論語ものがたり:第六話 孔子の時代には愛が無い

論語ものがたり:第六話 孔子には愛が無い

いはく、千乘之のくにを道びくには、事をつつしまことあり、つひえをしみ而人を愛し、民を使ふに時をもちゐる。(論語学而篇5)


挿絵(By みてみん)

みなさんこんにちは。カーラです。

孔子が生まれたのは、紀元前551年前後とされます。孔子はそれから70年ほどを春秋の戦乱時代に生きました。つまり孔子は、今からだいたい2,500年前の人です。その当時、人の平均寿命はどれほどだったでしょうか。孔子の時代より後ですが、周~漢代の集団墓地を調査した所、30過ぎで男女ともに世を去ったようです(山東省臨淄出土周~漢墓)。

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当然でしょう。まず古代は、極めてか細い食糧生産能力しかありません。

機械がなく、ウマ・ウシなどの家畜はべらぼうに貴重で、栽培できる作物の種類も現在よりはるかに少なく、収穫率も大幅に劣っていました。ですから孔子の時代の主食だったアワは、1ℓで約1万円もしました。2018年の平均年収を使った換算です。同年の農協によるコメの買い取り価格は、最高でも168円だったそうです。

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それは漢字にも現れています。お腹いっぱいを意味する漢字に「飽」がありますが、この文字が確かに現れるのは、後漢の『説文解字』からです。「既」の古書体など、それ以外に”お腹いっぱい”を意味する漢字が無かったわけではありませんが、食べ物に飽きるときは通常、「厭」の古書体を用いました。

「厭」に「犬」が含まれていますね? この言葉は飽きるはあきるでも、”脂っこくてあきる”ことでした。中国も他の文明圏同様、文字を読み書きしたのは一応富裕層ですが、それでもお腹いっぱい食べる事は、なかなか想像しづらかったのです。それは孔子も同じでした。アキンドの子貢がいなかったら飢えていました。

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諸君は腹一杯食べる事を求めるな。住まいに安らぎを求めるな。仕事を素早くこなして言葉を慎め。まともな君主に仕えてその間違いを正せ。勉強だけしていればいい、などと思うな。(論語学而篇14)

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まことにごもっともなお説教ではあるのですが、おそらく孔子の肉声ではないでしょう。漢代の儒者官僚がでっち上げるに当たって、「飽」の字を使っちゃったというヘマをやらかしているからです。「古くからあった”既”を書き換えた」と言い張ることは出来ますが、それは屁理屈というものです。次の二つも同様です。

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a.先生は、葬儀に呼ばれてもガツガツ食わなかった。葬儀のあった日には歌わなかった。(論語述而篇9)

b.孔子「腹一杯食べて、ボケーッと一日中ぼんやりしているのは退屈この上ない。囲碁将棋、双六などして遊ぶ方がまだましだ。」(論語陽貨篇22)

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後者の陽貨篇は、作家の浅田次郎氏が元ヤクザだけあって、”ほらバクチがあるじゃないか。一日中何もしないでぼ~ッとしているよりましだぞ”と面白く訳していますが、残念ながらニセモノです。前者の述而篇は言うまでもありません。”孔子様はこんなお方だったんだぞ”と、都合の良いうそデタラメを開祖に塗りつけたのです。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

儒教が漢帝国の国教となると、開祖の孔子に、儒者官僚が儲かるようなウソが塗り付けられました。生身の孔子が言いもせず、やりもしなかったことが何度も塗り付けられて、孔子はパペット人形になってしまったのです。その総集編が論語郷党篇ですが、白川博士は「最も愚かしい記録」と丸ごと切り捨てています。

話を春秋時代に戻しましょう。

次に疫病の流行があります。約一世紀前にペニシリンが発明されるまで、伝染病にかかった患者はできるだけ安静にし、栄養を付けて隔離する以外の治療法がありませんでした。2020年のコロナ騒ぎも、ワクチンが無いゆえの大騒動でした。孔子の初期の弟子である冉耕ゼンコウ子牛シギュウも、伝染病にかかって世を去っています。

