論語における「知」

知の由来

孔子はおそらく中国史上初めて、「知」と言い出した人物である。現行の「知」の字体は始皇帝による中国統一期になるまで現れない。同音の「智」は甲骨文からあるが、”知る”の意味だったかは極めて心細い。「智」の初形は「𣉻」の字の、さらに下半分を欠いた形で現れた。

智 国学大師

上掲図の左上甲骨文がそれで、文字の構成は示+𠙵サイ+矢。示は神に捧げる供物を載せる机または三方を象形し(語釈)、矢はもちろん弓矢の矢である。𠙵は白川説によると、祈祷文や神に誓った証文を入れる容器だと言うが、一般的な説ではくちを意味する(語釈)。

同じ甲骨文でも合集41741の字形は、辛+𠙵+矢、さらに下に冊が加わる。辛は先の尖った錐状の刃物の類で、冊は木や竹の簡を綴り合わせた巻物、つまり文書。上下の字形共に矢があるが、太古は矢を用いて誓いを交わしたことが、矢に”ちかう”の語釈があることからわかる。
矢 大漢和辞典

辛は筆が出現する以前に用いられた筆記具でもあり、冊に記すことを意味するのだろう(語釈)。何を記すのか? 口でちかったことに違いない。上の字形も同じで、口で矢った言葉を、示=神前に供え物をして神を保証人に立てたことだ。つまり甲骨文時代の「智」は”誓う”。

金文にもこの字形は用いられたが、やがて下にまたはことばが加わるようになる。の古形は○に・を加えた形で記されるから、おそらくはことばだろう(語釈)。金文の上部は配置の入れ替わりはあるが、辛+𠙵+矢であるには違いない。記した誓いの言葉を読み上げる、の意だろうか。

白川説では曰を、”𠙵に祈祷文を入れた状態”と言うが、そういう説もあるか程度に思っておけばよろしい。いずれにせよ金文時代=孔子の生きた春秋時代、いまだ「知」は現れず、「智」は誓うことでしかなかった。”知覚する”の語義は極めて新鮮で、だから孔子は説教した。

論語 孔子 子路
子路よ。お前に知るとは何かを教えてやろう。知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとするのが、知ると言うことだぞ。(論語為政篇17)

現伝論語ではあっさり「知」を用いるが、現存する最古の論語の版本である定州竹簡論語では、ほぼ「智」の異体字、「𣉻」と書いている。「智」=”誓う”に”知る・知覚する”の語義を持ち込んだのは、残された資料内で言うのなら、孔子に他ならない。

つまり孔子は「知」の発明者だった。

知と論語

無論、当時の社会一般で”知る”の意味にも使われていたことは想像に難くない。だから孔子の弟子も盛んに「知る」と言い出した。論語ではその多くが、”自分が知られる”、つまり人に評価されること、の意で記されている。弟子が目指したのは仕官であるからにはもっともだ。

だが仕官するためには孔子塾での修業が要り、それは貴族にふさわしい技能と教養の習得だった。つまり貴族に成り上がるためには、多くの「知」を必要とした。言い換えると孔子は、貴族はに多くの「知」があるからこそ貴族である、と考えた。知は貴族の条件だった。

漢代の帝国儒者は、論語での「知」の定義を、”儒教の定めた礼儀作法を守ること”だと言い出したが、もちろん下の例のようにでっち上げである。自分らの言う通りにしない奴は、誰だろうと下人同然だ、だから我らに従い、優遇しろ、と図々しいことを言ったのである。

ニセ孔子
臧文仲は占い用の大亀を持ち、屋敷を宮殿なみにした。礼法破りだ、知者とは言えないね。(論語公冶長篇17)

「知」について孔子の発言だと疑えない章では、単に「知る」以上のことを言っていない。例外として初学者の樊遅に、”貴族らしい振る舞いをすることだ”(論語雍也篇22)、と教えているが、はからずもこのことが、貴族の条件として孔子が「知」を捉えていたことの証拠になる。

孔子は貴族らしさ、理想の貴族の姿を「仁」と呼んだ(論語における仁)。「仁」に”情け深さ”などの語義が加わったのは、孔子から一世紀後の孟子が「仁義」を提唱してからで、史実の孔子とは何の関係も無い。そして仁を体得するための諸条件を、孔子は「礼」と呼んだ。

「礼」にはもちろん礼儀作法も含まれるが、それだけでは礼は完結しない(論語における礼)。現伝儒教の言う礼儀作法は、事実上大小の『礼記』に記されたものであり、『礼記』をでっち上げたのは前漢の儒者である。だから論語や孔子と全く関係が無い作法さえある。

礼とは弟子が貴族らしくなったかを計る尺度であり、言い換えるならどれだけ礼を知り、実践できるかで仁者=貴族と言えるかどうかが決まった。つまり孔子の教説では、「礼」と「仁」は不可分であり、礼や仁を知って体現することもまた、「知」の一部だった。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


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刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

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