『史記』原文
定公立,趙簡子問史墨曰:「季氏亡乎?」史墨對曰:「不亡。季友有大功於魯,受鄪為上卿,至于文子、武子,世增其業。魯文公卒,東門遂殺適立庶,魯君於是失國政。政在季氏,於今四君矣。民不知君,何以得國!是以為君慎器與名,不可以假人。」 定公五年,季平子卒。陽虎私怒,囚季桓子,與盟,乃捨之。七年,齊伐我,取鄆,以為魯陽虎邑以從政。八年,陽虎欲盡殺三桓適,而更立其所善庶子以代之;載季桓子將殺之,桓子詐而得脫。三桓共攻陽虎,陽虎居陽關。九年,魯伐陽虎,陽虎奔齊,已而奔晉趙氏。 十年,定公與齊景公會於夾谷,孔子行相事。齊欲襲魯君,孔子以禮歷階,誅齊淫樂,齊侯懼,乃止,歸魯侵地而謝過。十二年,使仲由毀三桓城,收其甲兵。孟氏不肯墮城,伐之,不克而止。季桓子受齊女樂,孔子去。 十五年,定公卒,子將立,是為哀公。
『史記』書き下し
定公立つや、趙簡子、史墨に問うて曰く、「季子は亡びるか。」史墨対えて曰く、「亡びず。季友は魯於大功有りて、鄪を受け、上卿と為れり。武子・文子于至りて、世〻其の業を増す。魯の文公卒するや、東門遂、適を殺し、庶を立つ。魯君、是に於いて国政を失い、政は季氏に在ること、今に於いて四君矣。民、君を知らず。何をか以て国を得ん。是を以て君、器与名を慎むを為し、以て人に仮す可からず。」
定公五年、季平子卒す。陽虎私(ひそ)かに怒る。季桓子を囚らえ、与(とも)に盟う。乃ち之を捨(はな)つ。
七年、斉、我を伐ち、鄆(ウン)を取り、以て魯の陽虎の邑と為し、以て政に従わしむ。
八年、陽虎、尽く三桓の適(チャク)を殺して、更めて其の善くする所の庶子を立て以て之に代えんと欲す。季桓子を載(いつわり)て、将に之を殺さんとす。桓子、詐わりて脱するを得て、三桓共に陽虎を攻む。陽虎、陽関に居る。
九年、魯、陽虎を伐つ。陽虎、斉に奔り、已して晋の趙氏に奔る。
十年、定公、斉の景公と夾谷に会す。孔子、相の事を行う。斉、魯の君を襲わんと欲す。孔子、礼を以て階を歴(また)ぎ、斉の淫楽するものを誅す。斉侯、懼れて乃ち止め、魯に侵地を帰して過ちを謝す。
十二年、仲由をして三桓の城を毀ち、其の甲兵を収めしむ。孟氏、城を堕(おと)すを肯ぜず、之を伐ち、克たずして止む。季桓子、斉の女楽を受く。孔子、去る。
十五年、定公卒し、子の将立つ。是を哀公と為す。
『史記』現代日本語訳
(BC510)定公が国公に立つと、晋の趙簡子が史墨に問うた。「季氏は滅びるか。」史墨は答えて言った。「滅びません。季氏の始祖・季友*は魯で大きな功績があって、鄪(ヒ)のまちを受け取り、上卿となりました。子孫の武子・文子まで続いて、代々勢力を増しています。魯の文公が亡くなると、東門遂は適子を殺し、庶子を立てました。魯の君はこうして政治の実権を失い、権力が季氏にあること、今まで四人の国君にわたっています。ですから魯の民は国君を知りません。どうして国を保てましょうか。ですから君主たるもの、受け継いだ宝器と肩書きを慎んで、人に預けてはならないのです。」
定公五年(BC505)、季平子が死んだ。季氏の執事だった陽虎は、個人的な怨みを持って、季桓子を捕らえたが、盟約を結んだので解放した。
七年(BC503)、斉が魯を攻め、鄆(ウン)のまちを取り、魯の陽虎に与えて領地にさせた*。
八年(BC502)、陽虎は三桓の適子を全て殺して、更めて自分と仲がいい庶子を立てて当主を取り替えようとした。季桓子だまして、今にも殺そうとした。季桓子は陽虎をだまして脱出し、門閥三家老家(三桓)が共に陽虎を攻めた。陽虎は陽関に逃れた。
九年(BC501)、魯が陽虎を討伐した。陽虎は斉に逃げ、さらに晋の趙氏の所へ身を寄せた。