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孔子「君を失うとは…これも運命なのか、運命なのか。…何が天命だ、クソくらえ!」(論語雍也篇10)

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同時代の誰より読書家で、医術についても詳しかったはずの孔子でさえ、なすすべもなく人の死を見送るしかありませんでした。ただ孔子はその長寿が示しているように、当時としては超人で、何度か死ぬような病にかかりながら生還しています。

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孔子先生が病気になり、危篤になった。

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子路「おはらいしましょう。」

孔子「なんぞ霊験あらたかな祝詞のりとでもあるのか。」

子路「ここにあります。えーと、病魔退散~かしこみ~祈りまほ~す~。」

孔子「その程度の祈りなら、自分でずっとやっているよ。」(論語述而篇34)

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孔子先生が危篤になった。

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子路さんが慌てて弟子の僕らを家臣に仕立て上げた。

気が付いた先生が「これ子路や、またお前のハッタリか。ウチに家臣などおらんだろうが。世間はだませても天はだませないぞ。それに金次第の関係でしかない家臣より、私は弟子の諸君に看取られたい。大げさな葬式なんか要らないし、もう放浪もやめだから野垂れ死にはせぬよ。」(論語子罕篇12)

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孔子は天や自然界の不思議な力を恐れたと言われますが、それはそうでしょう。ただし孔子は古代人としては明るい合理性を持った人で、子路がやろうとしたまじないの類を、全く信用していませんでした。「怪力乱臣を語らず」(論語述而篇20)とはそういうことです。天を恐れたのは、雷や病など、知覚できたからです。

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従って、嘘をつきすぐ感情が変わり、何を考えているか知覚できない人間という生き物を、信用していませんでした。だから家族にも冷淡でした。孔子は魯国の宰相でしたが、貴族にはめったに無い事に、正妻だけしかめとりませんでした。また娘がいたことは確認できますが人数は分からず、息子も孔鯉コウリの一人だけです。

その孔鯉を、孔子は大して愛さず、教えもしませんでした。つまり孔子一門として、孔鯉はさほどの学識は無く、地位も高くありませんでした。全てが世襲だった春秋時代にあって、孔子が革命家であるゆえんです。だから孔鯉の息子=子思が、学者でなく下男だった曽子を、大先生と崇めねばならなかったのです。

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顔回が死んだ。

父親の顔路「先生、車を頂戴できませぬか。」

孔子「車をどうする?」

顔路「部材で外棺を作りたいと存じます。貧しくて作れぬのです。」

孔子「ああ、気持ちはよく分かる。顔回のように出来のいいのも、愚息のように出来の悪いのも、共に父親にとっては息子には違いない。愚息の時も外棺が作れなかった。だが私は家老の末席にいるから、車なしで歩いて出歩くわけにはいかない。こたびも申し訳ないが…。」(論語先進篇7)

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子貢シコウの門人・子禽シキンが、孔子の息子・孔鯉にたずねた。

子禽「あなたは先生から、何か特別の教えを受けましたか?」

孔鯉「いいえ。ただこういうことがありました。ある日私が庭を通り過ぎると、父が立っていて”詩経を学んだか”といいましたので、”まだです”と答えると、”詩経を知らないと、一人前の口を利くことはできないぞ”。そこで私は詩経を自習しました。」

子禽「ほほう。」

孔鯉「またある日、同じように庭を通り過ぎると、”礼法を学んだか”。”まだです”。”礼法を知らないと、人前でどう振る舞えばいいかわからないぞ”。そこで私は礼法を自習しました。この二つぐらいですかね。」

子禽「そうでしたか。それはどうも。」

子禽は自室に戻って大喜びした。

「一石三鳥だ! 詩を聞き礼を聞き、そして君子は子に冷たいと知ったぞ!」(論語季氏篇16)

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上では断ったように聞こえますが、孔子は結局車を下げ渡しています。

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子曰く、われふひと闕文けつぶん〕がごときに及ぶ也。馬有ら、人に借りてこれに乘らん。今はなるかな

