論語ものがたり:第八話 チューとあったらニセを疑え

子曰く、君子重からざらば則ちおごそかならざれ。學ばば則ちかたくなならざれ。まごころまことまもり、友のおのれかざる者を無からしめよ。過ちては則ち改むるにはばかなかれ。(論語学而篇8


挿絵(By みてみん)

みなさんこんにちは。カーラです。

今回のタイトルは、すでに申し上げた話です。「忠」の字が戦国末期にならないと現れないこと、つまり孔子が言うはずの無い言葉であること、そして「忠」は、激烈化した戦国諸国の潰し合いの中で、軍国主義を確立するために、儒家が権力に提供した洗脳装置であることです。これを再論するには理由があります。
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一つは、実例を見て頂くことで、儒者による「忠」の論語への挿入が、いかに悪辣かを知的暇つぶしとして知って頂くこと、そして一つは、儒教が「忠」を取り入れたことで、日本人ほぼ全ての運命が、現在のように決定されてしまったことに気付いて頂くためです。日本人の誰もが抱くであろう不満は、実に忠が原因でした。

結論から申し上げれば、現代日本の不自由さは、敗戦に原因があり、敗戦の原因は、神道の皮をかぶった儒教が、帝政日本の国教だったからです。そしてこの神道まがいの儒教=国家神道は、忠義を強調しました。だから儒教と言えば忠、日本の伝統的価値観と言えば忠だと思われてきました。しかしこれはまやかしです。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

この物語のアルテマウェポン、『学研漢和大字典』を編纂した藤堂博士は、戦国大名藤堂高虎の子孫です。名城今治城を残すなど築城家としても有名で、生涯に8たび主君を変えました。これは戦国時代では当たり前で、有能な武士ほど、より好待遇を求めて主君を変えました。後年の忠義など薬にしたくともありませんでした。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

この戦国の常識を無理やり終わらせたのは、一説に黒田長政だったと言われます。福岡藩の藩祖で、秀吉の軍師として名高い黒田官兵衛の息子です。長政の家臣に後藤又兵衛という、大名級の領地を持つ武勇絶倫のいくさ人がいましたが、長政に不満を抱いて浪人し、転職活動に入ります。長政は諸大名に回状を配ります。

「又兵衛を雇うなら、我が黒田家との合戦を覚悟されよ。」勇猛を以て知られた黒田軍相手に合戦してまで、又兵衛を雇い切ろうとする大名は、結局いませんでした。これは徳川家だけが助かればそれでいいと考えた家康の気に入り、以降江戸時代を通じて、武士のみならず農工商までもが、犬のような忠実を強要されました。

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これが日本人の精神を徹底的にいびつにしたと、『アーロン収容所』の著者である会田雄次博士は述べています。博士は日本軍の負け戦の中でも指折りに悲惨なインパール作戦に従軍し、戦友が毎日「ボタリ、ボタリ」と飢えと病で死んでいく様を体験し、敗戦直後は英軍の捕虜として想像を絶する虐待を受けました。

まさに出来事のまん中に博士はいたわけで、それゆえ忠義がもたらしたいびつな精神が敗戦を招いたとする結論は、傾聴に値します。戦争体験が全くない者の言うことなど、これに比べれば説得力を持ちません。では孔子が説きもしなかった忠は、どのようにして論語に書き加えられていったのでしょうか。

論語の中に忠が含まれた章は、全部で16です。ただしその全てが、後世の捏造というわけではありません。忠の元となった言葉=中心=心にあたる、として解釈出来る章は、中も心も孔子の生前に存在しますから、孔子の肉声と判断して差し支えないわけです。もちろん、忠以外の文字=言葉も遡れることが条件です。

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では順番に見ていきましょうか。すでに検討した曽子の「三省…」と、「子の道は忠恕のみ」は除外します。もちろんどちらもニセモノでした。

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子曰く、君子重からざらば則ちおごそかならざれ。學ばば則ちかたくなならざれ。まごころまことまもり、友のおのれかざる者を無からしめよ。過ちては則ち改むるにはばかなかれ。(論語学而篇8

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先生が言った。「諸君が他人から重く見られないなら〔なおさら〕厳かな態度をつくろうな。学んでも頭が固くならないようにせよ。自分と他人を偽らないようにせよ。勉強の遅れている仲間がいないようにせよ。間違えたら改めるのを恥ずかしいと思うな。」

