論語ものがたり:第四話 巧言令色にも仁がたっぷり

いはく、たくみのことのはうるはしのかんばせなまぐさなりじん。(論語学而篇3


挿絵(By みてみん)

みなさんこんにちは。カーラです。

今回はいきなり結論から入ります。「巧言令色、すくなかな仁。」=”おべっかと作り笑顔には、情けの心が少ないものだよ”。それが事実であるだけに、孔子がそう言ったのも事実と思われています。しかし全然違います。孔子の時代、「鮮」に”すくない”の意味はありません。原義に近い意味だけです。

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見ての通り、「鮮」の字は羊と魚の組み合わせです。部品の配置こそ孔子の時代、上に羊で下に魚となっていますが、これまた群=羣と同じ理屈です。小学生の漢字の書き取りなら、先生にバツを付けられてしまいますが、本家の漢字にはいい加減さがあります。江戸落語のタネ本、明代の『笑府』は、この現象も笑っています。

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客を招いて魚料理を出した男がいた。ところが男の前にある魚ばかり大きく、客の魚はニボシのようである。

客「ところで、蘇州の蘇の字はどう書きましょうか。」

男「それは、くさかんむりに禾と書いて、左に魚と書くんです。」

客「魚を右に書く例(蘓)もありますよね?」

男「仰る通り。左右どちらでも蘇は蘇です。」

客「オホン。じゃ、取り替えてもいいわけですね」と言いつつ、立ち上がって男の皿と自分の皿を入れ替えた。「これでどうでしょう?」

(馮夢竜『笑府』卷十三・蘇字)

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羊も魚もなまぐさ物です。放置すればすぐ生臭くなります。この漢字=言葉の原義は、もちろん新鮮なことでした。しかし古代には、冷蔵庫がありません。塩漬けにするか、干物にするか。いずれもすぐに生臭くなる運命です。ですから二次的な意味が孔子の時代に通用していました。つまり”生臭い”です。

従ってこの論語の第三章で孔子が言っているのは、こういうことです。「せっかくの情けも、聞こえの良い言葉や笑顔を作り、生ものみたいにギラついて人に見せると、嘘くささがプンプンする。気を付けなさいよ」と言ったのでした。

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「鮮」がどうして”少ない”の意味になったんでしょうか。藤堂博士の説明は、歯切れが悪くなっています。

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〔原義は〕なま肉の意味をあらわす。なまの、切りたての、切りめがはっきりしたなどの意を含む。ごたごたとしていない。それだけが目だつさま。めったにない。

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この理由に限るなら、白川博士の言う方が説得力があります。

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鮮少の意はせんと音の通用する訓である。

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要するに、鮮は尟=”少ない”と音が近いから、転用されたというのです。ならばその語義は原義より、時代が下ると見なければいけません。論語は最古の古典の一つですから、原義で解釈出来るなら、そうする方が理に叶っています。そしてさらに決定的証拠があります。尟の字は漢帝国にならないと現れません。

それは孔子の死去の、300年近く後のことでした。

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つまり孔子先生に”少ない”のつもりで、いくら鮮鮮と言っても、「何かなそれは。どこの蛮族の言葉かな」と返されておしまいです。だからこそ論語の前章、有若のニセ発言では、鮮を”少ない”と読んだのです。有若も発言も、漢帝国の儒者官僚の手によるでっち上げたからです。時代考証の悪い芝居と言うしかありません。

論語の中で、他に「鮮」が使われた例は次の通りです。

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1.以約失之者、鮮矣。(論語里仁篇23)

2.民鮮久矣。(論語雍也篇29)

3.由、知德者鮮矣。(論語衛霊公篇4)

4.巧言令色、鮮矣仁。(論語陽貨篇17)

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4.は本章との重複です。ですからこちらも”生臭い”の意味です。1.はどうでしょう。”約=慎み深さで失敗する者は、少ない”と伝統的には理解されました。ですが残念なことに、これはニセ孔子の発言です。「約」という漢字=言葉は、秦帝国にならないと現れないからです。これも時代考証の悪い芝居です。

