論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

具左右司馬。會齊侯夾谷。爲壇位、土階三等、以會遇之禮相見、揖讓而登。獻酬之禮畢、齊有司趨而進曰「請奏四方之樂。」景公曰「諾。」於是旍旄羽袚矛戟劍撥鼓噪而至。孔子趨而進、曆階而登、不盡一等、舉袂而言曰「吾兩君爲好會、夷狄之樂何爲於此!請命有司!」有司卻之、不去、則左右視晏子與景公。景公心怍、麾而去之。
左右の司馬を具え、斉侯に夾谷に会す。壇位を為(つく)ること、土階三等、会遇の礼を以て相い見え、揖譲して登る。獻酬の礼畢(おわ)る。斉の有司、趨(はし)りて進みて曰く、「請う、四方(よも)の楽を奏せん。」景公曰く、「諾(ダク)。」是に於いて旌旄(セイボウ)、羽袚(ウフツ)矛戟剣撥(ボウゲキケンハツ)、鼓(つづみ)を噪(はや)して至る。孔子、趨りて進み、階(きざはし)を歴(へ)て登り、一等を尽くさずして、袂(たもと)を挙げて言いて曰く、「吾が両君、好会を為すに、夷狄の楽、何為(なんす)れぞ此に於いてせん。請う、有司に命ぜん。」有司、之を卻(しりぞ)くれども、去らず。則ち左右に晏子と景公を視る。景公、心に怍(は)じ、麾(さしまね)きて之を去らしむ。
(定公十年、BC500)魯の定公は左右の将軍を従えて、斉の景公と夾谷で会った。土盛りの宴会場は階段を三段に作り、会合の礼を以って互いに会い、両手を胸の前に組んで拝礼し、階段を登った。杯ごとが終わり、斉の役人が小走りに進み出て言った。「余興に蛮族の音楽を奏でましょう。」斉の景公が言った。「よろしい。」
すると牛の毛や鳥の羽を飾った旗を立て、槍や二股槍や剣や盾を持ち、太鼓を鳴らして賑やかに楽団が出て来た。孔子は小走りに進み出て、片足づつ階段を登り、最上段を残して立ち、装束の袂を挙げて言った。「我がお二人の殿様は親睦の会を催しているのに、蛮族の音楽をどうして奏でるのか。役人に命じて下がらせて下さい。」役人は孔子を下がらせようとしたが、孔子はその場を動かず、晏嬰*と斉の景公をにらみつけた。景公は心に恥じて、信号旗を振って楽隊を去らせた。
*黎鉏(レイショ)の誤り。晏嬰はこの直前に世を去っている(魯定公十年、BC500)。
有頃、齊有司趨而進曰「請奏宮中之樂。」景公曰「諾。」優倡侏儒爲戲而前。孔子趨而進、曆階而登、不盡一等、曰「匹夫而營惑諸侯者罪當誅!請命有司!」有司加法焉、手足異處。景公懼而動、知義不若。
頃有りて、斉の有司、趨りて進みて曰く、「請う、宮中の楽を奏せん。」景公曰く、「諾。」優倡(ユウショウ)侏儒(シュジュ)、戯(たわぶれ)を為して前(すす)む。孔子、趨りて進み、階を歴て登り、一等を尽くさずして、曰く、「匹夫にして諸侯を熒惑(ケイワク)する者は當に誅(チュウ)すべし。請う、有司に命ぜん、」有司、法を加え、手足、処を異にす。景公懼(おそ)れて動(おのの)き、義の若(し)かざるを知る。
間もなく、斉の役人が小走りに進み出て曰く「宮中の音楽を奏でましょう。」斉の景公が言った。「よろしい。」お笑い芸人と小人がお笑いを演じながら前に進んだ。孔子は小走りに進み出て、片足づつ階段を登り、最上段を残して立ち、言った。「身分の低い者が諸侯をまどわせば、その罪は死刑に当たる。役人に命じてください。」役人は処刑を始め、芸人と小人の手足を切った。斉景公は恐れおののき、魯の正義に及ばないことを知った。
歸而大恐、告其群臣曰「魯以君子之道輔其君、而子獨以夷狄之道教寡人、使得罪於魯君、爲之柰何?」有司進對曰「君子有過則謝以質、小人有過則謝以文。君若悼之、則謝以質。」於是齊侯乃歸所侵魯之鄆、汶陽、龜陰之田以謝過。
帰りて大いに恐れ、其の群臣に告げて曰く、「魯は君子の道を以て其の君を輔く、而るに子は独り夷狄の道を以て寡人に教え、罪を魯君に得しむ。之を為すこと奈何せん。」有司、進み對えて曰く、「君子は過ち有れば則ち謝するに質を以てし、小人は過ち有れば則ち謝するに文(かざり)を以てす。君、若し之を悼まば、則ち謝するに質を以てせよ。」是に於いて、斉侯乃ち侵しし所の魯の鄆(コン)・汾陽(フンヨウ)・亀影(キエイ)の田を帰し以て過ちを謝す。
景公は帰国して大いに後悔し、群臣に言った。「魯は君子の道でその君主を補佐している。ところがあなた方はただ蛮族のやり方を私に教え、魯の君主に対する罪を犯させた。この後始末はどうするつもりだ。」
役人が進み出て答えた。「君子に過ちが有れば実質で謝罪し、凡人は言い訳でごまかすと言います。殿がもし凡人呼ばわりをいやがるなら、実質で謝罪して下さい。」そこで魯からかつて奪った鄆、汶陽、亀陰の農地を返還して謝罪した。
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