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この現代語訳も世間のそれとは全然違いますが、理由は筆者サイトをご覧下さい。さて本章の「忠」ですが、「心に中る」=”感じる”、”感動する”、”気が付く”などのうち、”相手の心に感じるように話せ”に置き換えができます。しかし、「固」「憚」が孔子の時代には存在しません。

従って全部が全部ニセとは言いませんが、孔子の発言を大幅にいじくった言葉と考えます。

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季康子きかうし問ふ、民を使て敬忠にして以て勸めしめんには、これ如何いかんせん。子曰く、之に臨むにさかりもちゐば則ちけい孝慈かうじならば則ち忠、善を不能ふのうをしふらば則ち勸む。(論語為政篇20

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季康子が問うた。「民をへりくだらせ素直にしそれでまじめに働かせるには、どうしたらいいか。」先生が言った。「民に頼りがいのある姿を見せれば必ずへりくだります。年上も年下も哀れめば素直になります。有能な者を取り立てて無能な者を教えさせればまじめに働きます。」

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この章は、忠を中心=感動する、に置き換えが聞きます。しかし「勸」「慈」「擧」が孔子の生前に遡れません。全文が後世の捏造です。

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定公ていこう問ふ、君、臣を使ひ、臣、君につかふる、之を如何。孔子對こたへて曰く、君、臣を使ふにれいを以ゐ、臣、君に事ふるにまごころを以ふ。(論語八佾ハチイツ篇19

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〔孔子の主君の魯の〕定公が問うた。「君主が臣下を使い、臣下が君主に仕えるには、どうすればいいか。」孔子が答えて言った。「君主は臣下を使うに当たって礼法に従い、臣下が君主に仕えるに当たっては真心に従うことです。」

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この章は「中心」に置き換えが出来ません。感動しっぱなしの心で主君に仕えよと答えたら、温和な定公も「ふざけるな!」と怒り出すでしょう。後世の捏造です。

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子張問ふて曰く、令尹れいいん子文しぶんは、三たび仕へて令尹とりしも、喜ぶ色無く、三たび之をめられしも、いかる色無く、舊令尹きうれいいんまつりごとは、必ず以て新令尹に吿ぐ。如何と。子曰く、忠り。曰く、仁矣る。曰く、未だ知ならず、いづくんぞ仁を得む。崔子さいしせいの君をしいす。陳文子馬十乘有るも、棄て而之をる。他邦)たはう至れば則ち曰く、猶ほ吾が大夫崔子のごとき也と、之を違る。一邦にかば則ち又曰く、猶吾が大夫崔子のごとき也と、之を違る。如何。子曰く、せい矣り。曰く、仁矣る乎。曰く、未だ知ならず、焉んぞ仁を得むと。(論語公冶長篇18

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子張が質問して言った。「令尹レイインの子文は、三度令尹に任じられても喜ばず、三度免職されても怒らず、それまでの令尹の仕事を新令尹に引き継ぎました。どうでしょう」。先生が言った。「感心するな」。「仁者ですか?」「知者ではないから仁はない」。「サイ子が斉の国君を殺した際、陳文子は馬車十台分の馬を飼っていましたがそれを捨てて国を出ました。ある外国に行けば”やはり我が国の崔子のような者がいる”と言って出国しました。別の国に行けば”やはり我が国の崔子のような者がいる”と言って出国しました。どうでしょう」。「潔癖症だな」「仁ですか?」「知者ではないから仁はない」。

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これは孔子が生まれる直前、隣の大国斉で、殿様が大臣の妻を寝取り、怒った大臣・崔杼サイチョによって殺された事件を扱っています。論語の時代の貴族は、身分が高いほど性倫理は滅茶苦茶で、寝取り寝取られが横行していました。無論それは、春秋時代に限りません。中国人はみな、福禄寿の奴隷だからです。

さてこの章ですが、「弒」=主君を殺す、が孔子の時代には遡れませんが、これは普通に「殺」とか書いた可能性があります。だいたいの傾向として、論語の長い章はニセモノであることが多いのですが、この章はそうでも無さそうです。忠も中心=感心する、に置き換えられます。この章は本物です。

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子曰く、十室のいふ、必ず忠信きうの如き者有らん。焉んぞ丘之の學を好むに如かざらむ。(論語公冶長篇27

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先生が言った。「家十軒の村にも、必ず自他共に正直なこと丘のような者が居る。どうして丘の学を好むに及ばない者が居るだろうか。」

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この章もこのような訳になる理由は、筆者サイトを見て下さい。この言葉は以下にも孔子が言いそうなことで、言い換えると、「家十軒の寒村にも、必ず私のような素直で実直な者が居る。その実直さがあるなら、私並みに一から勉強しようと考える人がいて当然ではないか」ということです。

