論語学而篇第一(9)注釈

新注『論語集注』

原文

慎終者,喪盡其禮。追遠者,祭盡其誠。民德歸厚,謂下民化之,其德亦歸於厚。蓋終者,人之所易忽也,而能謹之;遠者,人之所易忘也,而能追之:厚之道也。故以此自為,則己之德厚,下民化之,則其德亦歸於厚也。

書き下し

慎終、喪に其の礼を尽くすなり。追遠者、祭りて其の誠を尽くすなり。民徳帰厚は、下民の之を化うるを謂い、其の徳亦た厚き於帰す。蓋し終わる者、人之易く忽せにする所也、し而能く之を謹む。遠者、人之易く忘るる所也、し而能く之を追う。厚き之道也。故に此れ自ら為すを以て、則ち己之徳厚し。下民之を化うれば、則ち其の徳亦た厚き於帰する也。

現代語訳

慎終とは、礼法にかなった葬儀をすることだ。追遠は、誠実な祭祀を行うことだ。民徳帰厚は、下民にこのことわりを教えることを言い、そうした道徳が丁寧に行われるようになることを指している。ところが考えてみると、人は自分の死を考えないようにして生きている。しかし我ら君子は、死を身近に捉えることが出来る。遠い先のことを、人は考えないで生きている。しかし我ら君子は、それをあらかじめ考える事が出来る。これが下民に道徳を行き渡らせる道だ。だからこの二つを考える習慣を身につけると、自分の道徳が高まる道理だ。それを下民に教えれば、下民でさえ道徳的になるだろう。


論語学而篇9詳解に戻る

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)