論語ものがたり:第十話 師匠が亡くなりゃ即仲間割れ

子禽しきん子貢しこう問ふて曰く、夫子ふうしくに於至る、必ずまつりごとを聞く。これを求むるすなはこれあたふる。子貢曰く、夫子はをんりやうきようけんじやうて之を得たり。夫子のこれを求むる、其れこれ人之これを求むるは異ならん。(論語学而篇10


挿絵(By みてみん)

みなさんこんにちは。カーラです。

以前、とある国の政治史を調べたことがあるのですが、すぐにはらわたが腐るような思いがして嫌になりました。その国は日本と同程度には古いのですが、ただの一度も国がまとまったことがありません。常に派閥抗争しており、敗者は徹底的な皆殺しに遭いますが、その途端勝者が分裂して、また抗争が始まるのです。

異民族王朝の時代が長いから、ではありません。それを言うなら日本の王家も外国人です。先代が勅語まで出して確言しましたが、世間からはスルーされたようです。ただ聞いて「へえ。やっぱ外国人なんだ」と思いましたね。それで日本史のあれこれに説明が付いたからです。バカげた戦争を止めなかったのもその一つです。

カチンと来た方もおいででしょうからつけ加えます。あの戦争で亡くなった方を悼まない者は日本人ではないと思っています。そんなに尊くもむごい犠牲を出したのに、アメリカの属国に落ちぶれたなんてバカげています。しかも止める機会は何度も何度もありました。その都度頭のおかしな男が出てきてブチ壊したのです。

バカげている以外の何物でもないです。アジアの解放なんてたわごとです。憲法上のゴールキーパーだった天皇は、「なんとかしてくれ」と言うだけで何もしませんでした。刀マニアの明治帝ならぶった斬っていたでしょう。えせリベラルや外国の回し者もけしからんですが、あまりに不勉強な保守派も頭がどうかしています。

挿絵(By みてみん)

話をその国に戻せば、何でそんなことばかりしているのか、結局分かりませんでした。多分何かの病気でしょう。貧しさでも説明が付きません。現在そこそこ豊かなのに、相変わらずだからです。貴族の比率でも、日本の武士と大して変わりません。もっとも、まともな統計が存在しない国ですから、推計でしかありませんが。

人は何で派閥抗争するのか。その答えは恐らく歴史ではなく、サル山の研究の方に求めるべきでしょう。だから知的暇つぶし向けに中国史の話をすれば、中国人も派閥争いは大好きで、その苛烈さも例の国と変わりません。伝統的に一番それを派手にやったのは儒者で、それは儒者が役人と政治家を兼任していたからに見えます。

しかしどうやらそうではないようです。孔子が世を去ったとき、子貢派以外の弟子=儒者は、役人でも政治家でもありませんでした。ただの塾の先生です。ところが孔子が亡くなった途端、その塾の先生がよってたかって、子貢派の悪口を言い始めたのです。一体何がしたかったんでしょうか。正義の戦い? まさか。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

そんなアメリカ風味の脳天気は、中国人は史上一度も持ち合わせたことがありません。考えられる理由はただ一つです。旗かげ高し、ではなくて、俺たちにも官職を寄こせ、でした。「なりたきゃなりゃあいいじゃん」と子貢は答えたでしょう。それが出来ないから文句を言ったのです。要するに無能の集まりだからです。

人が自分が対象でなくとも、言いがかりの類を聞くと不愉快になるのはそれゆえです。悟りを開いた哲人でない限り、「バカは黙ってろ」と誰もが思うのです。塾の先生の集まり、つまり曽子派は、その能も無いのに官職だけ寄こせ、と言ったわけです。言い換えると、裏口での採用の世話をしろ、と子貢派に求めたのでした。

これは今に至るまで儒教社会の特徴になりました。始めから裏口で事を済ませようとするのです。伝聞ですから保証は出来ませんが、このせいでアメリカの大学は入試を滅茶苦茶にされてしまったそうです。たった200年しか歴史の無い国へ、その十倍以上の裏口こじ開け術の歴史を持つ者が、大挙して押し寄せたからです。

ズルい、と思うのは日本人的感覚で、彼彼女らが最も中国人らしい中国人です。だって目的は福禄寿で、それ以外は手段でしかないのですから。役人になりたがるのも、政治構想を実現したいからではありません。丁度日本の多くの高校大学が、卒業資格だけを発行しまともに教育しなくてもOKな理由とよく似ています。

