論語における「仁」

一般に論語中最高の人徳と言われる。誰もが持つ思いやりが基本だが、凡人は常に誰にでもその心を保つことは難しい。従って知者でないと体得は困難だが、生まれつき身につけている人はあり得て、それが人として最高。求めて一たび身につけると、それだけで人生を満足すようになり、無欲となって寿命が延び、為政者としては善政を行う、らしい。

仁とは何か

孔子があこがれるように想像し、創造した、理想の人間像。現代の造形師が、理想の異性の姿を求めて、日夜その容姿のスペックを追求して作り上げる、等身大フィギュアに似ている。
論語 仁 フィギュア 単体

仁の定義は、孔子が端的に説明している。

顔淵が仁を問うた。先生が言った。「自分に勝って礼法に従うのを仁という。」
論語顔淵篇1

孔子は等身大フィギュア造形師である

孔子は巫女を職業とする母の子として生まれた。世界の古代文明圏で、巫女がしばしば娼婦を兼ねたことは、古代中国文明にも相当するだろう。論語時代以前の巫女は、民間の冠婚葬祭業とイタコと占い師を兼ねたような職業であり、おそらく客を求めて巡業した。

その間に客を取った。孔子の父は恐らくそうした客であり、母すらも孔子の父親が誰か知らなかった。『史記』に「野合」というのはそれである。孔子は私生児という恵まれない生まれだったが、母が巫女だったので、当時の庶民としては希有な、読み書きの技能を持った。

従って孔子はつてを頼り、閲覧できる書物を片端から読んだ(論語述而篇19)。後に孔子を後援し、推挙する門閥貴族の孟孫氏は、少年孔子が蔵書の閲覧を頼み込んだ家だったかも知れない。その読書熱心を、当主の孟釐子モウリシ孟僖子モウキシ)が見込んだのだろう(『史記』孔子世家)。

当時の書物と言えば古記録が主であり、孔子はそこに、かつて太平の世があったことを知った。論語時代は戦乱の時代で、社会の底辺にいた孔子は当然苦しみ、太平の世にあこがれただろう。そしてその世を治め、太平の世を実現した聖王に、理想的人間像=仁者を見た。

孔子は現代の造形師が、理想の異性を求めて、日夜その姿を想像し、フィギュアに造形していくように、仁者にふさわしいスペックを想像した。それは想像上のあこがれだけに、嫌が応にも高まって、より詳細に、より煩瑣になっていった。それが論語に言う、「礼」である

論語に言う礼を、同好の士ではない他人は、ただのやらせ・大げさと見た(論語八佾篇18)。しかし孔子は意に介さず、初期の弟子に仁者の姿を熱く語った。弟子たちは戦乱を収めたいとは願ったが、孔子のフィギュア趣味には付き合いきれない弟子もいた(論語雍也篇12)。

顔回は等身大「仁」フィギュアである

ところが弟子の中で顔回は、孔子の熱いオタク話をはいはいと聞き取った(論語為政篇9)。そして孔子の語るスペックに、一切注文を付けなかった。趣味人が同好の士に求めるのは、自分の想像に賛同してくれる事のみではない。孔子は不満を口にした(論語先進篇3)。

造形師の集まりで言えば、髪色の微妙な色分けに議論が起こるのが普通で、その差を個性と捉えて自作フィギュアの参考にするのだが、顔回は孔子と、完全に趣味が一致していたのだ。そしてたった三ヶ月で孔子のスペックを覚え込み、等身大の「仁」フィギュアになりおおせた。

論語雍也篇7で孔子が述べた驚きは、それを示している。なにせ存命中の人物では、唯一仁者を体現して見せた。現代の造形師の元に、ある日想像通りの等身大フィギュアが現れ、しかもしゃべったり飲み食いし、加えて一切逆らわない。造形師は絶対に手放さないだろう。

本来仁者とは、善政により乱世を収め、太平の世を実現すべき人物だった。しかし孔子は顔回を手放さず、顔回もまた孔子の下を離れなかった。一生仕官せずに貧窮のまま若死にしてしまったが(論語雍也篇3)、論語で顔回をくどいほど讃え、そして死を嘆いたのは当然である。

