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『春秋左氏伝』現代語訳:哀公七年

  • 邾国乗っ取り

原文

季康子欲伐邾,乃饗大夫以謀之,子服景伯曰,小所以事大,信也,大所以保小,仁也,背大國不信,伐小國不仁,民保於城,城保於德,失二德者,危將焉保,孟孫曰,二三子以為何如,惡賢而逆之,對曰,禹合諸侯於塗山,執玉帛者萬國,今其存者,無數十焉,唯大不字小,小不事大也,知必危,何故不言,魯德如邾,而以眾加之,可乎,不樂而出。
秋伐邾,及范門,猶聞鍾聲,大夫諫,不聽,茅成子請告於吳,不許,曰,魯擊柝聞於邾,吳二千里,不三月不至,何及於我,且國內豈不足,成子以茅叛,師遂入邾,處其公宮,眾師晝掠,邾眾保于繹,師宵掠,以邾子益來,獻于亳社,囚諸負瑕,負瑕故有繹,邾茅夷鴻以束帛乘韋,自請救於吳,曰,魯弱晉而遠吳,馮恃其眾而背君之盟,辟君之執事,以陵我小國,邾非敢自愛也,懼君威之不立,君威之不立,小國之憂也,若夏盟於鄫衍*,秋而背之,成求而不違,四方諸侯,其何以事君,且魯賦八百乘,君之貳也,邾賦六百乘,君之私也,以私奉貳,唯君圖之,吳子從之。
(*衍…衍字と判断して訓読と訳では省略。)

書き下し

季康子邾(チュ)を伐たんと欲し、乃ち大夫に饗して以て之を謀る。子服景伯曰く、小は大に事うる所を以て、信也。大は小を保つ所を以て、仁也。大國に背かば不信にして、小國を伐たば不仁なり。民は城於(に)保んじ、城は德於保たる。二德を失う者は、將に保つを危く焉(せん)。孟孫曰、二三子(おんみら)以て何如と為さん。惡(いずくん)ぞ賢なり而(て)之を逆えん。對えて曰く、禹諸侯を塗山於(に)合すに、玉帛を執りたる者萬國なるも、今其存る者は、數十無き焉(なり)。唯(こ)れ大の小を字(やしな)わず、小の大に事え不るがため也。必ず危きを知れば、何故言わ不らん。魯の德邾に如くを而て、以て之に眾(つわもの)を加えんや、可ならん乎。樂ま不而て出ず。
秋、邾を伐ち、范門に及ぶに、猶お鍾聲聞こゆ。大夫諫るも、聽か不。茅成子吳於告げるを請うも、許さ不。曰く、魯の柝を擊つは邾於聞こゆるも、吳は二千里にして、三月なら不れば至ら不。何をか我於及ばんか。且つ國內豈に足ら不らんや。成子茅を以て叛き、師遂に邾に入り、其公宮に處る。眾師晝に掠め、邾の眾は繹于(に)保てり。師宵も掠め、邾子益を以ち來たりて亳社于獻じ、諸(これ)を負瑕に囚う。負瑕、故に繹有り。
邾の茅夷鴻、束帛乘韋を以て自ら吳於救いを請いて、曰く。魯、晉を弱しとし、而して吳を遠しとし、其の眾に馮り恃み、而して君之盟に背き、君之執事を辟く。以て我小國を陵ぐも、邾敢て自ら愛するに非る也。君が威之立た不るを懼る。君が威之立た不るは、小國之憂い也。夏に鄫於盟いて秋なり而(て)之に背くも、求め而違わ不るを成すが若きは、四方の諸侯,其れ何を以てか君に事えん。且つ魯の賦は八百乘、君之貳(むほんもの)也。邾の賦は六百乘、君之私するところ也。私を以て貳に奉ず。唯だ君之を圖れ。吳子之に從う。

現代日本語訳

夏。覇者の国・呉に呼びつけられて、魯は周辺諸国との不可侵を誓わされた。

だが筆頭家老・季康子(キコウシ)は、家老職を継いだばかりで鼻息が荒い。呉王が帰ったのをいいことに、すぐ隣の邾(チュ)国を乗っ取ろうと悪だくむ。そこでご馳走を用意して家老一同を招き、「どうであろう」。言わいでか、とマジメ人間の子服景伯が言う。

「小国が大国に仕えるのが信で、大国が小国を守り育てるのが仁です。」「…。」

「つまり大国に逆らうのは不信で、小国をいじめるのは不仁です。そもそも民は、まちを取り囲む城壁があるから安心して暮らせますし、城は人徳で保たれます。信と仁、この二つの徳を踏みにじれば、ろくな事にならないでしょう。」