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好意的になって孔子の言葉だとしましょうか。すると文の意味はこうなります。”これ見よがしに質素倹約を見せつける者からは、偽善の匂いがプンプンするわい”。何事も慎重にしていれば、失敗はしないなどと言う、人間のやる気を奪う鬱な説教ではありません。儒者の魔の手にかかってはならないのです。

2.はちょっと厄介です。直前に”中庸=ほどほどの心がけの効果は”という句があります。書体的には孔子の時代に存在します。ですが「民鮮久矣」の意味が、なんと2,500年近くも誰にも分からず、儒者と漢学教授はそれぞれに、苦しいいいわけをうなっています。一つ覚えのように”少ない”と思い込んでいるからです。

それこそ何かが少ない証拠です。

ギラつくように鮮やかと解釈すれば解決です。”中庸の効果は、それはすばらしいものだなあ。民は明らかに、中庸を支えにしているのだ”。「久」の原義が”支える”であることに着目すればいいのです。普通、宗教の司祭は教義を冷めた目で見るものですが、儒教の場合は儒者に漢学教授までクルクルパーにしているようです。

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アホじゃないんでしょうが、パーでんねんです。儒教の洗脳効果の恐ろしさを思うべきです。3.の「由、知德者鮮矣」も同じです。”由=弟子の子路よ、徳を知っているものは少ないぞ”と解されてきました。違います。”これ子路や、徳=隠然とした人格力を身につけた者は、黙っていても威圧感があるぞ”ということです。

子路も孔子も武道の達人です。だからこそ言える発言です。一方儒者は九分九厘、青白いひょろひょろの集まりです。儒者は体力的劣等感から、論語での子路を筋肉バカとする解釈ばかりしてきました。現実世界では稽古しないで強くなれる法を求めました。図々しいと言うべきですが、その結果の発明が太極拳です。

あれは中々よくできていて、ゆっくりした動作だからこそ、恐ろしい殺人術が秘められています。十年も稽古すれば、間違いなく殺人マッシーンになれると請け合います。もっとも、毎日稽古すればの話です。見ているだけでは通信教育の空手黒帯と変わりません。そのあたりのハナタレ小僧にもボコられてしまいます。

逆にどの道場武道であれ初段もあれば、小僧~大僧程度ならシメるのは簡単です。何人かやったことがあるから保証します。自分からケンカを売ってはいけませんが、売られた場合は是非に及ばずです。ケンカは売られたことが既に油断の極みで武道人として恥ですが、傘の一本もあれば、ナイフ程度なら対抗できるでしょう。

しかし儒者はひょろひょろの集まりですから、戦乱の世を生き抜いた孔子と一門を理解できませんでした。だから解釈がオトツイの方角に行ってしまうのです。確か黒澤映画だったと思いますが、武士が刀を取られてボコられる、という話がありました。黒澤の武道オンチを表しています。でも観客にウケればそれでいいのです。

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ショービジネスとはそういうものです。でも政治に携わる儒者が、揃ってポエム書きしか能の無いメルヘンな人だった事が、中国の庶民を歴代痛めつけてきました。それが積もり積もって、今では政府・役人と人民の間に、普通な国なら当然ある、信頼が決定的に損なわれています。まるで人の顔に鼻が無いようなものです。

日本のおじゃる貴族もポエム書きと女たらししか能がありませんでしたが、幸いにも武士に政権と荘園をぶん取られて日本は少しは合理的になりました。その代わり国中こぞって人殺しの集まりになりました。百姓も戦時は徴兵されますから、いくさ場で人を殺すか、そうでない場合は殺されてさっさと人生が終わりました。

起源が国外でない限り、我々の多くはその人殺しの子孫です。ここを忘れると日本史が分からなくなります。論語も同じです。孔子と主要な弟子は、間違いなく人の一人や二人はその手で殺しています。聖人顔回さえ例外ではないでしょう。孔子と一番弟子の子路は、反抗する家老の私兵相手に、包囲戦を戦っています。