語義・語源

『大漢和辞典』

いつくしむ、親しむ。いつくしみ、したしみ。めぐみそだてる。あはれむ。しのぶ。なさけ、おもひやり。うるほひ。徳教、教化。人、又、人の心。心の本体、性、理、覚。愛の理、心の徳。己を修めること。諸徳の総称。有徳の人。存する。五行で東・春・乾・木に配当する。果実のさね。人に通ず。民に通ず。古は忎・𡰥に作る。姓。

学研漢和大字典

「人+二」の会意兼形声文字で、二人が対等に相親しむことを示す。人(ジン・ニン)・と二(ジ・ニ)と、どちらを声符として考えてもよい。人と同系のことばで、相手を人として扱うこと。また、柔らかいこと。
意味:ひと、人間。自分と同じ仲間として、すべての人に接する心。仁の心をそなえた人。柔らかい果物のたね。「不仁」とは、手足の動かない病気のこと。

字通

人+二。〔説文〕八上に「親しむなり」とし、「人に従ひ、二に従ふ」と二人相親しむ意とする。金文や、〔説文〕に古文として録する字形は、人が衽(しきもの)を敷いている形で、二人相偶するという形ではない。〔儀礼、士昏礼〕「衽を奥に御(すす)む」の中に「臥席なり」とあり、衽席を用いて安舒であることから、和親・慈愛の意が生まれたのであろう。一般に徳目に関する字は、正は征服、義は犠牲、(道)は道路の修祓、德(徳)は遹省(いつせい)巡察を原義とするので、具体的な行動や事実をいうものであった。のち次第に抽象化して、高度の観念に達する。仁もまた衽席によって和むことから、和親・仁愛の意に展開したものであろう。
訓義:したしむ、なごむ。いつくしむ、めぐむ。あわれむ、おもいやり、なさけぶかい。うるおう、うるおいがある。人としての徳、最高の徳。果実のさね。

「仁」の甲骨文・古文・篆書・隷書

加地伸行『孔子画伝』解説

当時の儒(原儒)は、要するに祈祷師、いわゆる「拝み屋」である。この「拝み屋」の全部が全部、超能力を持っていたわけではない。ほとんどの者は、商売で拝み屋をしていただけである。

商売となれば、客が重要である。それも何度も来てくれるのがありがたい。となると、客に気に入られるようにするのが、商売の骨(こつ)というものである。当然、拝み屋は客の要求に気に入るようにする。お追従である。客が吉か凶かとたずねているとき、商売なら誰が凶と答えるであろうか。吉と言うに決まっている。依頼されて招魂儀礼をし、亡き人の魂を呼び出し、それが自分に乗り移ったとして、あらぬことを口走るとき、依頼者の気に入らぬようなことを言うであろうか。良いように言うに決まっている。

孔子が登場してきたころの儒とは、たいていそういう商売としての祈祷師集団であった。

儒教はけっして、全てが孔子の独創ではない。原儒の中にあったいろいろなものに対して手を加え、概念を変えていったのである。たとえば「仁」という概念がそうである。

「仁」といえば、今日では、愛という積極的な概念である。しかし原儒のころはそうではなかったらしい。原儒は祈祷師であるから、祈祷に来る人々に媚びへつらっていた。たとえば、愛想よく相手に接するあり方を「仁」と言っていたらしい。それは男性原儒の場合で、女性原儒は、「仁」に「女」を加えて「佞」(ネイ)といったらしい。「佞」は口が上手という意味でもある。

これに対して孔子は、そういう媚びへつらうという消極的な愛情ではだめであって、商売とはかかわりなく、もっと積極的に人間への愛を持つべきだとして、「仁」の概念を変え発展させたといわれている。