この問題は中国でも取り沙汰されました。帝政期の高級官僚採用試験を科挙と言うのですが、およそ三次で試験され、一次二次は本来、公立学校の入学試験でした。ところが合格してもまともに通う者はおらず、政府も校舎や教員を真面目に整えませんでした。カネがかかるからで、これも福禄寿の作用です。

挿絵(By みてみん)

それではイカンと、中国史上指折りの暴君で、超まじめ皇帝でもある明の開祖・洪武帝が、学校の整備に取り組みました。空前の大虐殺をやった実績(?)がありますから、合格者もおとなしく通ったようです。しかし洪武帝が世を去った途端、全部ご破算になりました。誰の福禄寿にもならないからです。

中国では皇帝だって、福禄寿の忠実なしもべなのです。その意味で洪武帝はヘンな皇帝でした。彼は兵卒として、下士官として、士官として、将軍として、そして新興宗教の教祖として、いずれも抜群の業績によって一歩ずつ皇帝に成り上がった人物です。普通の中国人から見れば、気が狂っています。仕事が好きだからです。

だから正妻の馬皇后のほかは、誰一人理解者がいませんでした。即位後に彼がやった空前の大虐殺は、そのいらだち抜きに考えられません。おそらく絶後の大虐殺をやった毛沢東もこの点同じで、満面の善意に満ちあふれている、つもりでした、当人は。しかし誰にも理解されないので、やはり同様の暴君になったわけです。

話を裏口に戻します。

挿絵(By みてみん)

官僚社会が始まったばかりの春秋の世では、曽子派にはまだ裏口の手練手管がありませんでした。結果総帥の曽子をはじめ、ほとんど誰も就職できないまま、不満ばかりが吹き溜まっていきました。そこで彼らは何を始めたか。論語をまとめ始めたのです。その理由はメルヘンの世界で、自分たちの勝利に酔いしれるためでした。

要するに、とうとう頭がおかしくなったのです。――子貢派は堕落した連中だ。道徳的に劣っている。孔子先生の正統な後継者ではない。我らこそ正統派だ――。人を笑わせるには高度の知性が要りますが、怒らせるのはワケないように、悪口を書き集めるのは、就職できなかったボンクラにも可能な作業でした。

その作業を、曽子はご本尊の子思を床の間に据えて、その前に偉そうに座りながら、手下連中に命じたことでしょう。「お前ら、子貢の悪口を言え。」「ゼニに汚いです」「顔がバクに似ております」「女好きにござる」「弱い。もっともっと、きゃつが言われてたまらんほどの悪口を言え!」

もちろん曽子派とて、性根の卑しい者ばかりではなかったでしょうから、多少は真面目に、弟子が各自保管していた講義メモを集め、孔子の言行録を作ろうとしたでしょう。また、孔子の葬儀一切に子貢が費用を出したこと、子貢だけが作法の倍、六年間師の墓のそばで粗末な小屋がけ暮らしをしたことも思ったでしょう。

挿絵(By みてみん)

これは経験者として言うのですが、早くに成功してお金に不自由の無い生活を体験した者が、たった収入が半減しただけで、ものすごく心がいじけます。子貢は孔子一門の運営費ばかりか、革命の政治資金まで稼ぎ出しながら、雨漏りのする小屋がけ生活をやってのけたのです。七割五分の人間には無理なわざです。

もちろん子貢がそうしたのは、亡き師の供養を身近で行うためでした。それに子貢は存外仲間思いで、貧乏暮らしをしていた原憲を気にかけ、定期的にお弁当を持って見舞っていたようです。しかしその事実も、自派閥の総帥である曽子と取り巻きが、狂おしく殺気立っていることで、大っぴらには言えませんでした。

そうして出来上がったのが、現伝の論語の前半の多くを占める原・論語の一種です。現伝の論語はこのような、各派閥の原論語を取り合わせた上に、漢の帝国儒者がふくらし粉を混ぜ込んだ、純度の薄い粗悪品です。それぞれの原論語には戦前以来の研究により、学術的な名が付いていますが、今となっては不適切です。

