『史記』現代語訳:斉太公世家・霊公/荘公

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『史記』原文

〔霊公〕二十八年,初,靈公取魯女,生子光,以為太子。仲姬,戎姬。戎姬嬖,仲姬生子牙,屬之戎姬。戎姬請以為太子,公許之。仲姬曰:「不可。光之立,列於諸侯矣,今無故廢之,君必悔之。」公曰:「在我耳。」遂東太子光,使高厚傅牙為太子。靈公疾,崔杼迎故太子光而立之,是為莊公。莊公殺戎姬。五月壬辰,靈公卒,莊公即位,執太子牙於句竇之丘,殺之。八月,崔杼殺高厚。晉聞齊亂,伐齊,至高唐。
莊公三年,晉大夫欒盈奔齊,莊公厚客待之。晏嬰、田文子諫,公弗聽。四年,齊莊公使欒盈閒入晉曲沃為內應,以兵隨之,上太行,入孟門。欒盈敗,齊兵還,取朝歌。
六年,初,棠公妻好,棠公死,崔杼取之。莊公通之,數如崔氏,以崔杼之冠賜人。待者曰:「不可。」崔杼怒,因其伐晉,欲與晉合謀襲齊而不得閒。莊公嘗笞宦者賈舉,賈舉復侍,為崔杼閒公以報怨。五月,莒子朝齊,齊以甲戌饗之。崔杼稱病不視事。乙亥,公問崔杼病,遂從崔杼妻。崔杼妻入室,與崔杼自閉戶不出,公擁柱而歌。宦者賈舉遮公從官而入,閉門,崔杼之徒持兵從中起。公登臺而請解,不許;請盟,不許;請自殺於廟,不許。皆曰:「君之臣杼疾病,不能聽命。近於公宮。陪臣爭趣有淫者,不知二命。」公踰墻,射中公股,公反墜,遂弒之。晏嬰立崔杼門外,曰:「君為社稷死則死之,為社稷亡則亡之。若為己死己亡,非其私暱,誰敢任之!」門開而入,枕公尸而哭,三踴而出。人謂崔杼:「必殺之。」崔杼曰:「民之望也,捨之得民。」