論語での語義

  1. 実在が怪しくボンクラの有若にはよく理解できなかったもの。(学而篇)
  2. 人当たりのよい者には少ないもの。(学而篇)
  3. 弟子一門が親しむべきもの。(学而篇)
  4. 持たなければ礼楽を学んでも無意味なもの。(八佾篇)
  5. 無い土地に住むと頭が悪くなるもの。(里仁篇)
  6. 仁者は逆境順境に強い。
    それだけで満足できるもの。
    知者が有益だと思うもの。(里仁篇)
  7. 好き嫌いの基準にしていいもの。(里仁篇)
  8. 体得するまで好き嫌いを言ってはいけないもの。(里仁篇)
  9. 君子が片時も離さず身につけるべきもの。(里仁篇)
  10. 身につければ申し分ないもの。
    身につけた者を孔子が見たことがないもの。
    不仁を憎むこと。
    不仁者が寄ってこないもの。
    凡人でも一日なら体得できるもの。(里仁篇)
  11. 間違いを起こして身内に迷惑をかけると思い知るもの。(里仁篇)
  12. 実務家の冉雍が体得したかはわからないもの。(公冶長篇)
  13. 軍事を司れる子路が体得したかはわからないもの。
    家老の執事が務まる冉求が体得したかはわからないもの。
    外交使節が務まる公西赤が体得したかはわからないもの。(公冶長篇)
  14. 素直な令尹子文が体得したかはわからないもの。
    潔癖な陳文子が体得したかはわからないもの。
    知でないと体得出来ないもの。(公冶長篇)
  15. 出来物の顔回が三ヶ月間で体得したもの。(雍也篇)
  16. 難しい仕事をした後で報酬を受け取ること。(雍也篇)
  17. 仁者は山を楽しむ。
    仁者は静か。
    仁者は寿命が長い。(雍也篇)
  18. 君子を超えている仁者は「人が井戸に落ちた」と言われてものこのこと井戸に入らない。
    君子はだませてもだましきれない。ものが見えなくさせられない。(雍也篇)
  19. 民を食わせて守る聖には及ばないもの。
    自分ではなく人を立たせるもの。
    自分ではなく人に成し遂げさせるもの。
    他人に成果を出させて楽しめるもの。(雍也篇)
  20. 孔子一門が寄り添うべきもの。(述而篇)
  21. 求めてそれが得られれば、飢え死にしても後悔がないもの。(述而篇)
  22. そうなろうと思えばすぐにそうなれるもの。(述而篇)
  23. 孔子がそうあろうと努め、そうなろうと人を教え諭すだけのことは、やっているつもりのもの。
    身なりの整った公西華が学び取れないと思ったもの。(述而篇)
  24. 君子が身内に親しめば、民がそれによって盛んになるもの。(泰伯篇)
  25. うすのろの曽子にとって重い務めとするもの。(泰伯篇)
  26. 不仁者ははなはだしく貧乏を憎むので無茶をしでかす。(泰伯篇)
  27. 孔子が運命と共にめったに言わなかったもの。(子罕篇)
  28. 仁者は憂えない。子罕篇)
  29. 自分に打ち勝って礼法に戻るもの。
    天下が皆一日礼法に従うと実現できるもの。
    人にさせるのでなく自分で体得するもの。(顔淵篇)
  30. 人に会ったら国賓のように接し、民を使う際に大きな祭りを行うような態度で接し、自分は無欲で人に施し、国内でも家内でも怨みがないと実現できるもの。(顔淵篇)
  31. 人に言葉が言いにくそうな態度を取らせるもの。
    そもそも言いにくいもの。(顔淵篇)
  32. 目立ち者が人気取りのためにその振りをするもの。(顔淵篇)
  33. 人を愛すること。
    剛直な者を目付に据えると、不仁者は逃げ出す。(顔淵篇)
  34. うすのろの曽子には、友情で養成することだと思えたもの。(顔淵篇)
  35. 聖王が出ても、世間に広まるには一世代かかるもの。(子路篇)
  36. 立ち居振る舞いをうやうやしくし、仕事をまじめにし、人に対して素直なら、蛮族の地でも通用するもの。(子路篇)
  37. 体が丈夫で一本気で口数が少ないと、近づけるもの。(子路篇)
  38. 人を押しのけたり押し付けたり怨んだりしなくても、それで仁かどうかは分からないもの。(憲問篇)
  39. 仁者には必ず勇気があるが、勇者には必ずしも無いもの。(憲問篇)
  40. 君子にはある可能性があるが、凡人にはあり得ないもの。(憲問篇)
  41. 覇者の桓公が諸侯を呼び寄せた際に、武力で脅さなかったようなもの。(憲問篇)
  42. 名宰相の管仲がそうでないとは言えないもの。(憲問篇)
  43. 仁者は憂えない。(憲問篇)
  44. 志士で仁者は、それを損なわないし、自分を殺して達成するもの。(衛霊公篇)
  45. 子貢に付き合うことを勧める仁者は士族にもいる。(衛霊公篇)
  46. 為政者が知力で民に接しても、それが無いと人望を失うもの。
    為政者がそれで民に接しても、頼りがいがないと敬われないもの。
    為政者がそれで民に接しても、礼法に従わないとよいとは言えないもの。(衛霊公篇)
  47. 民にとっては水や火よりすごいもの。
    民が接しても死なないもの。(衛霊公篇)
  48. それに関しては師匠を振り切っていいもの。(衛霊公篇)
  49. 才能を隠しながら仕えもしないと、陽虎に不仁と言われ同意するしかないもの。(陽貨篇)
  50. 恭、寬、信、敏、惠が天下に広まると実現できるもの。(陽貨篇)
  51. それを好んでも学ばないと、ボンクラになるもの。(陽貨篇)
  52. 人当たりのよい者にはすくないもの。(陽貨篇)
  53. 三年の喪が一年でいいと言った宰我は不仁。(陽貨篇)
  54. 暴政を前に権力を降りたり、奴隷に身をやつしたり、諌めて死ぬとそうだと言われるもの。(微子篇)
  55. カタブツの子夏にとっては、勉強してよく考える内に身に付くもの。(子張篇)
  56. やり手の子游から見て、子張が身につけていないもの。(子張篇)
  57. うすのろの曽子から見て、子張と共には実現できないもの。(子張篇)
  58. 聖王の周武王から見て、身内に多い賢者でも及ばないもの。(堯曰篇)
  59. それを得たら、もう何も要らないもの。(堯曰篇)

