論語ものがたり:第一話 「復習しろ」なんて言ってない

いはく、まな時にこれならふ、おほいによろこばしからず有朋ともの遠方たる、亦いにたのしからず乎。人知らずし而いからず、亦いに君子ならず乎。(論語学而篇1)


挿絵(By みてみん)

みなさんこんにちは。AIクワントのカーラ・サキヤです。

この物語は、皆さんご存じの中国の古典『論語』を、最新の研究に従って読み解いていこうとするものです。「え?あのお説教集の論語を? 今さらなぜ?」と思われるかも知れません。『論語』は帝政中国の支配イデオロギーとして、2,200年もの間、人を縛り付けるのろいの言葉だったからです。

しかし最新の学説、とりわけ漢字学や言語学の成果を取り入れると、『論語』は全く違った姿を現代人に見せてくれます。語り手の孔子も決して聖者ではなく、大酒飲みでお調子者の陰謀家でした。ただし弟子を深く愛する先生でもあって、だからこそ2,500年近くの間、師匠として慕われてきたのですね。

近年では中国の経済発展に伴い、ふたたび帝国主義イデオロギーとして『論語』が使われつつあるようです。でもそんな生臭い話を横目にして、要らぬ気を回さずに素直に論語を読むと、意外に知的好奇心を満足させてくれるお話集だと分かります。前置きはこれぐらいにして、早速始めましょうか。

挿絵(By みてみん)

『論語』も人間が書いた文章ですから、単語を並べて出来ています。そして古代の中国語には、熟語がほとんど存在しません。つまり一漢字が一単語で、漢字が違えば意味が違います。例えば「聞」も「聴」も”きく”ことですが、古くは又聞きを「聞」といい、じかに聞くのを「聴」と言いました。

それ以外で漢字が違う理由は、方言の違いです。古代、大きな川を華北では「カ」と言い、華南では「コウ」と言いました。だから同じく大河を意味するのに、黄「河」と長「江」(揚子江)という別の漢字が出来たのですね。もっとも、「カ」「コウ」はのちの時代の発音で、古代では異なっていました。

挿絵(By みてみん)

その古代の音については、今は深入りしないでおきましょう。さて一漢字一単語の原則が確認できたら、あとは英文解釈と同様に、辞書を引き引き漢字を一字ずつ調べていけば、文章の意味が分かるはずです。漢字は我々日本人も使いますが、必ず古代中国と同じように使っているとは限らないからです。

例えばある分野を独り占めすることを、「独壇場ドクダンジョウ」と言いますね? これは「独擅場ドクセンジョウ」の間違いで、ひとりがほしいままに場を占拠することでした。漢字も音も違います。でも日本人は変だと思いません。ただし古典を読むなら注意が要るのです。

ですから分かりきった文字でも、いちいち調べる必要があるのですね。順番に見ていきましょう。

挿絵(By みてみん)

これは「子」の論語時代の書体です。金文と言います。金とは、もと青銅(銅とスズの合金)のことでした。今は真っ青に錆びて出土しますが、鋳上がった直後は金色です。古代のことゆえに、論語の時代の文字は、骨などに刻んだ文字や、青銅器に鋳込まれた文字しか残っていません。また当時は、紙もありませんでした。

ですから木や竹の細長い札を作って、それに書き記していたのです。さてこの文字は、もと王子を意味していました。子供一般を指す言葉では無かったのです。高貴な子供を指すことから、のちに貴族や教師への敬称になりました。論語は子曰くで始まることが多いのですが、”先生が言った”の意味です。

挿絵(By みてみん)

なおこのような辞書引きという、なんとも辛気くさい作業は書いている方も滅入ります。読者諸賢はなおさらでしょう。だからこの第一話だけでやめにしますから勘弁して下さい。知らないことを知るためには、それ相応の時間と労力がかかることを、お目に掛けているに過ぎません。面倒なら飛ばし読みして下さい。

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これは「曰」の金文です。音読みはエツ、”言う”の意味です。『論語』の読み下しでは「のたまわく」と読まれることも多いですが、「のたまう」は「言う」の尊敬語ですね。ですが中国語の曰にそんな意味はありません。あくまでも「言う」の意味しか持っていないのです。

挿絵(By みてみん)

これは「学」の金文です。語義は学者によってさまざまですが、いずれも「屋根の下で」を含むことについては意見が一致しています。意味は現代日本語と同じ「学ぶ」ことですが、屋根の下で学ぶこと、つまり机に座って文字を読んだり先生の話を聞いたりする、いわゆるお勉強を意味する言葉です。