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孔子「私も落ちぶれたものだ。これでは車も馬もない下っ端同然ではないか。馬さえ居れば車は借りられるが、その馬すら今は居ない。やれやれ。」(論語衛霊公篇26)

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古来、欠文があると言う理由で解釈が出来ないと、儒者も漢学教授もサジを投げ、代わりに勝手な想像をひねった挙げ句、原文の文法をめちゃくちゃに壊してさらに難解にしてしまった章ですが、素直に読めば読解できます。いつも通り、儒者も漢学教授も儒教の洗脳に頭をやられて、まともな判断力を奪われただけです。

それはさておき孔子は、一人息子の葬儀は粗末に終えながら、最愛の弟子の一人である顔回のためなら、体面を捨て不便をこらえて車を壊させたのです。孔子は家族愛のある人ではありませんでした。そして恐らく、顔回など例外を除き、人間一般への愛はなかったでしょう。我が子を愛せない男が、どうして他人を愛せますか。

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その最もわかりやすい例がマルクスです。左派には耳が痛いでしょうが事実です。マルクスは生涯働きませんでした。奥さんは貴族ですが、その財産を片端から売り払って横取りしました。その結果、我が子を何人も赤ん坊のうちに飢え死にさせ、そのくせ愛人をこしらえて、友人のエンゲルスから金をせびり続けました。

エンゲルスがある時、自分の妻が死んだと手紙で知らせてきました。その返事が何と、「そんなことはどうでもいいから、金を送れ。」話はまだ続きますが、みなさんもヘドが出たでしょうからもう止めます。この人間のクズ、最低にも最低の男が作った共産主義のせいで、それからの世界に痛ましい大虐殺が繰り返されました。

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ロシア内戦:✝271万人

レーニンによるもの:✝少なくとも数十万人

スターリンによるもの:✝推計最大700万人

ホロドモール:✝400万~1450万人

中国国共内戦:✝最大175万人

毛沢東の大躍進政策:✝数千万人

同じく文化大革命:✝40万~1000万人

ポルポトによるもの:✝120万~170万人

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こういう数字に意味はありません。正確な数、いや概数すら、人の欲を離れた冷静な数字は、人類の終わりまで出てこないでしょう。ですがこう言っていいのです。数え切れない人々が殺されました。つまり、数として一人の人間が実感できるどんな数より、もっと多くの人がむごたらしく殺されたのです。この男は許せない!

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挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

話を孔子に戻します。孔子は好き嫌いが激しく、温和な好々爺コウコウヤなんかではありません。まして人類愛はありません。これはさすがの藤堂博士も誤解しています。孔子の教説の中心であるジンを、人類愛ではないものの、同胞愛と捉えています。しかし孔子は、自分が好んだ弟子に限って、相互の思いやりを説いたに過ぎません。

ゆえに論語の本章は、残念ながらニセモノです。「愛」があるからです。しかもこの文字は、漢帝国にならないと現れません。孔子の生前、中国には孔子だけでなく、「愛」は無かったのです。「節」の字もありません。従って「愛」を含む論語のその他の言葉も、漢帝国の儒者官僚が、孔子に塗りつけたウソいつわりです。

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戦車千両の国を導くには、政務をまじめに行って信用があり、出費を抑えて人を愛し、民を使うには時期を選ぶ。(論語学而篇5)

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諸君、自宅では年上に孝行し、外では年長者を敬い、行いを謹んで約束を守り、幅広く人を愛して打算の無い愛情を持った人に近づきなさい。それが出来てまだ余裕があるなら、勉強しなさい。(論語学而篇6)

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この二つは孔子の肉声である可能性を捨てたくはないのですが、物証がある以上仕方がありません。少なくとも、儒者官僚の手で大幅な改造が施されています。

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挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

子貢が月初めの祭りに供える羊を取りやめようとした。先生が言った。「子貢よ、お前は羊がもったいないと言う。私は礼法がもったいないと思う。」(論語八佾ハチイツ篇17)

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これは曽子派による。子貢をおとしめるためのでっち上げです。漢帝国以降の儒者官僚は、一人残らず曽子の派閥です。そして論語の前半は、もと別の本で、曽子派が作った本でした。ですから論語の前半には、ありもしない子貢の叱られ話、失敗話がねじ込まれているのです。