論語での用例

  1. 有子曰:「其為人也孝弟,而好犯上者,鮮矣;不好犯上,而好作亂者,未之有也。君子務本,本立而道生。孝弟也者,其為之本與!」(学而篇)
  2. 子曰:「巧言令色,鮮矣!」(学而篇)
  3. 子曰:「弟子入則孝,出則弟,謹而信,汎愛眾,而親。行有餘力,則以學文。」(学而篇)
  4. 子曰:「人而不,如禮何?人而不,如樂何?」(八佾篇)
  5. 子曰:「里為美。擇不處,焉得知?」(里篇)
  6. 子曰:「不者不可以久處約,不可以長處樂。者安,知者利。」(里篇)
  7. 子曰:「唯者能好人,能惡人。」(里篇)
  8. 子曰:「苟志於矣,無惡也。」(里篇)
  9. 子曰:「富與貴是人之所欲也,不以其道得之,不處也;貧與賤是人之所惡也,不以其道得之,不去也。君子去,惡乎成名?君子無終食之間違,造次必於是,顛沛必於是。」(里篇)
  10. 子曰:「我未見好者,惡不者。好者,無以尚之;惡不者,其為矣,不使不者加乎其身。有能一日用其力於矣乎?我未見力不足者。蓋有之矣,我未之見也。」(里篇)
  11. 子曰:「人之過也,各於其黨。觀過,斯知矣。」(里篇)
  12. 或曰:「雍也,而不佞。」子曰:「焉用佞?禦人以口給,屢憎於人。不知其,焉用佞?」(公冶長篇)
  13. 孟武伯問:「子路乎?」子曰:「不知也。」又問。子曰:「由也,千乘之國,可使治其賦也,不知其也。」「求也何如?」子曰:「求也,千室之邑,百乘之家,可使為之宰也,不知其也。」「赤也何如?」子曰:「赤也,束帶立於朝,可使與賓客言也,不知其也。」(公冶長篇)
  14. 子張問曰:「令尹子文三仕為令尹,無喜色;三已之,無慍色。舊令尹之政,必以告新令尹。何如?」子曰:「忠矣。」曰:「矣乎?」曰:「未知,焉得?」「崔子弒齊君,陳文子有馬十乘,棄而違之。至於他邦,則曰:『猶吾大夫崔子也。』違之。之一邦,則又曰:『猶吾大夫崔子也。』違之。何如?」子曰:「清矣。」曰:「矣乎?」曰:「未知。焉得?」(公冶長篇)
  15. 子曰:「回也,其心三月不違,其餘則日月至焉而已矣。」(雍也篇)
  16. 樊遲問知。子曰:「務民之義,敬鬼神而遠之,可謂知矣。」問。曰:「者先難而後獲,可謂矣。」(雍也篇)
  17. 子曰:「知者樂水,者樂山;知者動,者靜;知者樂,者壽。」(雍也篇)
  18.  
  19. 宰我問曰:「者,雖告之曰:『井有焉。』其從之也?」子曰:「何為其然也?君子可逝也,不可陷也;可欺也,不可罔也。」(雍也篇)
  20. 子貢曰:「如有博施於民而能濟眾,何如?可謂乎?」子曰:「何事於,必也聖乎!堯舜其猶病諸!夫者,己欲立而立人,己欲達而達人。能近取譬,可謂之方也已。」(雍也篇)
  21. 子曰:「志於道,據於德,依於,游於藝。」(述而篇)
  22. 冉有曰:「夫子為衛君乎?」子貢曰:「諾。吾將問之。」入,曰:「伯夷、叔齊何人也?」曰:「古之賢人也。」曰:「怨乎?」曰:「求而得,又何怨。」出,曰:「夫子不為也。」(述而篇)
  23. 子曰:「遠乎哉?我欲,斯至矣。」(述而篇)
  24. 子曰:「若聖與,則吾豈敢?抑為之不厭,誨人不倦,則可謂云爾已矣。」公西華曰:「正唯弟子不能學也。」(述而篇)
