『春秋左氏伝』哀公十四年:現代語訳

司馬牛の死

原文

司馬牛致其邑與珪焉,而適齊,向魋出於衛地,公文氏攻之,求夏后氏之璜焉,與之他玉,而奔齊,陳成子使為次卿,司馬牛又致其邑焉,而適吳,吳人惡之而反,趙簡子召之,陳成子亦召之,卒於魯郭門之外,阬氏葬諸丘輿。

書き下し

司馬牛其の邑与(と)珪(ケイ)を致し焉(たり)て、而て斉に適く。向魋(=桓魋)衛の地於(を)出で、公文氏之を攻めて、夏后氏之璜(たま)を求め焉(たり)。之に他の玉を与え、而て斉に奔る。陳成子使て次卿為らしめるや、司馬牛又た其の邑を致し焉て、而て呉に適く。呉人之を悪み而反るに、趙簡子之を召し、陳成子も亦た之を召すも、魯の郭門之外於(に)卒(シュツ)せり。阬氏諸(これ)を丘輿に葬る。

現代語訳

司馬牛は自分の領地と爵位を示す玉の笏を宋の公室に返上し、斉に行った。

一方すでに宋国を出ていた兄のキョウタイ(=桓魋)は、衛を去った。その途上、公文氏が桓魋を攻めかけて、夏后氏の璜(たま)を奪おうとした。桓魋は公文氏に他の玉を与え、斉に逃亡した。

斉の執権・陳成子が桓魋を迎えて次卿(=準家老)に任命すると、司馬牛は斉で与えられていた領地を返上して、呉に逃げた。

しかし呉の国人が司馬牛を憎んだので居られなくなった。そこで晋の執権・趙簡子が司馬牛を呼び寄せ、陳成子も呼び寄せたが、司馬牛は城門で死んだ。コウ氏が司馬牛を丘輿に埋葬した。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)