弟子の冉求ゼンキュウ樊遅ハンチの武勲は『左伝』に記されています。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

個人戦闘と用兵術を教えたのは孔子でした。冉求が家老への報告で断言しています。魯の哀公十一年(BC484)、押し寄せた列強・斉の大軍相手に、突破戦に移るとき、冉求は指揮下の兵に命じて、得物を普段のではなく、ボウに持ち替えさせています。『左伝』にその報を聞いた孔子の言葉として、「義なり」とあります。

ひょろひょろ儒者や漢学教授は、”正義に叶っている”と訳します。お花畑も大概にした方がいいでしょう。戦闘術として”それで正解”と言ったのです。おや、ここで「義」の字が出てきましたね。「鮮」と同じく羊が入っています。新鮮だったり正義や正解だったり。漢字を作った中国人は、よほどヒツジが好きなようです。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

藤堂説によると、「義」とは羊と我=ノコギリの組み合わせです。美味しいヒツジを、ノコギリで綺麗に切り分けた象形だというのです。なぜ牛や豚や犬(古代から現在に至るまで、中国では当たり前に食べます)でなく、ヒツジだったのでしょうか。これは意外に、漢字という文字が新しいことを意味しています。

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最も古い漢字は、殷王朝の中期、紀元前14世紀にさかのぼります。でも現在のように10万を超える数の漢字が、当時から出来上がっていたわけではありません。漢字は新発明や組み合わせによって、徐々に数を増やしてきたのです。紀元後100年頃の『説文解字』には、9,353字の漢字が載せられているに過ぎません。

さらに古い甲骨文字だと、約5千字です。つまり論語や史記などの古典が用いる漢字の半分は、周王朝から漢帝国の時代に出来たことになります。論語に限るなら作ったのは周人です。周王朝の先祖は、はるか西方の羊飼いの部族でした。牛や馬と違ってヒツジは、食べ物にえり好みがありません。貧しい土地でも飼えるのです。

親戚のヤギならなおさらです。その乳は栄養価が高く、古代では貴重な食物でした。周はこのヒツジの牧畜で国力を貯え、やがて東に進撃して殷を倒したのです。もちろん倒された殷のチュウ王が暴君だったというのは、周人と『封神演義』のでっち上げです。ただし殷人は野蛮だと言われても仕方が無いところがありました。

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殷は紛れもない中華文明の開祖ですが、むやみに人をいけにえにして殺しました。殷の語源を漢字学者はあれこれお上品に言っていますが間違いです。これは人から生きギモを取る姿です。殷に”真っ赤”の意があるのはキモと血の色からです。そういえば現在の中国ではカネさえ出せば、すぐに臓器移植が出来ます。

通常、臓器移植は非常に困難です。ごく新鮮でないといけませんし、移植して拒否反応が出ない他人の臓器など、めったにないからです。中国人はいったいどうやって? 意外に3,600年前の伝統というものはしつこいようです。ですから殷というのは他者からの呼び名でした。殷人自身は「商」と自称したのです。

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そう、商人の商です。滅ぼされた殷の民は、宋の地に住めと命じられました。淮河の中流域にあるぬかるんだ土地です。高度な排水技術の無い周代、食うに困る土地だったのでしょう。やむなく殷人は天秤棒を担いだり粗末な猫車を押したりして、諸国を流れ歩くアキンドになりました。それを「商人が来た」と言ったのです。

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今日でも華北の田野では、昔ながらの一輪車が、キイキイともの寂しい音を青い空にひびかせながら、地平線の果てに消えていく。(藤堂明保『漢文概説』)

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孔子は最晩年には耄碌モウロクして、”ワシは殷人じゃ”とか言い出しましたが、気が確かなうちは極端に、人が傷つくのを見るのを嫌がりました。これは戦士としての孔子と矛盾しません。戦士は人殺しだからこそ、高潔な道徳を身につけないと、蛮族の集まりになってしまいます。だから日本に武士道、西洋に騎士道があるのです。