『史記』書き下し

〔霊公〕二十八年、初め霊公、魯の女を取り、子の光を生み、以て太子と為す。仲姫・戎姫あり。戎姫、嬖(いつくしめ)らる。仲姫、子の牙を生む。之を戎姫に属(あず)く。戎姫、以て太子と為さんと請う。公、之を許す。仲姫曰く、「不可なり。光の立つや、諸侯に列なれり。今故無く之を廃さば、君必ず之を悔いん。」公曰く、「我に在るのみ。」遂に太子光を東にし、高厚をして牙に傅たらしめて太子と為す。霊公疾む。崔杼、故(もと)の太子光を迎えて之を立つ。是を荘公と為す。荘公、戎姫を殺す。五月壬辰、霊公卒す。荘公、位に即き、太子牙を勾竇(コウトウ)の丘に執らえ、之を殺す。八月、崔杼、高厚を殺す。晋、斉の乱を聞き、斉を伐ち、高唐に至る。荘公三年、晋の大夫欒盈(ランエイ)、斉に奔る。荘公、厚く客として之を待つ。晏嬰・田文子諌む。公、聴かず。四年、斉の荘公、欒盈をして間(ひそか)に晋の曲沃に入り、内応を為さしめ、兵を以て之に随い、太行を上り、孟門に入る。欒盈、敗れ、斉の兵、還り、朝歌を取る。六年、初め、棠公の妻好し。棠公死し、崔杼、之を取る。荘公、之に通じ、数〻崔氏に如(ゆ)き、崔杼の冠を以て人に賜う。侍者曰く、「不可なり。」崔杼怒る。其れ晋を伐つに因り、晋と与に謀を合わせ、斉を襲わんと欲す。而るに間を得ず。荘公、嘗て宦者賈挙を笞うつ。賈挙復た侍り、崔杼の為に公を間(うかが)い、以て怨みに報いんとす。五月、莒子、斉に朝す。甲戌を以て之を饗なす。崔杼、病を称し、事を視ず。乙亥、公、崔杼の病を問い、遂に崔杼の妻を従(お)う。崔杼の妻、室に入り、崔杼と与に自ら戸を閉じて出でず。公、柱を擁きて歌う。宦者賈挙、公の従官を遮りて入り、門を閉ず。崔杼の徒、兵を持ち、宮中従り起こる。公、台に登りて解かんことを請う。許さず。盟わんと請う。許さず。廟にて自殺せんと請う。許さず。皆曰く、「君の臣杼は病に疾み、命を聴くこと能わず。公宮に近し。陪臣、趣(さま)を争(おさ)めたるに*、淫者有り。二命を知らず。」公、牆を踰ゆ。射て公の股に中る。公、反りて墜ち、遂に之を弑す。晏嬰、崔杼の門外に立ちて曰く、「君、社稷の為に死さば、則ち之に私せん。社稷の為に亡ばば、則ち之に亡びん。若し己の為に死し己のために亡ばば、其の私に暱(ちかづ)くに非ざる者は、誰が敢て之に任ぜん。」門開けて入り、公の屍を枕にして哭し、三たび踊(と)びて出づ。人、崔杼に謂う、必ず之を殺せ、と。崔杼曰く、「民の望みなり。之を舎(ゆる)して民を得ん。」丁丑、崔杼、荘公の異母弟杵臼を立つ。是を景公と為す。景公の母は魯の叔孫宣伯の女なり。景公立つや、崔杼を以て右相と為し、慶封を左相と為す。二相、乱の起こらんことを恐れ、乃ち国人と盟いて曰く、「崔・慶に与せざる者は死せん。」晏子、天を仰ぎて曰く、「嬰の獲らざる所なり。唯君に忠なりて、社稷を利する者のみ是れ従わん。」盟うことを肯ぜず。慶封、晏子を殺さんと欲す。崔杼曰く、「忠臣なり。之を舎せ。」斉の太史、書して曰く、「崔杼、荘公を弑す。」崔杼、之を殺す。其の弟復た書す。崔杼、復た之を殺す。少弟復た書く。崔杼、乃ち之を舎す。

『史記』現代日本語訳

霊公二十八年(BC554)、霊公は初めは魯の女を娶り、子の光を生み、光を太子とした。その他愛妾に仲姫と戎姫がいて、戎姫は寵愛された。仲姫は子の牙を生んだ。これを戎姫に預けた。戎姫はその子を太子にしたいと願った。霊公がこれを許した。

それを聞いた仲姫が言った。「だめです。光を太子に立てた時、諸侯に紹介しています。今になって理由もなくこれを取り下げたら、殿は必ず後悔なさいます。」霊公は言った。「わしの考え次第だ。」とうとう太子光を東方に追いやり、高厚を牙の守り役として太子に立てた。

霊公が病気になったので、宰相の崔杼(サイチョ)は、もとの太子光を迎えて国君に立て、これを荘公と呼んだ。荘公は戎姫を殺した。五月壬辰、霊公が死んだ。荘公は位に即き、太子牙を勾竇(コウトウ)の丘で捕らえ、殺した。八月、崔杼が高厚を殺した。晋は斉の混乱を聞いて、斉を伐ち、高唐まで攻め寄せた。

荘公三年(BC551)、晋の大夫欒盈(ランエイ)が、斉に亡命してきた。荘公は客としてあつくもてなした。晏嬰・田文子が諌めたが、荘公は聞かなかった。

四年(BC550)、斉の荘公が、欒盈を密かに晋の古都・曲沃(キョクヨク)に潜入させ、内応させた。自分は兵を率いてその後を追い、太行山脈を上って孟門のまちに入った。しかし欒盈が敗れたので、斉の兵は引き返して、晋のまち朝歌を取った。

六年(BC548)、棠公の妻は美貌で知られていた。棠公が死んだので、崔杼が娶った。ところが荘公がこの女と密通し、たびたび崔杼の屋敷に行き、留守の間にくすねた崔杼の冠を人にやった。侍従は「いけません」と諌めた。当然、崔杼は怒った。

崔杼は晋を討伐する機会に乗じ、晋と示し合わせて斉を襲おうとした。しかし機会を得られなかった。荘公は以前、宦官の賈挙(カキョ)を笞で打ったことがあった。賈挙はその後も荘公に仕えていたが、崔杼のために荘公を監視し、報復しようとしていた。

