『史記』現代語訳:仲尼弟子列伝(19)公西赤・巫馬施

論語時代史料:『史記』原文-書き下し-現代日本語訳

公西赤子華(こうせいせき・しか)

公西赤字子華。少孔子四十二歲。子華使於齊,冉有為其母請粟。孔子曰:「與之釜。」請益,曰:「與之庾。」冉子與之粟五秉。孔子曰:「赤之適齊也,乘肥馬,衣輕裘。吾聞君子周急不繼富。」
公西赤、字は子華。孔子より少きこと四十二歳。子華、斉に使いす。冉有、其の母の為に粟を請う。孔子曰く、「之に釜(フ)を與えよ」益すを請う。曰く、「之に庾(ユ)を與えよ。」冉子、之に粟五秉(ヘイ)を與う。孔子曰く、「赤の斉に適くや、肥馬に乗り、軽裘を衣る。吾聞く、君子は急を周(不足を補い満たす)して、富めるに継がず(継ぎ足さない)、と。」

公西赤、字は子華。孔子より四十二歳年少。

子華が斉国へ使いに出た。冉有が子華の母のためにアワを求めた。孔子が言った。「彼女に六斗四升与えなさい。」もっと下さいと言った。先生が言った。「十六斗与えなさい。」冉子は八百斗を与えた。孔子が言った。「公西赤が斉に行くには、超えた馬に車を牽かせ、軽い皮衣を着た。私はこう聞いている。君子は急場を救うが、富んだ者には足さないと。」

釜・庾・五秉は、宮崎市定説によると、十日分・二十日分・千日分に当たるという。それを元に計算すると、俵で二十俵ほどになる。詳細は論語122A雍也篇第六(4)「子華、斉に使いす」を参照。

人物の詳細は論語の人物:公西赤子華を参照。

巫馬施子旗(ふうばし・しき)

巫馬施字子旗。少孔子三十歲。陳司敗問孔子曰:「魯昭公知禮乎?」孔子曰:「知禮。」退而揖巫馬旗曰:「吾聞君子不黨,君子亦黨乎?魯君娶吳女為夫人,命之為孟子。孟子姓姬,諱稱同姓,故謂之孟子。魯君而知禮,孰不知禮!」施以告孔子,孔子曰:「丘也幸,茍有過,人必知之。臣不可言君親之惡,為諱者,禮也。」
巫馬施、字は子旗。孔子より少きこと三十歳。陳の司敗(官名、法を司る)、孔子に問いて曰く、「魯の昭公は礼を知るか。」孔子曰く、「礼を知る。」退きて巫馬旗を揖して曰く、「吾聞く、君子は党せず、と。君子も亦党するか。魯君、呉の女を娶りて夫人と為し、之に命づけて孟子と為す。孟子の姓は姫なり。同姓を称するを諱む、故に之を孟子と謂う。魯君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。」施、以て孔子に告ぐ。孔子曰く、「丘や幸せなり、苟しくも過ち有れば、人必ず之を知らす。臣は君親の悪を言う可からず。為に諱むは、礼なり。」

巫馬施、字は子旗。孔子より三十歳年少。

陳の司敗が問うた。「昭公は礼を知る人でしたか。」孔子が言った。「礼を知っていました。」孔子はその場を去った。司敗は巫馬期にお辞儀して、近寄せて言った。「私はこう聞いている。君子はつるまないものだと。君子もまたつるむものなのか。魯の君主は同姓の呉から嫁を取って夫人にし、これを呉孟子と呼んだ。孟子の姓は姫である。昭公は同姓を名乗らせるのをはばかった、だから夫人を孟子と言った。魯の君主が礼を知るなら、誰が礼を知らないだろう。」巫馬期はこの言葉を孔子に告げた。孔子が言った。「私は幸運だ。もし間違いがあれば、人は必ずそれを知らせる。臣下は君主や親の悪口を言うべきではない。それを理由に言葉をはばかるのは、礼法にかなっている。」

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