(ケッ、何言ってやがる、偽善のお説教屋め。そんなんでこの乱世を生き残れるか!)と、これもやる気満々の次席家老、孟懿子(モウイシ)が言う。「いかがでござる、おのおの方。何かウマく乗っ取る妙案はないものか*。」家老が次々に答えた。

「昔、夏王朝の始祖・禹(ウ)が、この指止まれ、と殿様方を集めたら、頭を下げに来たのが万人居たと言います。でもどしどし滅んで、今では数十しか残っていません。大国が小国を可愛がらず、小国が大国を敬わないからこうなったのです。」

「左様。邾は魯より小さいとは言え、目と鼻の先のお隣さんでござる。なのに連年、季どの以下ご三家は非道いことばかりしてきた。だから呉に止められた。これではいずれ天罰が下るに決まっております。拙者は黙って見過ごせませぬ。」

「それがしもです。確かに邾もたいがいで、道徳的には我が魯と大して変わりませんが、天はみそなわしておられましょう。今の邾公がバカ殿だからと言って、これ以上押し込んだら、今度こそ天罰が下ります。何より呉王が黙っていますまい。」

と言われて、季康子も孟懿子も、すっかりニガい顔をして、会はお開きになった。

※クリックで拡大。下のスケールは80km。

そこで秋。反対を振り切って勝手に邾に攻め込んだ。外城の門に押しかけた所でも、チンカンとまだ魯国の鐘が聞こえるほど両国は近い。「季どの、孟どの、おやめなされ!」と家老たちが退き鐘を鳴らすが、欲に目がくらんだ両人は聞き流す。

一方邾国の家老、茅成子(ボウセイシ)があるじの殿様に言った。「盟約違反です。呉に助けて貰いましょう。」「何を言っておる。」と殿様。「そちの耳はギョウザであるか? 日ごろ魯の連中が拍子木を打ってすら、ここまで聞こえるんじゃぞ?」「…。」

「なのに呉国はどんだけ遠いのじゃ。二千里(≒810km)もあるではないか。行くだけで三ヶ月かかるわい。当てになるものか。それに我が邾軍とて、魯軍相手に不足はないぞ? このワシが一つ、奴らの目にもの見せてくれよう。」

ああやっぱりバカ殿だ、と茅成子は自領の茅に引き籠もってしまう。

魯軍はついに城門を破り、邾国になだれ込む。殿様の屋敷を占拠すると、昼間ゆえに兵隊は手当たり次第略奪を始めた。邾軍はさっさと逃げ散り、城民と共に繹山(エキザン)に隠れる。一方一旦始まった魯軍の乱暴は止まらなくなり、夜も略奪に忙しい。

負けて呆然としていた邾の殿様・益(エキ)は捕まり、亳(ゴウ)という高台のやしろに閉じ込められる。「ケケケ、首ちょん切ってオソナエにしちゃおうかな~」とさんざんいびられた。ついで負瑕(フカ)のまちに監禁され、この時繹山に逃げた民も巻き添えを食う。

それで今でも負瑕には、繹とよばれる横丁がある。

一方引き籠もっていた茅成子は、さすがに高みの見物を決め込むわけにも行かず、絹やなめした牛革など、強欲で知られた呉王に贈る、なけなしのワイロを持って呉に向かった。宮廷で平グモの如く床にはいつくばり、呉王を前に一席ぶつ。

「魯は近くの大国・晋をナメ切っており、覇者の国・呉は遠いからと言ってタカをくくっています。兵も多いからとつけ上がって、殿と誓ったばかりの盟約を破る。ご足労頂いたご家老どのの顔も、丸つぶれですぞ。」「ふむ、けしからんな。」

「それで我が邾をば踏みつぶしたのですが、我らは身が可愛くて、こうやってご挨拶に参ったのではございません。殿のご威光に傷が付くのを恐れているのでございます。ご威光に曇りあらば、我が邾はどうなりましょうや。」「そうじゃな。」

「魯の奴ら、夏には鄫(ショウ)で誓約したのに、秋になってもうこのザマです。こんな好き勝手を許しておくようでは、誰もが殿をナメてかかり、仕え申す諸侯はおりませぬぞ?」「む!」「それに魯の戦車は800両、邾のそれは600両。」「それで?」

「魯は殿に誓った盟約を踏みにじる謀反人ですが、我が邾は殿の忠実な家来でございます。忠臣を謀反人に呉れておやりになるおつもりですか? どうか良くお考え下さいませ。」「よろしい。」呉王は救援を承諾した。

論語内容補足
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