五月、莒の国君が、斉に服属の挨拶にやってきた。宴会では武装した兵士に取り囲ませた。崔杼は病気だと言って、政治を執らなくなった。乙亥、荘公が崔杼の見舞いに来たが、そこで崔杼の妻を追いかけ回した。崔杼の妻は居間に逃げ、崔杼と共に戸を閉じて出てこなかった。

荘公は柱を抱いて歌った。宦官の賈挙が荘公の侍従を遮って屋敷に入り、門を閉じた。崔杼の家臣が武器を持ち、居間から出てきた。荘公は台に登って、解き放つよう願ったが、家臣は許さなかった。崔杼と約束したいと願ったが、許さなかった。斉国の祖先祭殿で自殺したいと願ったが、許さなかった。

崔杼の家臣は口を揃えて言った。「殿の家臣、崔杼は病気で、その命令を聞くことが出来ません。ここは斉国の宮殿にも近いので、我らは夜警に立っていました。間男を見つけたら殺せと崔杼に命じられています。その他の命令は聞きません。」

荘公は屋敷の外壁を飛び越えたが、家臣の射た矢が股に当たった。荘公は転げ落ち、とうとう殺されてしまった。そこへ家老の晏嬰(アンエイ)が来て、崔杼の屋敷の門外に立って言った。

「国君が国のために死んだなら、後を追います。国のために滅んだなら、私も滅びます。もし自分のために死に自分のせいで滅んだなら、親しかった者はともあれ、そうでない誰が後を追いますか。」そして門を開けて屋敷に入り、荘公の死体に頭を付けて泣きの礼をし、三度飛び上がる仕草で死を悼んだ。

ある人が崔杼に言った。「晏嬰を生かしておいてはいけない。」崔杼が言った。「民に人望がある。許さないと民が何をしでかすか分からない。」丁丑、崔杼は荘公の異母弟の杵臼(ショキュウ)を国公に立てて、これを景公と呼んだ。

景公の母は、魯の門閥家老の一人・叔孫宣伯の娘だった。景公が即位すると、崔杼を右相に任じ、慶封を左相に任じた。二人の宰相は、乱が起こることを恐れ、そこで主立った有力者と盟約を結ぼうとした。いわく、「崔・慶に味方しない者は死ね。」

晏嬰は天を仰いで言った。「私は加わりません。ひたすら主君に忠実で、国に利益をもたらす者にだけ従います。」そして盟約を拒んだ。慶封が晏嬰を殺そうとすると、崔杼が言った。「忠臣だ。許せ。」斉の記録官は年代記に記した。「崔杼が主君の荘公を殺した。」崔杼は記録官を殺した。その弟がまた同様に書いた。崔杼は弟も殺した。その下の弟も同様に書いた。崔杼はやむを得ずこれを許した。

『史記』注

争趣:〔漢語網〕謂巡夜搜捕。《史記·齊太公世家》:“君之臣 杼 疾病,不能聽命。近於公宮。陪臣爭趣有淫者,不知二命。” 司馬貞 索隱:“《左傳》作‘捍趣’。此為‘爭趣’者,是 太史公 變《左氏》之文。”

地名は地図参照。

論語 斉 魯 地図

クリックで拡大。Map via http://shibakyumei.web.fc2.com/

BC551

魯襄公22

斉荘公3

1 孔子、魯国・昌平ショウヘイ郷・スウ邑に生まれる。西暦推定日付9/28。父・叔梁紇シュクリョウコツは70過ぎの武人、母・顔徴在ガンチョウザイは17の巫女

国政の実権は三桓サンカン=三家の門閥家老が掌握

晋・大夫欒盈、斉に亡命

550 23 4 2  

欒盈、晋に潜入して内乱。斉、晋を攻めて朝歌を取る〔斉世家〕

549 24 5 3 父亡くなる。母と共に魯の都・曲阜のケツ里に移住。母は父の墓所を隠す    
548 25 6 4     斉・崔杼、荘公を殺し、景公即位。晋、斉の混乱に乗じて攻撃

『史記』付記

思案中

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