みなさんこんにちは。この物語の案内役を務める、AIクワントのカーラ・サキヤです。
今からおよそ2,500年前、春秋時代後期の中国。
レアメタルに近い青銅と比べ、莫大な産出量のある鉄の道具を手に入れた中国人は
それまでより豊かな収穫を得られるようになりました。
しかしそれは同時に、争いの余裕を生んだことにもなり
力を蓄えた者は身分制度に従わない
戦乱の世の中になりました。
そこに現れたのが、シングルマザーの巫女の子に生まれ、私塾の経営者から大出世して生国・魯の宰相になった孔子です。現在流布しているイメージとは異なり、激動の世にふさわしい、革命児でもあったのです。当然、既得権益からの反発により失脚しました。
孔子はそれまでに得た初期の弟子と共に諸国を放浪し、自分の政治構想を実現できる場を探しました。
しかし革命思想を持つ危険人物・孔子を受け入れた国は、ついにありませんでした。
そして孔子の死後、その学派=儒家は、一旦滅びてしまいました。
ただし100年ほどのち、ワケあって奇跡の復活を遂げます。
しかしその教えも、孔子の言葉を集めた本『論語』も、元の姿とは似ても似付かないものへと化けてしまいました。抗争を続ける戦国諸国の権力者が、人々を洗脳するための道具として悪用したからです。
それは漢帝国による平和の時代が来ると、かえってひどくなりました。帝国の支配イデオロギーとして利用されたからです。儒学の学徒=儒者も、権力の犬である儒者官僚に、すっかりなりきってしまいました。
それは日本も無縁ではありませんでした。周辺で唯一の文明だった中国に、見習うほか国を立て続ける方法が無かったからです。そしていわゆる日本の伝統的価値観の基礎に、儒教がべったりと居座ってしまいました。
そして儒教も宗教であり、信仰とは狂信に他なりません。それゆえに、論語に詳しければ詳しい人ほど頭がおかしくなって、無慮2,500年の間、論語はデタラメ放題に読まれて来ました。
その論語に科学の光が当てられ始め、それが世間一般に公開されるようになったのは、実はごく最近のことです。
この物語は、そんな論語にべったり貼り付けられたデタラメと、伝統や儒教の真の姿を覆い隠しているでっち上げを一枚ずつはがして、みなさんのお目に掛けようとする試みです。どうぞごひいきに…。