  25. 子曰:「恭而無禮則勞,慎而無禮則葸,勇而無禮則亂,直而無禮則絞。君子篤於親,則民興於;故舊不遺,則民不偷。」(泰伯篇)
  26. 曾子曰:「士不可以不弘毅,任重而道遠。以為己任,不亦重乎?死而後已,不亦遠乎?」(泰伯篇)
  27. 子曰:「好勇疾貧,亂也。人而不,疾之已甚,亂也。」(泰伯篇)
  28. 子罕言利,與命,與。(子罕篇)
  29. 子曰:「知者不惑,者不憂,勇者不懼。」(子罕篇)
  30. 顏淵問。子曰:「克己復禮為。一日克己復禮,天下歸焉。為由己,而由人乎哉?」顏淵曰:「請問其目。」子曰:「非禮勿視,非禮勿聽,非禮勿言,非禮勿動。」顏淵曰:「回雖不敏,請事斯語矣。」(顔淵篇)
  31. 仲弓問。子曰:「出門如見大賓,使民如承大祭。己所不欲,勿施於人。在邦無怨,在家無怨。」仲弓曰:「雍雖不敏,請事斯語矣。」(顔淵篇)
  32. 司馬牛問。子曰:「者其言也訒。」曰:「其言也訒,斯謂之已乎?」子曰:「為之難,言之得無訒乎?」(顔淵篇)
  33. 子張問:「士何如斯可謂之達矣?」子曰:「何哉,爾所謂達者?」子張對曰:「在邦必聞,在家必聞。」子曰:「是聞也,非達也。夫達也者,質直而好義,察言而觀色,慮以下人。在邦必達,在家必達。夫聞也者,色取而行違,居之不疑。在邦必聞,在家必聞。」(顔淵篇)
  34. 樊遲問。子曰:「愛人。」問知。子曰:「知人。」樊遲未達。子曰:「舉直錯諸枉,能使枉者直。」樊遲退,見子夏。曰:「鄉也吾見於夫子而問知,子曰,『舉直錯諸枉,能使枉者直』,何謂也?」子夏曰:「富哉言乎!舜有天下,選於眾,舉皋陶,不者遠矣。湯有天下,選於眾,舉伊尹,不者遠矣。」(顔淵篇)
  35. 曾子曰:「君子以文會友,以友輔。」(顔淵篇)
  36. 子曰:「如有王者,必世而後。」(子路篇)
  37. 樊遲問。子曰:「居處恭,執事敬,與人忠。雖之夷狄,不可棄也。」(子路篇)
  38. 子曰:「剛毅、木訥,近。」(子路篇)
  39. 憲問恥。子曰:「邦有道,穀;邦無道,穀,恥也。」「克、伐、怨、欲不行焉,可以為矣?」子曰:「可以為難矣,則吾不知也。」(憲問篇)
  40. 子曰:「有德者,必有言。有言者,不必有德。者,必有勇。勇者,不必有。」(憲問篇)
  41. 子曰:「君子而不者有矣夫,未有小人而者也。」(憲問篇)
  42. 子路曰:「桓公殺公子糾,召忽死之,管仲不死。」曰:「未乎?」子曰:「桓公九合諸侯,不以兵車,管仲之力也。如其!如其!」(憲問篇)
  43. 子貢曰:「管仲非者與?桓公殺公子糾,不能死,又相之。」子曰:「管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到于今受其賜。微管仲,吾其被髮左衽矣。豈若匹夫匹婦之為諒也,自經於溝瀆,而莫之知也。」(憲問篇)
  44. 子曰:「君子道者三,我無能焉:者不憂,知者不惑,勇者不懼。」子貢曰:「夫子自道也。」(憲問篇)
  45. 子曰:「志士人,無求生以害,有殺身以成。」(衛霊公篇)
  46. 子貢問為。子曰:「工欲善其事,必先利其器。居是邦也,事其大夫之賢者,友其士之者。」(衛霊公篇)