しかし残念ながら、この章は中心に置き換え変える事が出来ません。後世の捏造です。本章についてつけ加えること上がるとすれば、例のコピペ師、京都のY教授が、次のような注釈を付けていることです。

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論語 吉川幸次郎挿絵(By みてみん)

すなわち孔子によれば、素朴なひたむきな誠実、それだけでは完全な人間ではないのである。学問をすることによって、人間ははじめて人間である。人間の任務は、”仁”すなわち愛情の拡充にある。また人間はみなその可能性をもっている。

…しかしそれは学問の鍛錬によってこそ完成される。愛情は盲目であってはならない。人間は愛情の動物であり、その拡充が人間の使命であり、また法則であるということを、たしかに把握するためには、まず人間の事実について、多くを知らなければならない。

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これをどう読むか。Y教授は「学問をしないと人間ではない」と言っていると解せます。学問とは何かの定義は曖昧ですが、教授の専攻したような学問を指すのでしょう。そうすると日本人のほとんどは、人間ではないことになります。または孔子が九分九厘のホモサピエンスを、人間でないと言った事になります。

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ならば論語などは、焼き捨ててしまえばいいでしょう。中国の文化大革命で実際に起こったように、孔子廟など片端から叩き壊し、四書五経は溶かして便所紙にし、サーバ上のデータは消してしまうのがいいでしょう。

人に「素朴なひたむきな誠実」があれば、もう十分尊敬に値すると思うのですが。

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次に進みましょう。

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は四をもつをしふ、あやおこなひ、まごころまこと。(論語述而篇24

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先生は君子として通用するための四つを教えた。古典や礼法など文化教養。礼法に沿った行動。自分を確立するための真心。人と交わるための信頼。

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これは判断に迷います。孔子の生前に遡れないのは、忠の字だけです。もとは三ヶ条だったのかも知れません。

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子曰く、まごころまことまもり、友のおのれかざる者を無からしめよ。過ちては則ち改むるにはばかなかれ。(論語子罕篇25

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先生が言った。「まごころと正直を基本とし、自分に及ばない友人は助けてやれ。間違いを起こしたら、改めるのをいやがってはいけない。」

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論語学而篇8の重複ですが、おそらくはこちらが先で、学而篇は取って付けた取って付けです。いずれ解説しますが、こちらはホンモノと考えていいでしょう。

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子張德をたかめ惑ひをくを問ふ。子曰く、忠信を主んじただしきにうつるは德を崇める也。之愛しての生くるを欲し、之惡にくみて其の死を欲す。既に其の生を欲し、又其の死を欲するは、れ惑ひ也。(論語顔淵篇10

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子張が人格力を高め、矛盾を解釈する方法を問うた。先生が言った。「まごころと正直を信条とし正義にかなった行いをすれば、人格力は高まる。誰かを愛すれば生きていて欲しいと願う。誰かを嫌えば死んでしまえと願う。生きていて欲しいと願っているのに、死んでしまえと願うのが、矛盾だ。それでこの解釈はといえば」

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すでに扱った章ですが、話が尻切れトンボになっている章です。でもそれでいいのです。「崇」「徙」「惑」が孔子の時代に遡れません。ニセモノです。

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子張まつりごとを問ふ。子曰く、之に居るにむ無く、之を行ふにまごころを以ふ。(論語顔淵篇14

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子張が政治を問うた。先生が言った。「為政者の立場で怠けることなく、政治を行うのに真心で行うことだ。」

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「倦」の字が孔子の時代に遡れません。ただし部品の「巻」と書き分けられていなかった可能性があり、真偽の判断が付きかねます。

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子貢友を問ふ。子曰く、忠吿し而善く之を道びき、かざらば則ち止む、自ら辱むる毋れ。(論語顔淵篇23

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子貢が交友を問うた。先生が言った。「心に響く言葉を告げてやって、能力の限り導いてやり、出来なければやめる。自分をおとしめてまで言う事はない。」

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忠以外の文字が孔子生前に遡れますし、忠=中心の置き換えができます。ホンモノです。

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樊遲はんち仁を問ふ。子曰く、居るにうやり、事を執ることうや、人忠なるは、夷狄いてきくと雖ども、からざるなり。(論語子路篇19

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樊遅が仁を問うた。先生が言った。「居住まいをうやうやしくし、仕事にまじめに励み、人と付き合うのに心を通わせられれば、蛮族の国に行っても粗末に扱われない。」

