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論語詳解054八佾篇第三(14)補足

『礼記』檀弓下偏

原文

孔子謂:「為明器者,知喪道矣,備物而不可用也。」哀哉!死者而用生者之器也。不殆於用殉乎哉?「其曰明器,神明之也。」塗車、芻靈,自古有之,明器之道也。孔子謂「為芻靈者善」,謂「為俑者不仁」,不殆於用人乎哉?

書き下し

孔子謂く、「明器(副葬品)を為る者は、喪の道を知り矣か、物を備へ而用ひ可から不る也」。哀しい哉、死者に而て生者之器を用ふる也。殉に用ふる於殆か不らん乎哉。其れ明器と曰ふは、神の明(ひかり)之(それ)也。塗車(車のはにわ)、芻靈(わら人形)古自り之有、明器之道也。孔子謂く、「芻靈を為る者は善し」、謂く「俑(写実的な土人形)を為る者は仁なら不。人を用ふる於殆か不らん乎哉。」

現代語訳

孔子が言った。「自分のために副葬品を作らせた者は、葬儀の何たるかをきっと知っていたのだろう。作らせても実用品ではなかった」。悲しいことだ、死者が生者の道具を使うとは。生者を殉葬するのとほとんど同じだ。そもそも明器とは、神の明らかに見通す力そのものだ。車のはにわ、お供えのわら人形、これらが昔からあるのは、副葬品のあるべきことわりを示すものだ。だから孔子は言った、「つたないわら人形を作らせた者はよろしい。だが写実的な土人形を作らせた者には仁(あわれみ)の心がない。いずれ本物の人を生き埋めにするようになるぞ!」

『論語集注』

原文

二代,夏商也。言其視二代之禮而損益之。郁郁,文盛貌。尹氏曰:「三代之禮至周大備,夫子美其文而從之。」

書き下し

二代は夏と商也。其れ二代之礼を視而之を損き益すを言う。郁郁は、文の盛んなる貌なり。尹氏曰く、「三代之礼は周に至りて大いに備わる。夫子其の文たるを美しとし而之に従う。」

現代語訳

二代とは、夏と殷のことだ。夏と殷の礼法を参考にして足し引きしたことを言ったのだ。郁郁は、文化の盛んな姿のことだ。尹氏曰く、「三代の礼法は周になって大いに完成した。孔子様はその文化らしさを好み、それに従われたのだ。」


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