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『ブッダ最後の旅』大パリニッバーナ経

以下は、論語里仁篇3の説明のために全文引用したもの。このページへの直リンクは避けて下さい。

〔ブッダ〕「さてプックサよ。あるとき、わたしはアートゥマー(村)で(籾殻の家*)に住した。ちょうどそのとき天に雨降り、天に雷鳴し、電光閃き、雷電がとどろいて、(籾殻の家)の兄弟二人の農夫と四頭の牛とが殺された。そのとき、アートゥマーから大群衆が出てきて、かの兄弟二人の農夫と四頭の牛が殺されたところに近づいた。

さてプックサよ。そのとき、わたしは(籾殻の家)から出て、その戸口の露地でそぞろ歩きしていた。そのとき、かの大群衆の中からある男がわたしのいたところに近づいて来た。近づいて、わたしに敬礼して、一方に立った。一方に立ったかの男に、わたしはこう言った。―

『友よ。この大群衆が集まっているのは、どうしてですか?』

『尊い方よ。今、天に雨降り、天に雷鳴し、電光閃き、雷電がとどろいて、兄弟二人の農夫と四頭の牛とが殺されました。だから*この大群衆が集まっているのです。ところで、あなたは*どこにいらっしゃったのですか?』

『友よ。わたしはここにいたのです。』

『では何を見られましたか?』

『友よ。何も見ませんでした。』

『では、音をお聞きになりましたか?』

『友よ。わたしは音を聞きませんでした。』

『では、あなたは眠っていらっしゃったのですか?』

『友よ。わたしは眠ってはいませんでした。』

『では、尊い方よ。あなたは目覚めていらしゃったのですか?』

『そうです、友よ。』

『では、尊い方よ。あなたは目覚めていて覚醒しておられたけれども、天に雨降り、天に雷鳴し、電光閃き、雷電がとどろいたときにも、それを見ず、音をも聞かなかった、とおっしゃるのですか?』

『そうです、友よ。』


籾殻の家―bhusāgāra. 刊行者はこれを固有名詞と解して Bhusāgāra と記して最初の字を大文字にしているが、「遊行経」(大正蔵、一巻一九ページ上)は「一草廬」と訳し、普通名詞に解する。

だから―ettha(=etasmiṃ kāraṇe 、 Sum. -vil. p.569).

あなたは―tvam. これは対話の相手を意味するときの普通名詞である。つまりゴータマ・ブッダと対談した男は、ゴータマを普通の相手を見なしていたのである。信徒が仏に呼びかけているのとは全然異なる。

中村元『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』岩波文庫
第四章三〇~三二


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論語内容補足
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