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忠以外の文字が孔子生前に遡れますし、忠=中心の置き換えができます。ホンモノです。

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子曰く、之愛して能くいたはる勿らむ乎。忠ならば焉んぞ能くをしふること勿からむ乎。(論語憲問篇8

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先生が言った。「誰かを愛したら、いたわってやれないだろうか。心に響いたなら、どうして教えてやれないだろうか。」

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忠以外の文字が孔子生前に遡れますし、忠=中心の置き換えができます。ホンモノです。この章については、まぢキチの朱子がS○ショー全開のたわごとをいっていますので聞いてやりましょう。

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愛して苦労を掛けないようにするのは、鳥や子牛を可愛がるのと同じだ。真心があるのに教えないのは、女や○○無しのすることだ。愛すればこそ苦しめる。そうすれば愛は深まる。真心があるからこそ無知を教えてやる。そうすれば真心は一層偉大になるのだ。

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キモいですね-。生暖かい目も向けないで一目散に逃げましょう。

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子張行ひを問ふ。子曰く、言の忠信あり、行ひの篤くゐやあらば、蠻貊ばんぱくくにと雖ども行はるるり。言の忠信あらず、行ひの篤く敬あらざらば、州里しうりと雖ども行はれむ乎哉。立たば則ち其の前まつはるを見るる、輿に在りては則ち其のかうるを見る也る、れ然る後に行はる。子張これしんしるす。(論語衛霊公篇6

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弟子の子張が、自分の言い分を通す方法を尋ねた。先生が言った。「言葉に響きと信頼があり、行いが丁寧で慎み深ければ、南方や東北方の蛮族の地でも言い分が通る。言葉に響きと信頼が無く、行いが丁寧でなく慎み深くもなければ、中国の中だろうと言い分が通るものか。立てば目の前に正直と慎みがくっきりちらつき、乗り物の上でも正直と慎みが手すりに寄りかかっているようにくっきり見えたなら、やっと言い分が通る。」子張はこの教えを帯の垂れに書き記した。

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以前紹介した、子張まじめ弟子伝説の全文です。長いですが、忠以外の文字が孔子生前に遡れますし、忠=中心の置き換えができます。ホンモノです。

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孔子曰く、君子に九の思ひ有り。視るに明らかなるを思ひ、聽くにさときを思ひ、色いろはあたたかなるを思ひ、かたちゐやを思ひ、言のははひびきを思ひ、事は敬しみを思ひ、疑はしきは問はむことを思ひ、忿いかりうれひを思ひ、得るを見てはただしきを思ふ。(論語季氏篇13

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孔子が言った。「君子には九つの思うべき事がある。観察は明瞭であることを思い、聞く際には明瞭であることを思い、表情は温和であることを思い、動作は慎み深いことを思い、発言は心に響くことを思い、仕事は丁寧であることを思い、疑問は問いただすことを思い、発作的な怒りには後難を思い、利益を得る機会には筋が通っているかを思う。」

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忠=中心の置き換えができますが、「聰」「貌」「忿」が孔子在世当時に遡れません。ニセモノです。季氏篇以降、こうしたまとめサイトみたいな章が増えますが、漢帝国の儒者が論語を膨らますために入れたベーキングパウダーです。

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お疲れ様でした。これで全部ですが、同様に他の章の漢字の古さを追っていくと、論語の半分はニセモノだというのがご理解頂けるでしょうか? それともう一つ、論語の前半は例のひがみ根性のかたまり、曽子の派閥による編集です。前半の方が、ニセモノが多いと分かるでしょうか?

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後半は子貢派の影響が比較的強いのですが、政財界で成功していただけあって、金持ちケンカせず、ニセモノもでっち上げずなのですね。ただし、でっち上げをやった曽子派は、曽子自身ではなくたぶん孟子です。原書で孟子を読めばすぐ気付きますが、高慢ちきなハッタリ屋です。金のためなら何でもしたでしょう。

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キリスト教を研究する学者は、正教会オーソドクス普遍教会カトリックも、ともにキリスト教というよりパウロ教だと言います。日中の仏教が、ほぼブッダの教えではなく龍樹ナーガールジュナ教であるようにです。同様に儒教も孔子の教えとは言いがたく、実は孟子教です。ただしパウロはイエスと同時代を生きましたが、孟子は孔子没後約100年後の生まれです。

そして孟子の時代、儒家はほぼ滅んでいました。孟子の好き勝手に出来たのです。

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それではみなさん、またお目にかかりましょう。お元気で。カーラでした。

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