有咫。陳湣公使使問仲尼。仲尼曰「隼來遠矣、此肅慎之矢也。昔武王克商、通道九夷百蠻、使各以其方賄來貢、使無忘職業。於是肅慎貢楛矢石砮、長尺有咫。先王欲昭其令德、以肅慎矢分大姬、配虞胡公而封諸陳。分同姓以珍玉、展親、分異姓以遠職、使無忘服。故分陳以肅慎矢。」試求之故府、果得之。
歳餘にして、呉王夫差、陳を伐ち、三邑を取りて去る。趙鞅、朝歌を伐つ。楚、蔡を囲み、蔡、呉に遷(うつ)る。呉、越王句践を会稽に敗る。隼、陳の廷に集(とま)りて死す。楛矢(コシ)、之を貫けり。石砮(セキド)にして、矢の長けは尺有咫(シ)なり。陳の湣(ビン)公、使いして仲尼に問わしむ。仲尼曰く、「隼の来ること遠し。此れ肅慎(シュクシン)の矢なり。昔、武王、商に克ち、道を九夷百蛮に通じ、各々をして其の方の賄(たから)を以て来たり貢がせしめ、職業を忘るること無からしむ。是に於いて肅慎、楛矢石砮を貢ぐ、長けは尺有咫なり。先王、其の令徳を昭かにせんと欲し、肅慎の矢を以て大姫に分かち、虞の胡公に配して緒(これ)を陳に封ず。同姓に分かつに珍玉を以てし、親(ちかしき)を展(の)ぶ。異姓に分かつに遠方の職を以てし、服を忘るること無からしむ。故に陳に分かつに肅慎の矢を以てせしなり。」試みに之を故府に求むるに、果たして之を得たり。

一年余りして、呉王夫差が陳を討ち、三つの邑を奪って去った。趙鞅が朝歌を討った。楚が蔡を包囲し、蔡は呉に遷(うつ)った。呉は越王句踐を会稽で負かした(魯哀公一年、BC494)。

ハヤブサが飛んできて、陳の宮殿の庭先に止まって死んだ。楛の木を軸に作った矢が貫いており、やじりは石で長さは一尺と一咫(≒38cm)だった。陳湣公は使者をつかわして孔子に問うた。

孔子が言った。「ハヤブサは遠くから来たのでしょう。これは肅慎の矢です。むかし、周の武王が殷に勝ち、四方の蛮族に道を通し、おのおのにその地方の宝物を貢がせて、その務めを忘れないようにさせました。その際肅慎は、長さ一尺と一咫の石のやじりの楛で作った矢を貢ぎました。

周の先王はその美徳を明らかにしようと望み、肅慎の矢を大姬に与え、虞の胡公に嫁がせて陳に領地を与えました。そもそも周の同族には、珍しい玉を与えて関係を深め、異族には遠方のみつぎものを与え、服従を忘れぬ証しとしました。だから異族の陳には、肅慎の矢を分けたのです。」言われて陳公が古い蔵で肅慎の矢を探させると、やはり孔子の言う通りに見つかった。

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