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これは「而」の金文です。「ジ」と読み、「そして」を意味します。論語の冒頭を学而篇というのは、この冒頭の言葉から取ったのです。つまり学而とは、「机に座って勉強して、そして」の意味です。別に重々しい意味なんか全くありません。

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これは現在確認されている、最古の「時」の文字です。これも金文ですが注意が必要です。鋳込まれた青銅器の年代から、戦国時代の末(BC250ごろ)の文字だと分かっています。論語の時代とは200年以上の隔たりがあり、素直に解釈するなら、ことになります。

まさかそんな? でも、証拠が無い事は勝手に言わないのなら、その結論を認めるしかありません。それでも人類に、「時」という概念が無い社会なんてあるのでしょうか。そこでじっとこの金文を眺めていると、二つの部品「止」と「日」で出来ていることに気付きます。そう、古くは二文字で書いたのです。

「止日」=太陽をその位置に止めること。その時の太陽の位置。日時計。それを「時」と古代中国人は考えたのです。ですからもしこの言葉が孔子の言葉なら、「」ではなく「止日シジツ」と言った筈です。つまり『論語』は始まりから、孔子の肉声ではなくて、後世の編集が大幅に加わっていることを示しているのです。

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これは「習」の金文。上はひな鳥の羽根、下は鳥の巣です。ひな鳥が巣立ちに備えて、バタバタと羽ばたきをする姿です。つまり机に座ったお勉強ではなく、体を使った体育や実技練習を意味します。日本語ではお勉強も含みますが、その意味を古代の論語に当てはめてはならないのです。

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これは「不」の金文です。漢文で最も一般的な、「…でない」を意味する言葉です。現代中国語ではめったに使わず、「メイ」を使います。だから中国人の言うことでも、論語など古典については、まるまる信用出来ません。ここはものすごく重要です。中国人だからと言って、信用できないのです。

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これは「亦」の金文です。「エキ」と読み、伝統的な読み下しでは、「また」と読みますが誤読です。ここでの亦は、「…もまた」の意味ではないからです。「おおいに。たいそう」の意味で、日本人は長い間、いい加減な読み下しや訳で『論語』を理解したつもりになってきたのです。

中国語音韻学の第一人者だった、故・藤堂明保博士は、この悪習を歎いています。

挿絵(By みてみん)

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「不亦楽乎」を「マタ楽シカラズヤ」と型どおりに読めたからといって、それで十分な翻訳になっているだろうか。「また」とはいったい何の意味であろう。

1.「これもまずまず」というほどの弱い語気なのか

2.「これだって」というぐらいのやや強い語気なのか

3.「これはなんと楽しいではないか」というごく強い調子なのか。

わからない。まったくわからない(今では私は2.か3.のどちらか、むしろ強調に傾いた言い方であろう、と考えている)つまり訓読しただけでは、オヨソの見当がつくだけで、本当の翻訳にはならないのである。

挿絵(By みてみん)

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藤堂先生とこの物語では意見が違います。訓読=読み下しただけで翻訳にならないのは、それは訓読がデタラメだからです。訓読だけで翻訳にならないなら、始めからそんな手間は止めるべきです。漢文=古典中国語を完全な古典日本語=古文に直すか、全くやらないかのいずれかです。

もし、古典中国語をいきなり現代日本語に直すことが出来ないなら、訓読は手堅い手法がいくつもありますから、利用しない手はないのです。無論、いきなり現代日本語に直せるならかまいませんが、訓読は出来ないがいきなり訳は出来る人を、ただの一人も見たことも聞いたこともありません。

さて先に進みましょう。

挿絵(By みてみん)

これは現在確認されている、最古の「説」の字の一つです。この文字も論語の時代にはありませんでした。しかし「説」の字は、「言」と「兌」の組み合わせですね? このようなへんとつくりのような部品の組み合わせで、中国人は多くのものごとに当てはまる漢字をこしらえてきたのです。

漢字に部品があると言うことは、部品の方が組み上がりより古いと言えます。また組み合わせで新しい漢字が出来たことは、古くは漢字の数が少なく、同時に漢字の意味もおおざっぱだったことを意味します。水と毎を組み合わせて海が出来ますが、海は水の一つであっても、水は決して海だけではありません。

同様に「説」も、古くは「兌」と書かれていました。今でも人名に用いる「悦」は、「喜ぶ」ことですが、説と先祖を同じくする兄弟の漢字であり、ことばです。だから説は悦と同様に、「喜ぶ」を意味しうるのです。