十年(BC500)、定公が、斉の景公と夾谷で会談した。孔子は執行役を務めた。斉は定公を襲おうとした。孔子は礼法を知りながら階段をまたぎ上り、淫らな音楽を奏でる斉の者を殺した。斉の景公は恐れてすぐに悪だくみを止め、魯に占拠した領地を帰して誤りを謝罪した。
十二年(BC498)、子路に命じて三桓の根城を壊し、その蓄えた武器と防具を接収させた。しかし孟氏が城を壊されるのを断ったので、これを攻めたが勝てなかったので、城の破壊を中止した。季桓子は斉が贈った女楽を受け取った。孔子は魯を去った。
十五年(BC495)、定公が死に、子の将が国君に立った。これを哀公と呼んだ。
『史記』注
季友:?-BC644。魯の公子、政治家。第15代君主桓公の四男。姓は姫、諱は友、諡は成。魯の実質的実権を握った三桓氏の内の季孫氏の祖。成季、もしくは季成子と呼ばれる。
七年(BC503)、斉が魯を攻め…:『左伝』によれば、陽虎が鄆を占拠したあとで、斉が魯を攻めている。
BC509 | 定公1 | 孔子43 | 魯・季平子に擁立され、定公即位 | |
507 | 3 | 45 | 邾の家老に、代替わりの冠礼を教える | 邾公変死、代替わり。魯・孟懿子、作法指南に孔子を紹介。弟子の子夏生まれる |
506 | 4 | 46 | 弟子の子游生まれる。呉、楚の都を落とし楚王逃亡。のち秦の援軍を得て奪回 | |
505 | 5 | 47 | 弟子の曾参=曽子生まれる。魯・季平子、叔孫成子死去。執事の陽虎、跡継ぎの季桓子を捕らえ、家政・国政の実権を奪う | |
504 | 6 | 48 | 陽虎の招きに応じようとするが、実現せず | 魯・陽虎、鄭を攻め匡のまちを奪取。正式に魯の執政となる。この頃孔子を招く |
503 | 7 | 49 | 弟子の子張生まれる | |
502 | 8 | 50 | 公山弗擾の招きに応じようとするが、実現せず | 魯・陽虎、三桓の当主排除を図って反乱、鎮圧され斉に逃亡。季氏の家臣、公山弗擾、孔子を招こうとする |
501 | 9 | 51 | 中都の宰=代官に任じられる | ローマ、独裁官設置 |
500 | 10 | 52 | 司空=治水頭、次いで大司冦=奉行職に昇進、家老格となる。斉との外交折衝を担任、定公を救出し占領地を取り戻す | 魯・定公、斉の景公と会談し、捕らわれかける |
499 | 11 | 53 | 家老の少正卯を処刑する | 魯・季桓子と孟懿子、孔子を支持する。魯、斉・鄭・衛との友好を計り、晋と距離を置く |
498 | 12 | 54 | 三桓の根城破壊を開始、季氏に仕えていた子路に任せる。公山弗擾の反乱を鎮圧。根城の最後、孟氏領・成邑の破壊失敗 | 魯・公山弗擾、根城破壊に反対して反乱。成邑の代官・公斂処父、破壊に抵抗 |
497 | 13 | 55 | 辞職し、諸国放浪の旅に出る。衛の霊公に一旦は仕えるが、衛家臣の反発に遭い辞去 | 魯・定公、斉の送った女楽団にふぬけ、孔子を遠ざける |
496 | 14 | 56 | 衛を去り陳に向かう。匡で陽虎に間違われ受難。蒲のまちでも受難するが、弟子の公良孺が抜刀して蒲人を威圧、難を逃れ衛に戻る。家老の蘧伯玉の客人となる | 衛太子蒯聵、霊公夫人南子を殺そうとして失敗、国外逃亡 |
495 | 15 | 57 | 衛を去り魯に戻る | 弟子の子貢、定公の死去を予言する。魯・定公死去 |
『史記』付記
思案中
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