ドイツ参謀本部は、ドイツ人が発明したあらゆる現代組織の元祖ですが、作ったシャルンホルストやグナイゼナウは、将校に高い軍事技術を持たせる一方、高度な人格的教養を求めました。「蛮族の集まり」化を防ぐためだったと渡辺昇一博士は書いています。しかしドイツ軍の精強化は成功しましたが、教養化は失敗しました。

ドイツ参謀本部がその猛威を振るったのは、対デンマーク戦争が最初です。参謀本部を率いたモルトケは、もとデンマーク人でした。しかし勝つためには、きわめて悪辣な手もためらいませんでした。映画『コールド・アンド・ファイヤー』はそれを描いています。二度の世界大戦では、さらにドイツ軍の残忍さが表に出ました。

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しかも国内で自国民に大量の餓死者が出た(カブラの冬)というのに、いっかな戦争を止めようとはしませんでした。”普通の国は国が軍隊を持っている。だがドイツでは、軍が兵営に使うため国を持っている”といわれるゆえんです。どんなに死体の山を築こうとも、わからない者は弱さにふんぞり返る傲慢な弱者と同じです。

孔子の教説の中心が、仁=思いやりにあると言われるのはこのためです。それも孔子の言う仁は、そんじゃそこらの思いやりではありません。とてものこと常人が真似の出来ない思いやりでした。弱者が口先だけで実践できるものではないのです。えせリベラルやファッション環境保護マニアには、決して分からない境地です。

なぜならそれは、まず自分が強くなければ実践できないからです。足を踏んづけられた程度で飛び上がり、救急車を呼んだり踏んづけた相手からカネをせびるチンチロリンには無理です。さんざん痛い思いをして強くなったからこそ、”この程度何でも無い”と思えますし、切られ殴られたらどんなに痛いか知っているのです。

道場で卒倒した事の無い武道人は信用できません。日本刀の抜刀操作で指を落としかけた者でないと、凶器を持たせてはなりません。同時に人の痛みが分かるのではなく、自分事として知っている人間でないと、信用するわけにはいきません。いつ何時飛び上がって、ワケの分からない文句をつけてくるか知れないからです。

孔子が言う「徳」とは、その逆です。単純な道徳何ぞではありません。

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論語で言う仁と徳は、機会を改めて説明することがあるでしょう。今回知って頂きたいのは、その倫理の裏には暴力の裏付けがあることです。素手で人を殺せるからこそ、殺さないのです。ケンカを売られても、制圧だけで止めるのです。これは同時に、通り魔が必ずナイフを持って現れ、女子供ばかり襲う理由を説明もします。

小僧中僧大僧のケンカが、エスカレートして止まらないのも理由は同じです。ケンカの経験が足りません。自分が強いと確信できるなら、リベンジにやって来ても追っ払えばいいだけですから、”二度とその気にならなくしてやる”と、過剰に傷付ける必要などありません。強いと分からせれば終わりです。国家も多分同じです。

孔子と高弟たちは、そんな気高い人殺しでした。納得がいかないでしょうか。でもブッダでさえ、その手で人を殺しているのです。強国コーサラとマガダの抗争に伴い、王族のブッダは出家前に出陣しているはずです。だから初期仏典には「毒矢のたとえ」があるのです。ブッダにとって他人事ではありませんでした。

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世界宗教の開祖で、手ずから人を殺していない可能性があるのは、唯一イエスだけです。ムハンマドはイスラム軍を率いて、生涯戦場を駆け回った戦士で将軍でした。人を救おうと思う者は、誰よりも人を知らねばなりません。生と死は当然です。でなければ、”この先生はウソツキだ”と、相手にして貰えないでしょう。

だからイエスの「剣をさやに収めなさい!」との教えには、すごみがあるのです。

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それではまたお目にかかりましょう。みなさん、ごきげんよう。カーラでした。

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