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これは「乎」の金文です。「コ」と読み、「…か」「…だなあ」、つまり疑問や感動を意味します。漢字の由来については諸説あり、一つに決めることが出来ません。日本の漢字学の二大大家だった、既に登場した藤堂博士と、故・白川博士の意見を並べてみます。

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藤堂博士:

下部の伸びようとしたものが一線につかえた形と、上部の発散する形とからなるもので、胸からあがってきた息がのどにつかえて、はあと発散することをあらわす。感嘆・呼びかけ・疑問・反問など、文脈に応じて、はあという息でさまざまのムードをあらわすだけで、本来は一つである。呼(はあとのどをかすらせて呼ぶ)の原字。

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白川博士:

板上に遊舌をつけた鳴子板の形。これを振って鳴らす。もと神事に用いられたものであろう。呼の初文。〔説文〕五上に「語の餘なり」というのは、けいと同義の字とみるもので、兮もまた鳴子板の形である。〔説文〕に「聲の上りて越揚するの形に象る」とするが、卜文・金文の字は、板上に小板の列する形に作る。卜文・金文に呼招・使役の意に用いる。これを感動詞に用いるのは、もと神霊をよび、祈るときの発声であったからであろう。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

どちらの意見が正しいかを追及することに、ほとんど意味はありません。それは漢字学の専門家がやればよいことで、論語や漢文を読もうとする立場からは、どうでもいい事として切り捨ててもかまわないのです。そしておそらくこの論争には、物的証拠が出土しない限り、決着はつかないでしょう。

さてつらつら漢字を眺めて、論語の冒頭の第一句まで字書を引き終えました。ここで改めて、本文を解釈してみましょう。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

先生が言った。「机に座って勉強を始めて時が過ぎ、その学んだことを体を使って実践してみる。やってみたら出来たという経験は、とても面白いことではないか。」

挿絵(By みてみん)

――従来、「勉強したら復習する。なんと楽しいことだろう」と訳され、「復習なんて面白いわけがないだろう」と考えるごく当たり前の人々を、あえて論語を読まないよう叩き帰してきた罪な言葉ですが、実は全然意味が違っていました。

孔子は塾を開いて弟子を教えていたのですが、その科目のうち、お勉強だけで済むのは国語と算数だけでした。あとはお作法、音楽、弓術、馬車の操縦を教えたのですが、いずれも実技が必要で、しかも弓術と馬車術は、事前に知識を蓄えないと、いきなりの実技では大けがをします。

挿絵(By みてみん)

また国語と算数も、座学だけで済んだか疑問です。読み書きには、まず木札の削り方、筆の材料である竹軸と動物の毛の収集、そして墨作りが必要でした。当時札屋や筆屋がそれだけで食べていけるほど、商業は盛んではありません。何せお金すら、あったかどうかという時代です。

紙すらありません。ですから算数も筆算に紙が使えませんから、原始的な算盤そろばん、たぶんおはじきのようなものを並べて勘定したり、麻雀の点数棒のような算木を使って答えを出していました。もちろん算木屋やおはじき屋はありません。算数や国語ですら、論語の時代には実技が不可欠だったのです。

孔子はそうした手仕事に、実に達者でした。「ずっとプータローだったからね。いろんな仕事をやって食いつないだもんさ」(論語子罕篇7)。弟子の牢に、孔子はそう話しています。帝国の儒者官僚や現在の儒教は、手仕事をものすごくいやしみますが、ここからも生身の孔子とは無縁の宗教です。

挿絵(By みてみん)

話を孔子塾の科目に戻せば、お作法と音楽も、動作のいちいちの意味や、楽譜の読み方を習わなければ、いきなりやってもうまくは行きません。そのつまらない座学に耐えて、例えばやっと実技で笛を吹いたとき、かろやかに吹けたときの「出来た!」という喜び、それを孔子は強調したのです。

孔子は塾の経営者です。経営者はまずお客が逃げないよう気を配らねばなりません。「復習は楽しいだろう、わははははは」という押しつけが、客を逃がすと孔子はよく知っていました。もし今回の言葉が孔子の肉声なら、そんな客逃がしの意味で言ったはずが無いのです。

だから論語も孔子も儒教も、帝国のイデオロギーになったときにねじ曲げられたのです。我々日本人は長い間、そうしたグロテスクに変形した論語を読まされてきました。それは決して孔子の言葉ではありませんし、現代科学の批判に耐える論理的実証性も持っていません。

この物語ではそのような、論語にべったり貼り付けられたウソいつわりを、一枚ずつ剝がしていきます。それが皆さんの興味を引くなら、またお会いすることになるでしょう。

それではまた。カーラでした。

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