『史記』現代語訳:孔子世家(9)女楽乱魯

論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

論語 因膰去魯

齊人聞而懼、曰「孔子爲政必霸、霸則吾地近焉、我之爲先並矣。盍致地焉?」黎鉏曰「請先嘗沮之、沮之而不可則致地、庸遲乎!」於是選齊國中女子好者八十人、皆衣文衣而舞康樂、文馬三十駟、遺魯君。陳女樂文馬于魯城南高門外、季桓子微服往觀再三、將受、乃語魯君爲周道遊、往觀終日、怠於政事。
斉人聞きて懼れて、曰く、「孔子、政を為さば、必ず覇たらん。覇たらば則ち吾が地は焉れに近し、我は之れ先ず并せられん。盍ぞ地を致さざる」と。黎鉏(レイショ)曰く、「請う、先ず嘗(こころ)みに之を沮(はば)まん。之を沮みて可ならずんば則ち地を致すも、庸(なん)ぞ遅からんや」と。是に於いて斉国中の女子の好(みめよ)き者八十人を選び、文衣(あやきぬ)を衣(き)せて、康楽(コウガク)を舞わせ、文(かざり)馬三十駟(シ)もて魯君に遺(おく)る。女楽文馬を魯の城南の高門の外に陳(つら)ぬ。季桓子、微服して往きて観ること再三、受けんとす。乃ち魯君に語(つ)げて周道の游を為し、往きて観ること終日、政事を怠る。

〔孔子の執権を〕斉の人は聞いて恐れ、言った。「孔子が政治をすれば必ず覇者になるだろう。覇者となれば我が国は近い。真っ先に併合されるだろう。どうして先手を打って土地を送り、魯国に媚びないのか。」黎鉏が言った。「お願いです。まずは孔子の邪魔を試してみましょう。邪魔してダメなら土地を送りましょう。それからでも遅くはありません。」

こうして斉国中の女子の見た目の美しいもの八十人を選び、模様のある着物を着せて康の楽を舞わせ、飾り立てた馬の四頭立て馬車三十台を魯の定公に贈った。曲阜の都城の南の高門の外に女楽、飾り馬を並べた。李桓子はそまつな服装で再三見に行き、受け取ろうとした。そこで定公を誘って道を巡って歩き回り、一日中見物し、政治を怠った。

子路曰「夫子可以行矣。」孔子曰「魯今且郊、如致膰乎大夫、則吾猶可以止。」桓子卒受齊女樂、三日不聽政、郊、又不致膰俎于大夫。孔子遂行、宿乎屯。而師己送、曰「夫子則非罪。」孔子曰「吾歌可夫?」歌曰「彼婦之口、可以出走、彼婦之謁、可以死敗。蓋優哉遊哉、維以卒歲!」師己反、桓子曰「孔子亦何言?」師己以實告。桓子喟然歎曰「夫子罪我以群婢故也夫!」
子路曰く、「夫子、以て行(さ)る可し」と。孔子曰く、「魯は今且に郊(とちまつり)せんとす。如し膰(ひもろぎ)を大夫に致さば、則ち吾猶ほ以て止まる可し」と。桓子卒に斉の女楽を受け、三日政を聴かず。郊して、又膰の俎(ソ)、大夫に致さず。孔子遂に行り、屯に宿す。而して師の己(キ)、送りて曰く、「夫子は則ち罪に非ず」と。孔子曰く、「吾歌わん。可ならんか」と。歌いて曰く、「彼の婦の口、以て出で走る可し。彼の婦の謁、以て死し敗る可し。蓋(なん)ぞ優なるかな游なるかな。維(これ)に以て歳を卒えん」と。師の己反る。桓子曰く、「孔子亦た何を言うか」と。師の己実を以て告ぐ。桓子、喟然として歎じて曰く、「夫子、我を罪するに羣婢の故を以てするかな。」

子路が言った。「先生は去るべきです。」孔子が言った。「魯は今、天地の祭りの時期だ。私のような家老格に、お供えのお下がり肉が届くなら、私はまだここにいてよい。」しかし李桓子は斉の女楽を受け取り、三日間政治を摂らず、祭りのお下がりをのせた台を、孔子に贈らなかった。

とうとう孔子は都城を去り、郊外の村に泊まった。そして楽師の己が見送りに来て言った。「あなたに罪はありません。」孔子が言った。「歌っていいですか。」そこで歌った。その歌詞はこうだった。

「あの女の口は恐ろしい。国を捨てても無理はない。あの女の顔は恐ろしい。人を殺して打ちのめす。さあゆるゆるとさまよおう。旅の空に歳を終えよう。」

楽師己が帰ると、李桓子は言った。「孔子はまたなんと言ったか?」楽師己はありのままに告げた。李桓子はため息をついて感じ入ったように言った。「あの人は斉の女楽団を理由に私を非難しいているのだ。」

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