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『史記』現代語訳:孔子世家(15)靈公問陳

論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

西河返駕

孔子既不得用於衛、將西見趙簡子。至於河而聞竇鳴犢﹑舜華之死也、臨河而歎曰「美哉水、洋洋乎!丘之不濟此、命也夫!」子貢趨而進曰「敢問何謂也?」孔子曰「竇鳴犢、舜華、晉國之賢大夫也。趙簡子未得志之時、須此兩人而後從政、及其已得志、殺之乃從政。丘聞之也、刳胎殺夭則麒麟不至郊、竭澤涸漁則蛟龍不合陰陽、覆巢毀卵則鳳皇不翔。何則?君子諱傷其類也。夫鳥獸之於不義也尚知辟之、而況乎丘哉!」乃還息乎陬鄉、作爲陬操以哀之。
孔子既に衛に用いらるるを得ず。将に西して趙簡子に見えんとす。河に至りて竇鳴犢(トウメイトク)・舜華の死せるを聞き、河に臨みて歎じて曰く、「美なるかな水、洋洋乎たり。丘の此れを済(わた)らざるは、命なるかな。」子貢、趨りて進みて曰く、「敢て問う、何の謂いぞや。」孔子曰く、「竇鳴犢・舜華は晋国の賢大夫なり。趙簡子、未だ志を得ざるの時、此の両人に須(たす)けらるる。後に其の已に志を得たる及びて、之を殺し乃ち政に従う。丘之を聞く、胎を刳(さ)き夭を殺せば、則ち麒麟、郊に至らず。澤を竭くし、漁を涸くせば、則ち蛟龍、陰陽を合せず。巣を覆して卵を毀てば、則ち鳳皇翔けず、と。何となれば則ち其の類を傷うを諱めばなり。夫の鳥獣の不義に於いてや尚ほ之を辟くるを知る、而して況や丘をや。」乃ち還りて陬(スウ)郷に息いて、陬操を作為し、以て之を哀しむ。

孔子はもう衛での仕官をあきらめて、すぐさま西北の晋国に行き、その権力者・趙簡子に会おうとした。途上、黄河のほとりで竇鳴犢、舜華の死を聞き、川岸に立って嘆いた。「美しいな、水は。広々と流れているな。わたしがこの河を渡らないのは天命なのだろうな。」

子貢
子貢が小走りに進み出て言った。「押しておたずねします。どういう意味ですか。」孔子が言った。「竇鳴犢、舜華は晋国の賢臣だ。趙簡子がまだ出世する前、このふたりに助けられた。所が権力を握った今、二人を殺して政治を我がものとした。

私はこう聞いている。腹を割いて胎児を殺せば、仁獣の麒麟は土地神の祭りに来ない。沢を干上げて魚を取り尽くせば、水神の蛟龍(みずち)は陰陽の気を合わさない。巣をひっくりかえして卵を壊せば、めでたい鳳皇は飛んでこない、と。こう戒めるのは、君子たる者、これら天地の精霊を傷付けてはならないからだ。鳥獸のたぐいですらいじめてはならないと知っているのに、恩人を殺すようなやからに、私が手を貸さないのは言うまでもない。」

そのまま孔子は引き返し、陬のさとで休息し、陬操の曲を作り、二人の賢臣を哀しんだ。

 

而反乎衛、入主蘧伯玉家。他日、靈公問兵陳。孔子曰「俎豆之事則嘗聞之、軍旅之事未之學也。」明日、與孔子語、見蜚雁、仰視之、色不在孔子。孔子遂行、複如陳。夏、衛靈公卒、立孫輒、是爲衛出公。六月、趙鞅內太子蒯聵于戚。陽虎使太子絻、八人衰絰、僞自衛迎者、哭而入、遂居焉。
而して衛に反り、蘧伯玉の家に主(やど)る。他日、霊公、兵陳を問う。孔子曰く、「俎豆(ソトウ)の事は嘗て之を聞く。軍旅の事は未だ学ばざるなり。」明日、孔子と語り、蜚鴈を見、仰ぎて之を視、色孔子に在らず。孔子遂に行(さ)り、復た陳に如く。夏、衛の霊公卒し、孫の輒(チョウ)を立つ。是を衛の出公と為せり。六月、趙鞅、太子蒯聵(カイカイ)を戚に内る。陽虎、太子をして絻(ブン、喪を発する前にかむる頭巾)せしめ、八人衰絰(サイ・テツ、喪服)し、衛自り迎うる者と偽り、哭して入り、遂に焉に居る。

孔子一行は衛に帰り、蘧伯玉家に寄宿した。ある日、衛霊公が兵の陣立てを問うた。孔子は言った。「礼儀作法なら確かに聞き知っていますが、戦事は未だ学んでいません。」明くる日、霊公は孔子と語り合ったが、飛んでいるガンをあおぎ見た。孔子には視線を向けなかった。とうとう孔子は衛を去さり、ふたたび陳に行った。
靈公問陳

その夏、衛の霊公は亡くなり、孫の輒(チョウ)が立ち、衛の出公となった。六月、趙簡子は出公の父で、元の太子蒯聵(カイカイ)を戚のまちに入れた。趙簡子に仕えていた陽虎は、太子蒯聵に喪中の冠をかぶせ、八人に喪服を着せておつきとし、霊公の喪を知らせるため衛の都城から迎えられた者だと偽って、嘘泣きしながら戚のまちに入り、とうとう居座ってしまった。

『史記』孔子世家:現代語訳
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