無論そうした研究には論拠があるのですが、元ネタは漢代の儒者の随筆で、例によって一切根拠を書かない上に、100年以上前の出来事を、まるで見てきたかのようにベラベラと書き連ねています。まるで信用できません。それよりも、「こう考えた方がつじつまが合う」として史実を推定していくしかありません。

というわけで、そこで最初に出来上がったこの原論語を、曽子論語と呼びましょう。その動機は上述のようにメルヘンな悪口ですから、曽子自身のメルヘンな宣伝と、子貢の悪口がたっぷり含まれています。ただしもちろん今日では残っていません。当たり前でしょう、誰が他人のメルヘンと悪口集を読みたがるものですか。

挿絵(By みてみん)

その上頭も悪かった曽子派が、他人をうならせる本を書けたとも思えません。それが現在に至るまで、骨格とは言え論語の主要な部分を形作っているのは、孔子から約一世紀後の儒者、孟子の手にかろうじて滑り込んだからでした。孟子が世に出た頃は、儒家は事実上滅亡していましたから、これはギリギリのセーフです。

挿絵(By みてみん)

孟子は戦国時代の前半を生きましたが、当時思想界を二分していたのは、孔子の孫弟子だが儒家に見切りを付けて、新学派を開いた墨子が開いた墨家と、後継者が絶えたので詳細がよく分からない、楊朱の開いた学派でした。孟子が儒家を選んだのは、故郷が孔子と同じというゆかりからでしょう。それ以外は分かりません。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

戦国末期に儒家の有力者だった荀子の証言では、曽子の系統を引く孟子派のほか、儒家には子夏派や子游派などが生き残っていたと言いますが、直接子夏や子游の系統を引いているとは思えません。孟子によって再興された儒家が、またもや派閥争いを起こした結果、勝手に開祖として子夏や子游を据えただけでしょう。

秦帝国になると、儒家は孟子派も荀子派も学術顧問として採用されましたが、次の漢帝国になると孟子派ばかりになりました。理由は不明です。ともあれ、曽子→孟子の系譜が、その後の帝国儒教に成り上がります。儒者官僚は福禄寿のため、曽子をせっせと神格化しました。恐れ入れ、カネを出せ、というわけです。

従って、現伝の論語の前半は、後半以上に気を付けて読まないと、儒者の魔の手にかかって頭がおかしくなります。本章もその一つです。第一、子貢の貢の字が孔子生前にはありません。これは「子江」が本当のあざ名だったのを、曽子派が書き換えたのです。どう書き変えたかですか? 子貢=「金を貢ぐしか能の無い男」。

すさまじい嫉妬です。その他、「抑」「恭」「儉(倹)」「讓」も孔子生前にありません。話の内容から孔子没後でしょうが、直弟子の子貢と、その弟弟子との対話ですから、孔子の死去からそれほど時間が過ぎていたはずがありません。これらの文字は、孔子時代の置換候補はありますが、いずれも可能性に止まります。

挿絵(By みてみん)

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子禽シキン「どうにもみっともない。孔子先生は諸国をうろついて、官職あさりばかりしていたじゃないですか。」

挿絵(By みてみん)

子貢「コラ! 先生は人間が出来ているから政治を任された。世の権力亡者とは違うのだぞ、たぶん。」

子禽「たぶん?」

挿絵(By みてみん)

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たぶん、と訳したのは、文末の「與」を”置き字である”とかイイカゲンにしないで、ちゃんと意味を取るとそうなる、ということです。子禽は以前も登場しました。孔子の一人息子、孔鯉にカマを掛けて孔子の息子に対する冷たさを聞き取り、部屋に帰って大喜びしたという、あまり性根のよろしくない弟子に見えます。

でも本当かは話は別です。孔鯉にカマを掛けた話は「庭訓」という故事成語になっていますが、庭訓と言い本章と言い、以下に紹介するその他の話と言い、孔子一門にしてはあまりに孔子を馬鹿にしすぎています。なぜか? 子貢の弟弟子役のアバターだからですよ。こんなケシカラン奴を可愛がってた、というわけです。

挿絵(By みてみん)

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子禽「兄者は腰が低すぎます。孔子先生はそんなに偉い人じゃないでしょう。」

挿絵(By みてみん)

子貢「コラ! 何てこと言うんだ。君子たる者、たった一言で評価が決まってしまうぞ? 言葉に気を付けろ。お前は孔子先生の偉さを知らないだけなんだ。教えてやるから、よおく耳をかっぽじって聞け!」