  47. 子曰:「知及之,不能守之;雖得之,必失之。知及之,能守之。不莊以涖之,則民不敬。知及之,能守之,莊以涖之。動之不以禮,未善也。」(衛霊公篇)
  48. 子曰:「民之於也,甚於水火。水火,吾見蹈而死者矣,未見蹈而死者也。」(衛霊公篇)
  49. 子曰:「當不讓於師。」(衛霊公篇)
  50. 陽貨欲見孔子,孔子不見,歸孔子豚。孔子時其亡也,而往拜之,遇諸塗。謂孔子曰:「來!予與爾言。」曰:「懷其寶而迷其邦,可謂乎?」曰:「不可。」「好從事而亟失時,可謂知乎?」曰:「不可。」「日月逝矣,歲不我與。」孔子曰:「諾。吾將仕矣。」(陽貨篇)
  51. 子張問於孔子。孔子曰:「能行五者於天下,為矣。」請問之。曰:「恭、寬、信、敏、惠。恭則不侮,寬則得眾,信則人任焉,敏則有功,惠則足以使人。」(陽貨篇)
  52. 子曰:「由也,女聞六言六蔽矣乎?」對曰:「未也。」「居!吾語女。好不好學,其蔽也愚;好知不好學,其蔽也蕩;好信不好學,其蔽也賊;好直不好學,其蔽也絞;好勇不好學,其蔽也亂;好剛不好學,其蔽也狂。」(陽貨篇)
  53. 子曰:「巧言令色,鮮矣。」(陽貨篇)
  54. 宰我問:「三年之喪,期已久矣。君子三年不為禮,禮必壞;三年不為樂,樂必崩。舊穀既沒,新穀既升,鑽燧改火,期可已矣。」子曰:「食夫稻,衣夫錦,於女安乎?」曰:「安。」「女安則為之!夫君子之居喪,食旨不甘,聞樂不樂,居處不安,故不為也。今女安,則為之!」宰我出。子曰:「予之不也!子生三年,然後免於父母之懷。夫三年之喪,天下之通喪也。予也,有三年之愛於其父母乎?」(陽貨篇)
  55. 微子去之,箕子為之奴,比干諫而死。孔子曰:「殷有三焉。」(微子篇)
  56. 子夏曰:「博學而篤志,切問而近思,在其中矣。」(子張篇)
  57. 子游曰:「吾友張也,為難能也。然而未。」(子張篇)
  58. 曾子曰:「堂堂乎張也,難與並為矣。」(子張篇)
  59. 堯曰:「咨!爾舜!天之曆數在爾躬。允執其中。四海困窮,天祿永終。」舜亦以命禹。曰:「予小子履,敢用玄牡,敢昭告于皇皇后帝:有罪不敢赦。帝臣不蔽,簡在帝心。朕躬有罪,無以萬方;萬方有罪,罪在朕躬。」周有大賚,善人是富。「雖有周親,不如人。百姓有過,在予一人。」謹權量,審法度,修廢官,四方之政行焉。興滅國,繼絕世,舉逸民,天下之民歸心焉。所重:民、食、喪、祭。寬則得眾,信則民任焉,敏則有功,公則說。(堯曰篇)
  60. 子張問於孔子曰:「何如斯可以從政矣?」子曰:「尊五美,屏四惡,斯可以從政矣。」子張曰:「何謂五美?」子曰:「君子惠而不費,勞而不怨,欲而不貪,泰而不驕,威而不猛。」子張曰:「何謂惠而不費?」子曰:「因民之所利而利之,斯不亦惠而不費乎?擇可勞而勞之,又誰怨?欲而得,又焉貪?君子無眾寡,無小大,無敢慢,斯不亦泰而不驕乎?君子正其衣冠,尊其瞻視,儼然人望而畏之,斯不亦威而不猛乎?」子張曰:「何謂四惡?」子曰:「不教而殺謂之虐;不戒視成謂之暴;慢令致期謂之賊;猶之與人也,出納之吝,謂之有司。」(堯曰篇)

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