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子張が人格力を高め、矛盾を解釈する方法を問うた。先生が言った。「まごころと正直を信条とし正義にかなった行いをすれば、人格力は高まる。誰かを愛すれば生きていて欲しいと願う。誰かを嫌えば死んでしまえと願う。生きていて欲しいと願っているのに、死んでしまえと願うのが、矛盾だ。それでこの解釈はといえば(話はここで途切れる)」(論語顔淵篇10)

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樊遅ハンチ「仁とは何ですか。」

孔子「人を愛する事だよ。」

樊遅「知とは何ですか。」

孔子「他人を理解してあげる事だよ。」

樊遅「??」

孔子「正直者を、悪党のかしらに据えると、悪党も真人間になる。」

樊遅「はぁ。そうですか。」

樊遅が首をかしげながら孔子の部屋を出ると、年下だが弟子としては先輩の子夏に出会った。

樊遅「子夏くん、いい所へ来てくれたね。どうか教えて貰えまいか。いま先生に知を尋ねたんだが、かくかくしかじかとお答えになった。どういうことだろうね。」

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子夏「そうでしたか兄者。さすがに含みのある先生のお言葉ですね。私が思うにこういうことです。太古、聖王のシュンが天下を取って、正直者の皋陶コウヨウをお目付役にしました。イントウ王も、正直者の伊尹イインをお目付役にしました。すると人でなしどもが、お館から逃げ出したそうです。昔の偉い王様は、人を見る目、悪党の追い出し方、これらを知っていたんですね。」(論語顔淵篇22)

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諸君。私はこれでも君たちを愛しており、いたわっているよ? 偽りなく君たちを想い、だからこうして教えているよ?(論語憲問篇8)

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子游が遠い武城の代官になった。先生は子游を訪ねて武城に行った。すると琴を弾いて歌う声が聞こえてきた。先生は笑って、出迎えた子游に言った。

孔子「トリ料理に牛をさばく大包丁を使うのかね。派手な出迎えは嬉しいが、やり過ぎではないかね。」

子游「申し訳ありません。ですが昔、先生からこう教わりましたのを確かに覚えております。君子が道理を学べば人を愛し、凡人が学べばおとなしく世間の役に立つ。まさにそれが道理だからだ、と。教育は洗脳になるほどに、やり過ぎぐらいで丁度いいのではありませんか?」

先生はお供の弟子たちを振り返って言った。

孔子「いや全くその通り。諸君、いまのは冗談だよ。」(論語陽貨篇4)

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宰我「親に対する三年の喪は長すぎます。そんなに引き籠もっていては、君子がせっかく身につけた礼法も音楽も、ダメになってしまいます。前年の穀物が尽きて新米を食べる頃には、火を切り直すではありませんか。喪も一年で十分です。」

孔子「お前はそれで平気なのか。」

宰我「ええ。」

孔子「じゃ、そうしなさい。親が亡くなれば、何を食べてもうまいと感じず、何を聞いても楽しいと思わず、一日中落ち着かないのが君子というものだ。だが平気というなら、かまわない。」

宰我が部屋を出ていった。先生が言った。

孔子「宰我には仁は分からぬだろうな。子は生まれて三年間は父母に抱かれて、やっとひとりで歩けるようになる。宰我には、その三年の愛が無かったのだろうか。」(論語陽貨篇21)

挿絵(By みてみん)

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最後の話は、古代人らしからぬ合理主義者で、伝説の黄帝を「三百歳も生きたなんて、そりゃ人ですか?」とはっきり口にする人間だったのを、儒家の洗脳装置をブチ壊す危険人物として、帝国の儒者がよってたかって貶め、記録を消して回ったその一つです。

ダラダラと現代語訳が続いてみなさんもうんざりでしょう。私も論語にこれほどまでに、儒者がウソいつわりをねじ込んできたことにうんざりしていますから、今回はここで終わりにしましょう。

挿絵(By みてみん)

それではみなさんお元気で。カーラでした。

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