子禽「はあ。」

子貢「先生の偉さはな、はしごを掛けても天に昇れないのと同じだ。先生が政治を取れば、あの善政を讃える歌と同じだぞ?」

♪政務を取りたまえば あら不思議

 国は栄える 民従う

 安らぐ暮らしに 遠くの者まで慕い寄る

 そのお触れを疑う者なく みなこぞって精を出す

 生きておわせば国賑わい みまかればすなわち国沈む

子貢「…と、いうわけだ。私やお前如きが、至れる境地ではないと知るがよいぞ。」

子禽「はあ。」(論語子張篇24

挿絵(By みてみん)

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こちらも「慎」など、孔子生前には無い言葉がいくつかあり、戦国時代以降の捏造はほぼ確定です。おそらく本章と同様、作り置きを子貢没後に一気に公開した作品でしょう。もし生前の子貢に、「貢ぐだけの男」などという悪口が聞こえたら、カネと権力を握っている子貢から、どんな報復を受けるか分からないからです。

子貢は、子路、顔回、冉有などと共に、一門のうち年長派に属し、おそらく孔子が魯の宰相になる前からの弟子です。当然、師の亡命にも同行しました。孔子が真っ先に魯を出て衛に向かったのは、子路・顔回の親戚である顔濁鄒ガンダクスウ親分を頼るとともに、子貢の生国で、おそらく子貢商会の本店が衛にあったからです。

対して子禽は、曽子や子夏・子游・子張らと同様、一門の年少組です。その中で子游だけが10年ほど年長(孔子との年齢差35)で例外ですが、孔子が魯の宰相になった頃に生まれた人物です。ただし子禽は、論語に三箇所で登場しながら伝記が全くなく、『史記』の弟子伝でも無視されています。実在と考えるのが無理でしょう。

すでに出てきた有若もそうですが、論語には架空の人物がたびたび出てきます。他には澹臺滅明タンダイメツメイなどが該当します。澹臺滅明の場合は、儒者の不勉強から偶然ポッと出た架空の人物で罪はありませんが、子禽のように子貢を貶めるためにわざわざこしらえられた人物もいるのです。まこと論語は油断がなりません。

挿絵(By みてみん)

子貢本人を貶めるのではなく、架空の弟弟子をこしらえて間接的に子貢の株価を下げる手管から見て、おそらく話の設定通り、孔子没後間もない頃に作られた捏造でしょう。権力と財力=誰も逆らえない暴力を握っていた子貢に対する、芸の細かい芝居です。そこまでやるワケあるか、ですか? コホン。あえて申し上げます。

中国人はそこまでやります。だから福禄寿の奴隷なのです。

明治以降の日中外交史には不幸しかありません。不勉強なのか回し者なのか、日中戦争を日本が始めた侵略と言い回る者がいますがたわごとです。日本の居留地に攻め込んできたのは中国です。日本人はこの中国人の悪辣をずっと見抜けませんでした。あらぬ期待をして、その都度裏切られてきたのです。

日本だけではありません。戦後は世界中が、中国にあらぬ期待と好意を寄せて、徹底的に利用されたのです。長い交渉の歴史があり、漢学教授も大勢いた日本人がなぜ気付かなかったかと言えば、中国が悪を行うたび、「孔子様の国」とか言って儒者や教授どもが誤魔化してきたからです。もう気付くべきでしょう。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

中国人は徹底的に福禄寿の奴隷です。だからコロナを撒いたのです。漢学教授も、自分が罹患すればコロリと言う事が変わるはずです。人に好みがあるのは当たり前ですが、医学者が研究対象の病原菌を愛してまき散らせば狂人です。しかし明治以降、儒者と漢学者は、病原菌をまき散らすに等しいことをやってきたのです。

人でも国でも、相手を知るとは相手の悪をも知ることです。悪を知るとは、憎むことではありません。反日を煽り身動きが取れなくなった国を真似るのは愚かです。映画『ゴッドファーザー』の名セリフの通り、”敵を憎むな。判断が鈍る”なのです。だから知るなら徹底的に知るのです。そしてやっと武器になるのです。

挿絵(By みてみん)

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それではまたお目にかかりましょう。みなさん、お元気で。カーラでした。

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