論語子張篇:要約

アルファー:こんにちは! ナビゲータAIのアルファーです。
孔子:解説の孔子じゃ。

アルファー:先生、この子張篇には、先生の言葉はありませんねえ。
孔子:そうじゃな。子張篇の発言者は、章の分け方にもよるが、ざっと次の通りじゃ。
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 張 | 張 | 張 | 夏 | 夏 | 夏 | 夏 | 夏 | 夏 | 夏 | 夏 | 夏 | 夏 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | |
| 游 | 游 | 曽 | 曽 | 曽 | 曽 | 貢 | 貢 | 貢 | 貢 | 貢 | 貢 |

アルファー:え~っと全部で25章のうち、子張さんが3つで12%、子夏さんがダントツに多くて10で40%、子游さんがたったの2つで8%、曽子さんが4つで16%、子貢さんが6つで24%ですか。

アルファー:いわゆる孔門十哲じゃないのに、12%の子張さんと16%の曽子さんが健闘?してますね。

孔子:より正確に言えば、第3章は子夏と子張の、第12章は子游と子夏の、第25章は、子貢と弟弟子の問答形式になっておるから、勘定の仕方は別にもあるがの。大体そんなところじゃ。それにの、孔門十哲というのはワシから一世紀後の孟子くんが言い出したことで、十哲じゃないから有力弟子ではない、とは言えぬのじゃ。

アルファー:でも曽子さんは、先生のお弟子じゃないんでしょう?

孔子:そうじゃよ。あやつは我が家の使用人でな。だから偉くない、ということはないが、ワシの孫の子思が儒家の宗家になったとき、頼れる年配者が曽子しかいなかったのじゃな。ワシの直弟子でもデキる者は、さっさと外国で仕官してしもうたし、子思が赤ちゃんの頃に、曽子におむつを替えて貰った親しみもあったんじゃろう。

孔子:じゃがこの偶然から、時代が下ってこの学派に孟子くんが出たから、それでいつの間にか曽子が、トップクラスに偉い弟子になってしもうた。ほれ、『孝経』を受け継がせた、という題の下の絵の左よりで、弟子のくせに一人だけ偉そうな服を着ておるのが曽子じゃ。


アルファー:でも、『論語』に次ぐほど大切にされた『孝経』って、曽子さんが書いたことになってますよね?
孔子:どうやらそうなっとるようじゃな。じゃが『孝経』は明らかに後世のでっち上げで、書いた者が自分の名では売れぬから、すでに有名になっていた曽子が書いたと宣伝したのじゃな。

孔子:ほれ、ブッダ殿にも、お聞きになったら腰を抜かすような、偽作なのにいわゆる「お経」としてまかり通っておるのが、山ほどあるじゃろ? 世の中そんなもんじゃ。

アルファー:うはー、それはごもっとも。ではこの子張篇とは、一体どんな篇なんですか?
孔子:成立は前漢帝国になってからじゃろうなあ。というのも、曽子が秦帝国にゴマをするようなことを、第18章で言わされておる。「父の法も家臣も変えるな」とな。春秋戦国の諸侯国にはあり得ぬ事で、こういう思考停止が通用するのは、統一帝国ができてからじゃ。

アルファー:じゃ、秦帝国時代の成立の可能性は?
孔子:それは無いのう。秦帝国の時代に無い漢字を含んだ章があるからじゃ。この子張篇は、前漢宣帝時代の定州竹簡論語にはあるから、前漢の前半頃に出来た、というのが落ち着きどころじゃ。つまり儒家が、漢帝国の国教に成り上がろうとする過程で、論語を膨らます必要に迫られ、有力弟子の言葉として伝わっていた話を、ドンドン取り込んで篇を一つ作りました、ということじゃな。

アルファー:分かりました。では始めましょう…って、あれっ、子張篇には先生の言葉はありませんよね。
孔子:無いぞよ。じゃが「ワシがそう言った」という言い方をしておるものがある。それでも、取りあげようかのう。

1

子夏の門人が、友情を子張に質問した。
子張「子夏は何と言ってる?」
子路「いいと思った人と付き合い、思わない人とは付き合わなくていい、と言いました。」

子張「私が孔子先生から聞いたのとは違うな。”貴族は賢者を敬い、誰でも受け入れ、出来た者は褒めてやり、能なしも哀れんでやる”とな。こっちがすごい賢者なら、受け入れられないわけがないし、バカ者なら追っ払らわれるに決まっている。こちらがえり好みできるものか。」

アルファー:う~ん、えり好みしたいという子夏さんの主張は分からないでもありませんが。
孔子:まあ、そうはいかぬじゃろうな。子夏はとにかく真面目なのがいい所じゃが、付き合って面白い男ではない。じゃが世の中には、そういう珍人物もいる、と受け入れるのが大人物じゃろうし、付き合わなくともいじめはしないのが、まともな大人というものじゃ。
2

曽子「孔子先生から聞いた。”人はなかなか心のありたけを出し尽くすことは出来ないが、もしあるとすれば、親を亡くして喪に服する時だろうな。”」

アルファー:先生、本当にこんなこと仰ったんですか?
孔子:言うわけないじゃろ。これは冠婚葬祭業で食っていた後漢の儒者が、ワシの説教としてでっち上げたんじゃ。言うとることは要するに、”もっと儒者にお布施を出せ”じゃ。図々しい連中よのう。
3

曽子「私はこれを先生から聞いた。”魯の家老孟荘子の孝行ぶりは、誰にも真似の出来ることだったが、ただ二点だけ、父の家臣と政策を変えなかったこと、これは真似が難しい。”」

アルファー:あー、これがさっき先生が仰ってた、秦帝国へのゴマスリですね。
孔子:そうじゃよ。春秋戦国の世は、殿様方も大貴族も、食うか食われるかの戦いをしておったから、父の政策を変えないではいられなかった。対して家臣を雇い続けるのは簡単じゃが、それがそんなに親孝行なことか?
アルファー:う~ん、そうですよねぇ。だから古来から、難解な章と言われたんですね。
孔子:そうじゃよ。中国のインテリは、言いたい事をズバリと書くと、時の権力者に睨まれて、自分や家族の身が危ないから、もの凄く遠回りな書き方をする。そのひねくれを解きほぐして読まぬと、論語や漢文に何が書いているかは、さっぱり分からないことが多いものじゃよ。

アルファー:論語子張篇は以上です。みなさん、おつかれさまでした。


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